よいよい二日酔い
WBC、すごい熱気ですね。
この記事を書いている時点では準優進出を決めておりますが、このまま優勝戦まで行きそうな勢いです。
大谷翔平筆頭に日本の主軸選手が勢ぞろいしているのも盛り上げに一役買っています。
視聴率は40%を超えまして、去年のサッカーW杯が30%だったのを考えれば高い数字です。
やっぱりサッカーよりも野球の方が人気という国民性が見えます。
一昔前はテレビにかじりついてみるしかありませんでしたが、今回大会はAmazonプライムで配信されておりまして、いつでもどこにいてもスマホさえあれば試合が見れます。本当にすごい時代になりました。
なので実際の視聴率以上に見ているんじゃないかと思っています。
スポーツバーとかテレビのある居酒屋でないとできなかった飲みながらの観戦がスマホ1台卓上にあるだけでできますから、居酒屋のテーブルがあっという間にパブリックビューイング会場に様変わりです。
そんな感じでここ数試合楽しんでおりました。
まぁ翌日は常に大変な体調になっておりますけども()
●「めざせ!長門本山~JL293に乗れ~」
前回作りました「旅の記録」カテゴリ。
これは裏を返せば一つのレポートとして書くにはあまりにも中途半端な諸々の記録ともいえます。
で、今回のはJALの特典航空券で乗る飛行機を早めるにはどのくらいの余裕があればいいか?
というとても誰かの役には立たない記事であります。
※おことわり
JALでは2023年4月12日以降、国内線航空券のルールが改定されます。
特典航空券においては本記事に書いてある空港での当日変更が不可能になります。
先日、山口の方に行く機会がありまして。
山口宇部空港に降り立つんですが、フライト予定日の行動が定まってなかったもので、特典航空券で最終便を抑えておりました。早めに空港についたら1本前に繰り上げればいいというジャッジです。
で、当日蓋を開けてみましたらだいぶ早くに空港に着けることがわかりまして。
いや極道乗継なんですけどね。
特に早くいく理由もなかったつもりなんですが、せっかくなので本山支線に乗ってみることにしました。
最近は本当にこういう行き当たりばったりの旅程ばかりです。自分一人で動くときは。

というわけでまずは常磐特快に飛び乗りまして羽田へ向かいます。
手元の端末で調べてみますと、10:40の特快で新橋。
新橋からは山手線で浜松町。
浜松町からモノレールが最速でした。
京急が昨年のダイヤ改正で種別を段落としした関係で羽田への最速便が減ってしまいまして。
乗り換えの回数は増えますが、このルートの方が5分ほど早く着くという結果でした。
このルートで行って羽田到着は11:36
JALの特典航空券振替期限は保安検査場締切時刻ですので、12:10に乗ろうとしている私のリミットは11:50となります。14分のインターバルで何とかしなければなりませんし、途中で乗継失敗しますとその瞬間終了。
これが極道たる所以です。

山手線が目の前で発車していきましたが、これは想定内。
1本後で浜松町を目指します。

きわめて順調に東京モノレールへ乗り換え。
ノンストップ羽田エクスプレスで羽田空港を目指します。
ここまでくればもう安全圏でしょう。

在日日本人観光客なので車窓からレインボーブリッジを見ただけでテンションが上がります。
ここまでくれば撮る余裕も生まれています。
とはいえ14分で何とかしなければならない事実は変わりません。
窓口が混んでいた瞬間に終了ですから、落ち着かないのも事実。

日本の鉄道の正確性に感謝しながら羽田空港第1ターミナルに到着。
ここからエスカレーターを上がり、有人窓口を目指します。

混みあうかとも思いましたが、ここは運よく待ちなし。
特典航空券を抑えている旨と変更したい旨を伝えると係員氏も手慣れた様子で確認、変更手続きをしてくれました。JALカードを持っていると本当にスムーズですね。作ってよかった。
どうやら空いている飛行機のようで、座席も選ぶことができました。
あとは保安検査を通りまして飛行機に搭乗するだけです。

山口宇部便はB737でした。
何も考えず非常口席にしましたが、クラスJとの境界席でもよかったですね。
何も考えていませんでした。ええ。
空港に1時間前には着いてますみたいな人間が周囲には多いんですが、接続の関係でそうなるならともかく、個人的にはギリギリに行きたいタイプです。ゆえにLCCとかは使いたくないんですが。
もったいないじゃないですか、時間が。
いわゆる五大都市のうち、札幌千歳・東京羽田・博多福岡は鉄道アクセスがピカイチですし。
搭乗手続きもすぐ終わるのを考えると30分前くらいでも余裕だと思います。
その上で14分のインターバルでしたが、これは正直窓口が混んでいるか?に左右されるという身もふたもない結論になると思います。今回は空いていたので余裕でしたが、列をなしていたら厳しいかもしれません。
ちなみに一か八かですが、保安検査を受けた上で制限エリア内の空席待ちブースで変更できるというパワープレーもあるようです。もし変更できなくても係員に申し出れば一度出れるとは言いますが...リスクありますよね。

で、山口宇部です。
本来であれば日没後着のはずが14時には着いてしまいました。

エヴァ一色。
宇部もホントエヴァンゲリオンに染まっています。
なんもやることはないので、とりあえず宿へチェックインして長門本山へ向かいます。

宿が徳山で、小野田経由で向かいますのでこんなきっぷに。
新幹線だともっと早いんですが、結局乗る電車に間に合うので下道です。
1回目の新山口。15分停車があるので途中下車しようとしたら駅員氏に回収されそうになって「ちょーいちょいちょいちょいちょいw」となりましたが、ぱっと見で回収するのも仕方ないです。ええ。

さてここからようやく一眼レフの画像が登場です。
新山口駅ですが、ICOCA導入に向けて自動改札機が導入されていました。
自動改札機の更新かもしれません。
4月1日より稼働開始とのことです。
ここからさらに小野田へ向かい、小野田からは小野田線に乗り換えます。

本山支線との分岐駅である雀田駅。
恐ろしいくらいに人の気配がありませんが、それもそのはず。
本山支線は1日に3往復。朝2便の夕方1便しか存在しません。
なんで残存しているのか本当に不明なのですが、それでも地域の大切な足として残っています。
ちなみに乗客は高校生と思しき人が3人ほど。

列車はあっという間に長門本山に到着です。
周防灘に面した行き止まり駅でして、現在は閑静な住宅街という趣です。
1日3便しかありませんが、バスは1時間に1本程度運行されており、宇部市街へのアクセスはもっぱらバスが担っている地域になっているようです。ますますなぜ鉄道が残っているのか疑問ではあります。

日没間際に訪れたものですから、ロケーションがエモい。
夕陽の沈む周防灘を背に折り返しは雀田経由宇部新川行となります。
乗ってきた列車に乗って戻ります。
ただこの列車、雀田で小野田から来た宇部新川方面行きに進路を譲ります。
雀田で40分近く停車するわけですね。

というわけで雀田で乗り換えて再びの宇部新川へ。
さらに新山口経由で徳山へと戻りました。
さて、地図上で見ますと長門本山から宇部空港までは直線距離で10㎞弱。
車で30分ほど道のりのようです。
ずいぶんと遠回りしてたどり着いたのでした。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
この記事を書いている時点では準優進出を決めておりますが、このまま優勝戦まで行きそうな勢いです。
大谷翔平筆頭に日本の主軸選手が勢ぞろいしているのも盛り上げに一役買っています。
視聴率は40%を超えまして、去年のサッカーW杯が30%だったのを考えれば高い数字です。
やっぱりサッカーよりも野球の方が人気という国民性が見えます。
一昔前はテレビにかじりついてみるしかありませんでしたが、今回大会はAmazonプライムで配信されておりまして、いつでもどこにいてもスマホさえあれば試合が見れます。本当にすごい時代になりました。
なので実際の視聴率以上に見ているんじゃないかと思っています。
スポーツバーとかテレビのある居酒屋でないとできなかった飲みながらの観戦がスマホ1台卓上にあるだけでできますから、居酒屋のテーブルがあっという間にパブリックビューイング会場に様変わりです。
そんな感じでここ数試合楽しんでおりました。
まぁ翌日は常に大変な体調になっておりますけども()
●「めざせ!長門本山~JL293に乗れ~」
前回作りました「旅の記録」カテゴリ。
これは裏を返せば一つのレポートとして書くにはあまりにも中途半端な諸々の記録ともいえます。
で、今回のはJALの特典航空券で乗る飛行機を早めるにはどのくらいの余裕があればいいか?
というとても誰かの役には立たない記事であります。
※おことわり
JALでは2023年4月12日以降、国内線航空券のルールが改定されます。
特典航空券においては本記事に書いてある空港での当日変更が不可能になります。
先日、山口の方に行く機会がありまして。
山口宇部空港に降り立つんですが、フライト予定日の行動が定まってなかったもので、特典航空券で最終便を抑えておりました。早めに空港についたら1本前に繰り上げればいいというジャッジです。
で、当日蓋を開けてみましたらだいぶ早くに空港に着けることがわかりまして。
いや極道乗継なんですけどね。
特に早くいく理由もなかったつもりなんですが、せっかくなので本山支線に乗ってみることにしました。
最近は本当にこういう行き当たりばったりの旅程ばかりです。自分一人で動くときは。

というわけでまずは常磐特快に飛び乗りまして羽田へ向かいます。
手元の端末で調べてみますと、10:40の特快で新橋。
新橋からは山手線で浜松町。
浜松町からモノレールが最速でした。
京急が昨年のダイヤ改正で種別を段落としした関係で羽田への最速便が減ってしまいまして。
乗り換えの回数は増えますが、このルートの方が5分ほど早く着くという結果でした。
このルートで行って羽田到着は11:36
JALの特典航空券振替期限は保安検査場締切時刻ですので、12:10に乗ろうとしている私のリミットは11:50となります。14分のインターバルで何とかしなければなりませんし、途中で乗継失敗しますとその瞬間終了。
これが極道たる所以です。

山手線が目の前で発車していきましたが、これは想定内。
1本後で浜松町を目指します。

きわめて順調に東京モノレールへ乗り換え。
ノンストップ羽田エクスプレスで羽田空港を目指します。
ここまでくればもう安全圏でしょう。

在日日本人観光客なので車窓からレインボーブリッジを見ただけでテンションが上がります。
ここまでくれば撮る余裕も生まれています。
とはいえ14分で何とかしなければならない事実は変わりません。
窓口が混んでいた瞬間に終了ですから、落ち着かないのも事実。

日本の鉄道の正確性に感謝しながら羽田空港第1ターミナルに到着。
ここからエスカレーターを上がり、有人窓口を目指します。

混みあうかとも思いましたが、ここは運よく待ちなし。
特典航空券を抑えている旨と変更したい旨を伝えると係員氏も手慣れた様子で確認、変更手続きをしてくれました。JALカードを持っていると本当にスムーズですね。作ってよかった。
どうやら空いている飛行機のようで、座席も選ぶことができました。
あとは保安検査を通りまして飛行機に搭乗するだけです。

山口宇部便はB737でした。
何も考えず非常口席にしましたが、クラスJとの境界席でもよかったですね。
何も考えていませんでした。ええ。
空港に1時間前には着いてますみたいな人間が周囲には多いんですが、接続の関係でそうなるならともかく、個人的にはギリギリに行きたいタイプです。ゆえにLCCとかは使いたくないんですが。
もったいないじゃないですか、時間が。
いわゆる五大都市のうち、札幌千歳・東京羽田・博多福岡は鉄道アクセスがピカイチですし。
搭乗手続きもすぐ終わるのを考えると30分前くらいでも余裕だと思います。
その上で14分のインターバルでしたが、これは正直窓口が混んでいるか?に左右されるという身もふたもない結論になると思います。今回は空いていたので余裕でしたが、列をなしていたら厳しいかもしれません。
ちなみに一か八かですが、保安検査を受けた上で制限エリア内の空席待ちブースで変更できるというパワープレーもあるようです。もし変更できなくても係員に申し出れば一度出れるとは言いますが...リスクありますよね。

で、山口宇部です。
本来であれば日没後着のはずが14時には着いてしまいました。

エヴァ一色。
宇部もホントエヴァンゲリオンに染まっています。
なんもやることはないので、とりあえず宿へチェックインして長門本山へ向かいます。

宿が徳山で、小野田経由で向かいますのでこんなきっぷに。
新幹線だともっと早いんですが、結局乗る電車に間に合うので下道です。
1回目の新山口。15分停車があるので途中下車しようとしたら駅員氏に回収されそうになって「ちょーいちょいちょいちょいちょいw」となりましたが、ぱっと見で回収するのも仕方ないです。ええ。

さてここからようやく一眼レフの画像が登場です。
新山口駅ですが、ICOCA導入に向けて自動改札機が導入されていました。
自動改札機の更新かもしれません。
4月1日より稼働開始とのことです。
ここからさらに小野田へ向かい、小野田からは小野田線に乗り換えます。

本山支線との分岐駅である雀田駅。
恐ろしいくらいに人の気配がありませんが、それもそのはず。
本山支線は1日に3往復。朝2便の夕方1便しか存在しません。
なんで残存しているのか本当に不明なのですが、それでも地域の大切な足として残っています。
ちなみに乗客は高校生と思しき人が3人ほど。

列車はあっという間に長門本山に到着です。
周防灘に面した行き止まり駅でして、現在は閑静な住宅街という趣です。
1日3便しかありませんが、バスは1時間に1本程度運行されており、宇部市街へのアクセスはもっぱらバスが担っている地域になっているようです。ますますなぜ鉄道が残っているのか疑問ではあります。

日没間際に訪れたものですから、ロケーションがエモい。
夕陽の沈む周防灘を背に折り返しは雀田経由宇部新川行となります。
乗ってきた列車に乗って戻ります。
ただこの列車、雀田で小野田から来た宇部新川方面行きに進路を譲ります。
雀田で40分近く停車するわけですね。

というわけで雀田で乗り換えて再びの宇部新川へ。
さらに新山口経由で徳山へと戻りました。
さて、地図上で見ますと長門本山から宇部空港までは直線距離で10㎞弱。
車で30分ほど道のりのようです。
ずいぶんと遠回りしてたどり着いたのでした。
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沈没船てんでんこ
映画館で「タイタニック」を見てきました。
25周年というところで3Dリマスター版が2週間限定で上映されておりました。
タイタニックについては以前も語りましたし、もう多くを語る必要はないと思いますが、歴史的超大作ともいえるこの作品はテレビでの放映が少ないのと同じように映画館での再上映も少ないのが特徴です。
映画はできるだけ回数を重ねることで動員数や収入を増やしていくというのは「すずめの戸締まり」が公開当初、東海道新幹線のぞみ号に匹敵する回数で上映されていたのをみてもお判りいただけると思います。
3時間を超える上映時間はそれだけで上映回数を削ります。
また日本では上映権が失効しているため、このような周年でないとみることができないという珍しい作品でもあります。
そんな貴重な映画が久々にスクリーンに登場。
しかも今回は2週間限定上映ということで、炊いた肉タイタニックは連日満員御礼となっていたのでありました。
実際、私が見た時もほぼ満員御礼。
なぜか隣2席は空いておりましたが、予約したは良いものの来れなかった人の席でしょう。
来なかったのか、来れなかったのか、ただこれがもし実際のタイタニックであれば幸運です。
もし乗れていたら沈没船に乗ってしまうわけですから。
よくタイタニックで一番幸運なのは冒頭のポーカーに負けたオラフとスヴェンだと言う人がいます。
タイタニックに乗らなくて済んだわけであり、もし乗っていたら彼らも北大西洋のど真ん中で凍え死んだでしょう。
もちろん彼らがポーカーに勝利し、ジャックよろしくローズと素敵な恋をし、あまつさえ生き残った可能性はありますが、港の酒場で賭けポーカーして負けている時点でそんな展開はありません。ギャンブルなんかやるもんじゃありませんよ。ええ。
ただでもギャンブルは常に勝てば良いというわけでもないことをタイタニックは教えてくれています。
まさに人間万事塞翁が馬。
というわけで世の中いつどうなるか、先のことはなかなかわかりません。
読者諸兄もいつ橋の下で寝る夜があるかと思えば、世界一の豪華客船で素敵な人たちとシャンパンを飲むことがあるかはわかりません。そしてその豪華客船が沈没船であるかもしれないということも。
人間いつ、どのタイミングで沈没船に乗り合わせるかなんていうのは予想もできません。
もし沈没船に乗り合わせたら。まずは真っ先に逃げることを考えるべきでしょう。
現代の船はきちんと救命ボートが用意されていますが、そのボートに乗れるとは限りません。
救命ボートに乗る前に船が沈んでしまうことだってあります。
ですからこの船は沈むと気づいたらまずは誰を差し置いても真っ先に逃げるしかないのです。
中には沈みゆく船を沈まないように努力する側の人間として船に乗っている人もいるでしょう。
沈まないよう努力している間に助けが来て、結果として多くの人が助かるかもしれません。
沈みゆく中でも最悪の事態は避けられるだろうという希望を抱きつつ。
しかしこういう回避行動が取れる人間は実際は少ないものです。
タイタニックは不沈艦。沈むことがない船です。確かに自分が乗っている船が沈むとはにわかに信じがたい思いに至る人も多いでしょう。わざわざ極寒の海にボートで逃げるよりも船にいたほうが安全だと思うのも無理はありません。
逃げるタイミングはいくらでもあったはずなのに、逃げたほうがいいはずなのに。
でもそれは結果論でしかありません。
本格的に沈んで、逃げないといけないと認識するころにはもう手遅れになっているものです。
実際のタイタニックでは三等客の多くが逃げる努力もせず亡くなっていきました。
船とともに沈むと決めた人。逃げる努力はせず、祈るように最後の時を待つ人もいるでしょう。
この行動ついて、一説には何世代にもわたって自分がすべきことを社会的地位が上の者に命じられてきたために培われた「禁欲的受動性」によるものではないかとの指摘があります。
船から逃げる時には皆自分のことで手一杯です。誰かが助けてくれるということはありません。
自ら考えて逃げる。という選択をしなければならないのであります。
読者諸兄がもし沈没船に乗り合わせた時。
賢い選択をして少しでも長く生き延びれることを祈っております。
一番いいのは沈没船に乗り合わせないことでしょうが。
●「岩戸鈴芽を感じる三陸の旅」
東日本大震災から12年。
ついこの前のように感じますが、少しずつ遠い過去になろうとしています。
すずめの戸締まりが震災の「風化」を意識している中で、エンターテイメント作品としてもあの震災が描かれるようになりました。それだけの年月を重ねた今、すずめの戸締まりの聖地を見つつ三陸地方を旅してきました。
日程の都合上、宮古から陸前山田→気仙沼を通り仙台へ向かうルートとなっておりまして。
宮古へ行くには安直ですが、盛岡まで新幹線。盛岡からは山田線か106急行のどちらかになります。
106特急なる便がちょうどありまして、これが二階建てバスということでブログネタにも最適と思ったのですが、奇しくも先月は点検で普通のバスによる代走とのこと。というわけで二度と乗らないであろう山田線に乗ることにしました。
実はですね、今回は「座して死を待つ山田線」みたいな感じの記事を考えていました。
現状山田線の本数は全線で1日4往復。対する106急行バスは1時間1本ヘッド。
山田線が2時間半かかるところを特急バスに至っては1時間半で結びます。
快速リアスが13時13分に盛岡を出て宮古に着くのは15時31分。
特急バスは13時45分に盛岡を出て宮古には15時15分。追い抜いちゃうんですね。
これではもう鉄路に勝ち目はありません。こういう中での山田線の現状を見つついろいろと考えていたんですが、いかんせんここ最近の疲れと東北新幹線でちょっとお酒を嗜んだところ相乗効果で山田線は爆睡でした。
乗った次の瞬間宮古に着いていましたので体感としては2分です。山田線爆速。
106特急バスもびっくり。
もう二度と乗らないであろう路線なのに一切風景を見ていません。
もったいないことをしました。
宮古に着くまでに夕方を迎えてしまうので、この日は陸中山田に宿泊。
翌日は織笠駅からスタートです。

全国36700万人のすずめの戸締まりファンの皆様ならもう写真を見ただけで補正されるでしょう。
登場人物と車がどこにあるかを。

駅舎というより待合室ですが、待合室にはダイジンがいます。 #ダイジンといっしょ
ファン有志が作ったというよりは近くの博物館の館長が作ったらしいのですが、聖地巡礼に来るファンのために用意された小道具がうれしいものです。駅ノートも映画公開後はものすごい勢いで埋まっているようで。
できればこのままささやかに続いていってほしいものです。
織笠駅から少し歩いたところにある展望公園に行きますとですね。

後ろ戸が設置されておりました。
マジで扉と申し訳程度の説明文だけが置かれています。
かろうじですずめの戸締まりと書いてあるのでわかりますが、なければまったくもって何が何だかわかりません。というよりこれ夜中に国道走っていて突然扉が現れたら軽くホラーだと思うんですが。

これはすずめちゃんのお母さんが一生懸命作った展望台です(大嘘)
ここからの見晴らしがですね。

防潮堤が山田湾を囲っているのがよく見えます。
三陸ほど定期的に津波の襲来を受けている地域も日本では稀有なものでして。
この地の人たちは海と共に生きるとともに海が見えない生活をしています。
そうでもしなければ生きていけない。そんな過酷な土地です。
この防潮堤がまた来るであろう津波の時に、生き延びるための時間を稼いでくれます。
このあと三陸地方を陸前へ向けて進んでいきますが、常に防潮堤があります。
この地域の宿命ともいえるものでありましょう。
一度駒を宮古へ戻しまして、宮古からは洋風こたつ列車に乗ります。

この後乗るJRの被災線区がBRTでの復旧であったのに対して、前後を三陸鉄道に挟まれていた山田線は鉄路での復旧にこだわっていました。結果として山田線区間はJRが復旧した上で三陸鉄道へ移管という形を取っています。
168㎞にわたる日本最長の第三セクター鉄道の誕生です。
この洋風こたつ列車は宮古からリアス線、南リアス線を走破し盛へ向かう臨時列車です。

車内では予約制で弁当を用意してもらうことができます。
こちらは瓶ドンで、瓶詰された海鮮を自分で載せて食べるというもの。

センスが問われる盛り付けはこんな感じで。
これ瓶に詰めるのが結構大変なんじゃないかなと思います。盛り付けが大変だったので。
盛り付けてしまえば海鮮丼だなんて野暮なことを言ってはいけません。
洋風こたつ列車はボックスシートにこたつを設置しているのですが、熱源のようなものはありません。
どうやら座席下の暖房から来る熱をこたつ布団に溜めているようです。
アイディアですね。この方法なら特別な設備はこたつだけで済みますから応用が利きそうです。

盛からはBRT大船渡線に乗り換えまして、陸前高田を目指します。
BRT化によってかつての軌道は道路に姿を変えましたが、跨線橋や路線名表示に鉄道時代の名残が残ります。
陸前高田も震災の津波によって壊滅した地域であり、復興に際して高台に町の機能の大半を移転させています。
かつての高田松原があった場所に復興記念公園が整備されています。

防潮堤の上には献花台を兼ねた展望台がありまして。
そこからはまだ小さい松原が見ることができました。
やがてこの松が成長すると、ここから海を見渡すことはできなくなるのかもしれません。
聞くとかつてのような景観を取り戻すには半世紀かかるそうです。

震災で失われた高田松原で唯一残った松の木は奇跡の一本松と呼ばれました。
残念ながら枯死してしまいましたが、復興のシンボルとして保存されています。
木としては死んでいることもあり、松の上には避雷針がつけられています。
あくまでも木ではなく、建造物として残っているわけです。
後ろの震災以降はユースホステルの跡です。
このホステルが衝撃を吸収した結果、1本だけ松が残ったそう。

復興記念公園には津波伝承館という施設が併設されています。
館内には震災と津波被害についての記録が残されています。
津波で流された気仙大橋の橋げたは津波の威力を物語るには十分です。
そのほか、震災からいかにして復興を遂げたか。
この施設は津波の被害を伝えるとともにどのようにして立ち上がったかを伝えています。
是非行く機会があれば見ていただきたいと思います。
陸前高田からさらに足を伸ばして気仙沼へ。
気仙沼ではこんなところにも行ってきました。

ここはほぼ前情報なしで行ったものですから、本当に度肝を抜かれました。
震災で被災した水産高校の校舎を震災遺構として保存・公開している施設で、陸前高田の施設が無料であるのに対してここは入館料が発生します。しかし払って見るだけの価値は間違いなくあると思います。
この施設も撮影可能エリアと不可エリアに分かれてまして、可能エリアではいろいろと写真を撮っているんですけれども、あまり前情報はなく行ってほしいという思いもありますので割愛します。
とにかく津波というものの怖さが身をもって痛感させられます。
はたから見ると現役の施設のようにも見えます。
いまも多くの生徒が学んでいそうな、そんな施設に見えます。
ただ目線を落とすと明らかに様子がおかしいのです。
ただただ自然の強大な力の前に、人は無力であるということ。
その強大な力を前にして、いかに対応すべきか。
逃げるという選択肢しかありません。逃げるしかないのです。
生きるために逃げる。そうしなければどうなるか....
何度も何度も津波が襲ってきたこの地域で、先人たちは次こそはこんな悲しい思いをしてほしくないと必死に伝えてきましたが、それでも悲劇は繰り返されてしまいました。人間喉元を過ぎればなんとやら。
どうしても過去のこととして忘れてしまいがちです。
残念ながら津波はまたやってきます。
それが明日なのか?10年後なのか?100年後なのかはわかりません。
でもいつか必ずまたやってくる。その時にどう行動すべきなのか?
東日本大震災の広範囲にわたる被災地の各地にこのような施設が存在します。
今回は紹介した二つの施設だけでしたが、また機会があればほかの施設も見学に行きたいものです。
気仙沼の震災遺構から少し行ったところに道の駅があります。

道の駅 大谷海岸。
ご存じすずめちゃんたちが東北編でゲリラ豪雨から雨宿りしていた場所です。

館内はすずめの戸締まり一色。というわけでもないですが、食事処はすずめ推しです。
原作はまだ読んでいる最中なんですが、原作ではふかひれラーメンを食してたとのこと。
私も食べてみましたが、これがホントに美味しい。
海鮮ラーメンは映えそうな反面、食べるのが大変そうなのでふかひれ、おススメです。

ここ道の駅大谷海岸はもともと気仙沼線の大谷海岸駅でもありました。
今では気仙沼線BRTが乗り入れています。
ここから出るBRTに乗って三陸を後にしました。
さて、今回から「旅の記録」というカテゴリをぶら下げました。
地方私鉄ネタでもない、本当に旅の記録というものはここにぶち込んでいきます。
このウェブログ、誰が見てるというほどのものではないのですが、読み物として暇をつぶせるような目的を持たせるためにカテゴリ分けには割と気を使っているつもりです。
まぁ誰が見てるというわけではないんですけども。
それにしても今回は長く書きすぎました。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
25周年というところで3Dリマスター版が2週間限定で上映されておりました。
タイタニックについては以前も語りましたし、もう多くを語る必要はないと思いますが、歴史的超大作ともいえるこの作品はテレビでの放映が少ないのと同じように映画館での再上映も少ないのが特徴です。
映画はできるだけ回数を重ねることで動員数や収入を増やしていくというのは「すずめの戸締まり」が公開当初、東海道新幹線のぞみ号に匹敵する回数で上映されていたのをみてもお判りいただけると思います。
3時間を超える上映時間はそれだけで上映回数を削ります。
また日本では上映権が失効しているため、このような周年でないとみることができないという珍しい作品でもあります。
そんな貴重な映画が久々にスクリーンに登場。
しかも今回は2週間限定上映ということで、
実際、私が見た時もほぼ満員御礼。
なぜか隣2席は空いておりましたが、予約したは良いものの来れなかった人の席でしょう。
来なかったのか、来れなかったのか、ただこれがもし実際のタイタニックであれば幸運です。
もし乗れていたら沈没船に乗ってしまうわけですから。
よくタイタニックで一番幸運なのは冒頭のポーカーに負けたオラフとスヴェンだと言う人がいます。
タイタニックに乗らなくて済んだわけであり、もし乗っていたら彼らも北大西洋のど真ん中で凍え死んだでしょう。
もちろん彼らがポーカーに勝利し、ジャックよろしくローズと素敵な恋をし、あまつさえ生き残った可能性はありますが、港の酒場で賭けポーカーして負けている時点でそんな展開はありません。ギャンブルなんかやるもんじゃありませんよ。ええ。
ただでもギャンブルは常に勝てば良いというわけでもないことをタイタニックは教えてくれています。
まさに人間万事塞翁が馬。
というわけで世の中いつどうなるか、先のことはなかなかわかりません。
読者諸兄もいつ橋の下で寝る夜があるかと思えば、世界一の豪華客船で素敵な人たちとシャンパンを飲むことがあるかはわかりません。そしてその豪華客船が沈没船であるかもしれないということも。
人間いつ、どのタイミングで沈没船に乗り合わせるかなんていうのは予想もできません。
もし沈没船に乗り合わせたら。まずは真っ先に逃げることを考えるべきでしょう。
現代の船はきちんと救命ボートが用意されていますが、そのボートに乗れるとは限りません。
救命ボートに乗る前に船が沈んでしまうことだってあります。
ですからこの船は沈むと気づいたらまずは誰を差し置いても真っ先に逃げるしかないのです。
中には沈みゆく船を沈まないように努力する側の人間として船に乗っている人もいるでしょう。
沈まないよう努力している間に助けが来て、結果として多くの人が助かるかもしれません。
沈みゆく中でも最悪の事態は避けられるだろうという希望を抱きつつ。
しかしこういう回避行動が取れる人間は実際は少ないものです。
タイタニックは不沈艦。沈むことがない船です。確かに自分が乗っている船が沈むとはにわかに信じがたい思いに至る人も多いでしょう。わざわざ極寒の海にボートで逃げるよりも船にいたほうが安全だと思うのも無理はありません。
逃げるタイミングはいくらでもあったはずなのに、逃げたほうがいいはずなのに。
でもそれは結果論でしかありません。
本格的に沈んで、逃げないといけないと認識するころにはもう手遅れになっているものです。
実際のタイタニックでは三等客の多くが逃げる努力もせず亡くなっていきました。
船とともに沈むと決めた人。逃げる努力はせず、祈るように最後の時を待つ人もいるでしょう。
この行動ついて、一説には何世代にもわたって自分がすべきことを社会的地位が上の者に命じられてきたために培われた「禁欲的受動性」によるものではないかとの指摘があります。
船から逃げる時には皆自分のことで手一杯です。誰かが助けてくれるということはありません。
自ら考えて逃げる。という選択をしなければならないのであります。
読者諸兄がもし沈没船に乗り合わせた時。
賢い選択をして少しでも長く生き延びれることを祈っております。
一番いいのは沈没船に乗り合わせないことでしょうが。
●「岩戸鈴芽を感じる三陸の旅」
東日本大震災から12年。
ついこの前のように感じますが、少しずつ遠い過去になろうとしています。
すずめの戸締まりが震災の「風化」を意識している中で、エンターテイメント作品としてもあの震災が描かれるようになりました。それだけの年月を重ねた今、すずめの戸締まりの聖地を見つつ三陸地方を旅してきました。
日程の都合上、宮古から陸前山田→気仙沼を通り仙台へ向かうルートとなっておりまして。
宮古へ行くには安直ですが、盛岡まで新幹線。盛岡からは山田線か106急行のどちらかになります。
106特急なる便がちょうどありまして、これが二階建てバスということでブログネタにも最適と思ったのですが、奇しくも先月は点検で普通のバスによる代走とのこと。というわけで二度と乗らないであろう山田線に乗ることにしました。
実はですね、今回は「座して死を待つ山田線」みたいな感じの記事を考えていました。
現状山田線の本数は全線で1日4往復。対する106急行バスは1時間1本ヘッド。
山田線が2時間半かかるところを特急バスに至っては1時間半で結びます。
快速リアスが13時13分に盛岡を出て宮古に着くのは15時31分。
特急バスは13時45分に盛岡を出て宮古には15時15分。追い抜いちゃうんですね。
これではもう鉄路に勝ち目はありません。こういう中での山田線の現状を見つついろいろと考えていたんですが、いかんせんここ最近の疲れと東北新幹線でちょっとお酒を嗜んだところ相乗効果で山田線は爆睡でした。
乗った次の瞬間宮古に着いていましたので体感としては2分です。山田線爆速。
106特急バスもびっくり。
もう二度と乗らないであろう路線なのに一切風景を見ていません。
もったいないことをしました。
宮古に着くまでに夕方を迎えてしまうので、この日は陸中山田に宿泊。
翌日は織笠駅からスタートです。

全国36700万人のすずめの戸締まりファンの皆様ならもう写真を見ただけで補正されるでしょう。
登場人物と車がどこにあるかを。

駅舎というより待合室ですが、待合室にはダイジンがいます。 #ダイジンといっしょ
ファン有志が作ったというよりは近くの博物館の館長が作ったらしいのですが、聖地巡礼に来るファンのために用意された小道具がうれしいものです。駅ノートも映画公開後はものすごい勢いで埋まっているようで。
できればこのままささやかに続いていってほしいものです。
織笠駅から少し歩いたところにある展望公園に行きますとですね。

後ろ戸が設置されておりました。
マジで扉と申し訳程度の説明文だけが置かれています。
かろうじですずめの戸締まりと書いてあるのでわかりますが、なければまったくもって何が何だかわかりません。というよりこれ夜中に国道走っていて突然扉が現れたら軽くホラーだと思うんですが。

これはすずめちゃんのお母さんが一生懸命作った展望台です(大嘘)
ここからの見晴らしがですね。

防潮堤が山田湾を囲っているのがよく見えます。
三陸ほど定期的に津波の襲来を受けている地域も日本では稀有なものでして。
この地の人たちは海と共に生きるとともに海が見えない生活をしています。
そうでもしなければ生きていけない。そんな過酷な土地です。
この防潮堤がまた来るであろう津波の時に、生き延びるための時間を稼いでくれます。
このあと三陸地方を陸前へ向けて進んでいきますが、常に防潮堤があります。
この地域の宿命ともいえるものでありましょう。
一度駒を宮古へ戻しまして、宮古からは洋風こたつ列車に乗ります。

この後乗るJRの被災線区がBRTでの復旧であったのに対して、前後を三陸鉄道に挟まれていた山田線は鉄路での復旧にこだわっていました。結果として山田線区間はJRが復旧した上で三陸鉄道へ移管という形を取っています。
168㎞にわたる日本最長の第三セクター鉄道の誕生です。
この洋風こたつ列車は宮古からリアス線、南リアス線を走破し盛へ向かう臨時列車です。

車内では予約制で弁当を用意してもらうことができます。
こちらは瓶ドンで、瓶詰された海鮮を自分で載せて食べるというもの。

センスが問われる盛り付けはこんな感じで。
これ瓶に詰めるのが結構大変なんじゃないかなと思います。盛り付けが大変だったので。
盛り付けてしまえば海鮮丼だなんて野暮なことを言ってはいけません。
洋風こたつ列車はボックスシートにこたつを設置しているのですが、熱源のようなものはありません。
どうやら座席下の暖房から来る熱をこたつ布団に溜めているようです。
アイディアですね。この方法なら特別な設備はこたつだけで済みますから応用が利きそうです。

盛からはBRT大船渡線に乗り換えまして、陸前高田を目指します。
BRT化によってかつての軌道は道路に姿を変えましたが、跨線橋や路線名表示に鉄道時代の名残が残ります。
陸前高田も震災の津波によって壊滅した地域であり、復興に際して高台に町の機能の大半を移転させています。
かつての高田松原があった場所に復興記念公園が整備されています。

防潮堤の上には献花台を兼ねた展望台がありまして。
そこからはまだ小さい松原が見ることができました。
やがてこの松が成長すると、ここから海を見渡すことはできなくなるのかもしれません。
聞くとかつてのような景観を取り戻すには半世紀かかるそうです。

震災で失われた高田松原で唯一残った松の木は奇跡の一本松と呼ばれました。
残念ながら枯死してしまいましたが、復興のシンボルとして保存されています。
木としては死んでいることもあり、松の上には避雷針がつけられています。
あくまでも木ではなく、建造物として残っているわけです。
後ろの震災以降はユースホステルの跡です。
このホステルが衝撃を吸収した結果、1本だけ松が残ったそう。

復興記念公園には津波伝承館という施設が併設されています。
館内には震災と津波被害についての記録が残されています。
津波で流された気仙大橋の橋げたは津波の威力を物語るには十分です。
そのほか、震災からいかにして復興を遂げたか。
この施設は津波の被害を伝えるとともにどのようにして立ち上がったかを伝えています。
是非行く機会があれば見ていただきたいと思います。
陸前高田からさらに足を伸ばして気仙沼へ。
気仙沼ではこんなところにも行ってきました。

ここはほぼ前情報なしで行ったものですから、本当に度肝を抜かれました。
震災で被災した水産高校の校舎を震災遺構として保存・公開している施設で、陸前高田の施設が無料であるのに対してここは入館料が発生します。しかし払って見るだけの価値は間違いなくあると思います。
この施設も撮影可能エリアと不可エリアに分かれてまして、可能エリアではいろいろと写真を撮っているんですけれども、あまり前情報はなく行ってほしいという思いもありますので割愛します。
とにかく津波というものの怖さが身をもって痛感させられます。
はたから見ると現役の施設のようにも見えます。
いまも多くの生徒が学んでいそうな、そんな施設に見えます。
ただ目線を落とすと明らかに様子がおかしいのです。
ただただ自然の強大な力の前に、人は無力であるということ。
その強大な力を前にして、いかに対応すべきか。
逃げるという選択肢しかありません。逃げるしかないのです。
生きるために逃げる。そうしなければどうなるか....
何度も何度も津波が襲ってきたこの地域で、先人たちは次こそはこんな悲しい思いをしてほしくないと必死に伝えてきましたが、それでも悲劇は繰り返されてしまいました。人間喉元を過ぎればなんとやら。
どうしても過去のこととして忘れてしまいがちです。
残念ながら津波はまたやってきます。
それが明日なのか?10年後なのか?100年後なのかはわかりません。
でもいつか必ずまたやってくる。その時にどう行動すべきなのか?
東日本大震災の広範囲にわたる被災地の各地にこのような施設が存在します。
今回は紹介した二つの施設だけでしたが、また機会があればほかの施設も見学に行きたいものです。
気仙沼の震災遺構から少し行ったところに道の駅があります。

道の駅 大谷海岸。
ご存じすずめちゃんたちが東北編でゲリラ豪雨から雨宿りしていた場所です。

館内はすずめの戸締まり一色。というわけでもないですが、食事処はすずめ推しです。
原作はまだ読んでいる最中なんですが、原作ではふかひれラーメンを食してたとのこと。
私も食べてみましたが、これがホントに美味しい。
海鮮ラーメンは映えそうな反面、食べるのが大変そうなのでふかひれ、おススメです。

ここ道の駅大谷海岸はもともと気仙沼線の大谷海岸駅でもありました。
今では気仙沼線BRTが乗り入れています。
ここから出るBRTに乗って三陸を後にしました。
さて、今回から「旅の記録」というカテゴリをぶら下げました。
地方私鉄ネタでもない、本当に旅の記録というものはここにぶち込んでいきます。
このウェブログ、誰が見てるというほどのものではないのですが、読み物として暇をつぶせるような目的を持たせるためにカテゴリ分けには割と気を使っているつもりです。
まぁ誰が見てるというわけではないんですけども。
それにしても今回は長く書きすぎました。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
グッバイホエール!
かぐや様、終わっちゃいましたね....こんばんはYAMAでございます。
長らくリアタイ追いかけを放棄していたかぐや様ですが、先ごろ劇場版が公開されたのと原作が完結したのをいい機会と再び原作とアニメを見ておりました。
このウェブログで初めてかぐや様が話題の俎上に載ったのは2020年。
ちょうどコロナが世間を席巻していたころでした。1期放送から1年後。
ちょうど2期を放映していた時期です。
そのころから原作を読み始めて、昨年には待望の3期が放送。
物語は終局へ向かいつつもまだまだアニメは劇場版が公開されるなど、メディアミックス展開を広げていく中で原作の最終回が2022年末になると発表されました。
原作の最終回自体はなんともスッキリしたものでありまして、読了後には爽やかな風が吹き抜けていくような。
そして共に終わってしまったというちょっぴりさみしいものを感じさせます。
ああそうか、これが卒業の感覚か。
アニメの方は劇場版で原作のクリスマス編まで消化しまして。
一部界隈で人気のミコちゃんの「さんぴぃ!?」が映像化です。とてもうれしい。
早く円盤になってくれないだろうか?アマプラ配信でもいいんですが。
映画の方からはなんとなくいったんの区切りを感じさせましたが、まだまだ修学旅行編からクライマックスが残っております。
是非とも残る原作ラストまでの映像化を期待したいところです。
首を長くして待ちましょう。
それにしてもこのPCは常に「かぐや様」を「家具屋様」と変換しやがります。
大体【以下内輪ネタのため削除】
●「長野電鉄2023・冬~N8編成ラストラン~」
長野の鯨、30年の歴史に幕。
長野電鉄では3500系引退を記念して12月24日から1月19日までN8編成引退イベントを行いました。
前回のつづきとなりますが、今回は1月19日。N8編成最終日の様子をメインにお送りします。
前回の記事でも書いた通り、今回の一連のイベントは定期運用とイベント列車、そして貸切団体を募集しての貸切列車の3本が主軸でありました。このうち定期運用は1月17日をもって終了。残る2日間はイベント列車の運行となっています。
そんな長野の鯨のラストデイ、まずは山線区間へと足を伸ばしました。

最終日は山ノ内線に2回入線。
夜の部は信州中野で折り返しなので陽の出る時間のみ湯田中へ向かうことになります。
まずは2022年12月に修繕が完了した夜間瀬鉄橋を渡るシーンから。
綺麗な深緑色の橋梁を渡るのも片手で数えるだけになりました。
かつての年季の入った姿も良かったのですし、むしろこれだけきれいになるともはや模型のような感すら覚えるところではありますが、これもまた差分。綺麗になった後数回だけ、鯨が通ったんだという記録です。

去年はとにかく雪が多かった。
長野だけでなく全国的に多かったのですが、今年と比べると一目瞭然。
年始あたりまでは雪もそれなりにあったようですが、半月でほぼ融けてしまったとのこと。
湯田中で小休止した列車は折り返し山を下ります。

午前のイベントでも夜間瀬鉄橋での撮影者を待つための長時間停車が設定されています。
最終日というところで参加者から送られたという花束が運転台に飾られています。
特段ラストを示す装飾がないなかですが、ささやかながら最期である演出が見られました。

いよいよ最期の山登り。
定番撮影地を外せば人も少ないもの。
りんご畑を横目に湯田中へと向かいます。
何度となく赤く実ったりんごを横目に走った鯨ですが、赤く実ったりんごを見ることなく山ノ内から去ろうとしています。
それにしてもいい天気です。
鯨の卒業に花を添えるような、そんな青空でした。

最後の最後に生まれた案件である須坂表示は夜間瀬鉄橋で。
ここは数多くのギャラリーが集まっておりましたが、キャパも十分。
特段の混乱もなく、例によって別れを惜しむように速度を落としてわたっていきます。

最後の夜間瀬鉄橋渡河。
定期列車では見ることのなかった須坂表示で過ぎ去りました。
ここからは少し先回りして桜沢へ。

前回の記事でも書いた通り、時刻表上は信濃竹原を出ると須坂までノンストップでの運行になっています。ですが、実際には信州中野と桜沢で運転停車がありました。
これを思い出して急遽先回り。長野でも追い出し役となった3000系と離合。
2020年の初導入以来何度となく見ることができたこのシーンも今日で見納めとなります。
陽の出る最後はベタではありますが、朝陽のカーブへ。
最終日とあってかなりの趣味者が集まりましたが、互いに声をかけあって譲り合ってと上手い取り仕切りのおかげもあり、ひな壇を組んで待ち構えます。

沈む夕陽に照らされながら朝陽のカーブを通過していく長電3500系。鯨が見た最後の夕陽です。
多くの人が集まりましたが、ゆえにちょっとした連帯感といいますか、仲間意識すら芽生えていたのでしょう。
通過後には自然と拍手が沸き上がりました。
自分が自分がでなくて、全員で良いものを収めて帰る。
そのためには譲り合いの精神が大切なわけですが、これを万人が共有できればまだまだ鉄道趣味も捨てたものではないんじゃないかなと感じた瞬間でありました。
天気にも恵まれまして、ここらで切り上げて...と思っておりましたが、せっかくの最終日。
最後まで見届けようと須坂駅へ。
須坂ではすでに何人かの趣味者が最期の瞬間に立ち会おうと詰めておりました。
そして20時42分。信州中野から鯨が帰ってきました。

30年間の長旅の終わり。
ラストの装飾もないその姿は、明日も変わらず動きそうに思わせます。
しかしここが長電3500系の終着駅です。

エンド交換の上、最後の入換へ。

留置線側へ移動したN8編成はそのまま長期休車中のN7編成のもとへ。
21時をまわろうという時間になっておりますが、長電伝統のサプライズはここにありました。

N7編成引退イベント以来8カ月ぶりに手を組み4両編成を組成。
さすがに牽引されるN7編成はパンタを下げたままの無動力扱いではありましたが、それでも久々の4両編成には見送っていた趣味者もテンションが上がります。このあと信州中野方へ引き上げて5番線側留置線へN7編成を移動させたあと、N8編成も眠りにつきました。
まさに最後まで見送ってくれた趣味者へ、長野電鉄からの返礼と言わんばかりの思わぬサプライズで最終日、長野電鉄3500系の幕は下りたのでした。
長らく #長野県での捕鯨活動と称して撮影に勤しんでまいりましたが、おかげさまでいろいろな姿を見ることができました。
沿線でもない部外者の人間としては満足できるくらいにはいろいろな思い出があります。
最終日の模様は長野のローカルニュースでも大きく取り上げられまして。
全国ネットでも一部は放送されていたようです。
東京オリンピックに生まれて、東京で30年。
長野オリンピックへ向けて長野にやって来て、そこから30年。
二度目の東京オリンピックを長野で見届けて、60年近い歩みに幕を下ろす。
東京の人にも、長野の人にも愛された車両でありました。
長野県での捕鯨活動もこれで終わり。ではありますが、まだ残っているものがあります。
役目を終えた車両たちが長野電鉄を去っていく。その姿もきちんと記録しようと思います。

最終日の裏番組でL2編成が須坂で解体されていました。
スポットライトを浴びることもなく、ひっそりと、人目に隠れるように。
まだ形のある鯨たちもやがてはこのように須坂を去っていきます。
もう少しだけ捕鯨活動は続けていこうと思っております。
長野はとてもいいところでして。
温泉もあるし、そばは美味しいし、この10年近く通い詰めた中で定期的に行きたくなるようなお店も何件かできました。
鯨がくれた思い出にはこういう鉄道じゃない部分も大部分あります。
たまには鯨に思いを馳せつつ、長野をゆっくり見ていくのも悪くありません。
その時はもう運用を気にする必要もないですしね(笑)
いろんな思い出とともに眠りについた長野の鯨たち。
長電3500系 3600系。本当に長い間おつかれさんでした。
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長らくリアタイ追いかけを放棄していたかぐや様ですが、先ごろ劇場版が公開されたのと原作が完結したのをいい機会と再び原作とアニメを見ておりました。
このウェブログで初めてかぐや様が話題の俎上に載ったのは2020年。
ちょうどコロナが世間を席巻していたころでした。1期放送から1年後。
ちょうど2期を放映していた時期です。
そのころから原作を読み始めて、昨年には待望の3期が放送。
物語は終局へ向かいつつもまだまだアニメは劇場版が公開されるなど、メディアミックス展開を広げていく中で原作の最終回が2022年末になると発表されました。
原作の最終回自体はなんともスッキリしたものでありまして、読了後には爽やかな風が吹き抜けていくような。
そして共に終わってしまったというちょっぴりさみしいものを感じさせます。
ああそうか、これが卒業の感覚か。
アニメの方は劇場版で原作のクリスマス編まで消化しまして。
一部界隈で人気のミコちゃんの「さんぴぃ!?」が映像化です。とてもうれしい。
早く円盤になってくれないだろうか?アマプラ配信でもいいんですが。
映画の方からはなんとなくいったんの区切りを感じさせましたが、まだまだ修学旅行編からクライマックスが残っております。
是非とも残る原作ラストまでの映像化を期待したいところです。
首を長くして待ちましょう。
それにしてもこのPCは常に「かぐや様」を「家具屋様」と変換しやがります。
大体【以下内輪ネタのため削除】
●「長野電鉄2023・冬~N8編成ラストラン~」
長野の鯨、30年の歴史に幕。
長野電鉄では3500系引退を記念して12月24日から1月19日までN8編成引退イベントを行いました。
前回のつづきとなりますが、今回は1月19日。N8編成最終日の様子をメインにお送りします。
前回の記事でも書いた通り、今回の一連のイベントは定期運用とイベント列車、そして貸切団体を募集しての貸切列車の3本が主軸でありました。このうち定期運用は1月17日をもって終了。残る2日間はイベント列車の運行となっています。
そんな長野の鯨のラストデイ、まずは山線区間へと足を伸ばしました。

最終日は山ノ内線に2回入線。
夜の部は信州中野で折り返しなので陽の出る時間のみ湯田中へ向かうことになります。
まずは2022年12月に修繕が完了した夜間瀬鉄橋を渡るシーンから。
綺麗な深緑色の橋梁を渡るのも片手で数えるだけになりました。
かつての年季の入った姿も良かったのですし、むしろこれだけきれいになるともはや模型のような感すら覚えるところではありますが、これもまた差分。綺麗になった後数回だけ、鯨が通ったんだという記録です。

去年はとにかく雪が多かった。
長野だけでなく全国的に多かったのですが、今年と比べると一目瞭然。
年始あたりまでは雪もそれなりにあったようですが、半月でほぼ融けてしまったとのこと。
湯田中で小休止した列車は折り返し山を下ります。

午前のイベントでも夜間瀬鉄橋での撮影者を待つための長時間停車が設定されています。
最終日というところで参加者から送られたという花束が運転台に飾られています。
特段ラストを示す装飾がないなかですが、ささやかながら最期である演出が見られました。

いよいよ最期の山登り。
定番撮影地を外せば人も少ないもの。
りんご畑を横目に湯田中へと向かいます。
何度となく赤く実ったりんごを横目に走った鯨ですが、赤く実ったりんごを見ることなく山ノ内から去ろうとしています。
それにしてもいい天気です。
鯨の卒業に花を添えるような、そんな青空でした。

最後の最後に生まれた案件である須坂表示は夜間瀬鉄橋で。
ここは数多くのギャラリーが集まっておりましたが、キャパも十分。
特段の混乱もなく、例によって別れを惜しむように速度を落としてわたっていきます。

最後の夜間瀬鉄橋渡河。
定期列車では見ることのなかった須坂表示で過ぎ去りました。
ここからは少し先回りして桜沢へ。

前回の記事でも書いた通り、時刻表上は信濃竹原を出ると須坂までノンストップでの運行になっています。ですが、実際には信州中野と桜沢で運転停車がありました。
これを思い出して急遽先回り。長野でも追い出し役となった3000系と離合。
2020年の初導入以来何度となく見ることができたこのシーンも今日で見納めとなります。
陽の出る最後はベタではありますが、朝陽のカーブへ。
最終日とあってかなりの趣味者が集まりましたが、互いに声をかけあって譲り合ってと上手い取り仕切りのおかげもあり、ひな壇を組んで待ち構えます。

沈む夕陽に照らされながら朝陽のカーブを通過していく長電3500系。鯨が見た最後の夕陽です。
多くの人が集まりましたが、ゆえにちょっとした連帯感といいますか、仲間意識すら芽生えていたのでしょう。
通過後には自然と拍手が沸き上がりました。
自分が自分がでなくて、全員で良いものを収めて帰る。
そのためには譲り合いの精神が大切なわけですが、これを万人が共有できればまだまだ鉄道趣味も捨てたものではないんじゃないかなと感じた瞬間でありました。
天気にも恵まれまして、ここらで切り上げて...と思っておりましたが、せっかくの最終日。
最後まで見届けようと須坂駅へ。
須坂ではすでに何人かの趣味者が最期の瞬間に立ち会おうと詰めておりました。
そして20時42分。信州中野から鯨が帰ってきました。

30年間の長旅の終わり。
ラストの装飾もないその姿は、明日も変わらず動きそうに思わせます。
しかしここが長電3500系の終着駅です。

エンド交換の上、最後の入換へ。

留置線側へ移動したN8編成はそのまま長期休車中のN7編成のもとへ。
21時をまわろうという時間になっておりますが、長電伝統のサプライズはここにありました。

N7編成引退イベント以来8カ月ぶりに手を組み4両編成を組成。
さすがに牽引されるN7編成はパンタを下げたままの無動力扱いではありましたが、それでも久々の4両編成には見送っていた趣味者もテンションが上がります。このあと信州中野方へ引き上げて5番線側留置線へN7編成を移動させたあと、N8編成も眠りにつきました。
まさに最後まで見送ってくれた趣味者へ、長野電鉄からの返礼と言わんばかりの思わぬサプライズで最終日、長野電鉄3500系の幕は下りたのでした。
長らく #長野県での捕鯨活動と称して撮影に勤しんでまいりましたが、おかげさまでいろいろな姿を見ることができました。
沿線でもない部外者の人間としては満足できるくらいにはいろいろな思い出があります。
最終日の模様は長野のローカルニュースでも大きく取り上げられまして。
全国ネットでも一部は放送されていたようです。
東京オリンピックに生まれて、東京で30年。
長野オリンピックへ向けて長野にやって来て、そこから30年。
二度目の東京オリンピックを長野で見届けて、60年近い歩みに幕を下ろす。
東京の人にも、長野の人にも愛された車両でありました。
長野県での捕鯨活動もこれで終わり。ではありますが、まだ残っているものがあります。
役目を終えた車両たちが長野電鉄を去っていく。その姿もきちんと記録しようと思います。

最終日の裏番組でL2編成が須坂で解体されていました。
スポットライトを浴びることもなく、ひっそりと、人目に隠れるように。
まだ形のある鯨たちもやがてはこのように須坂を去っていきます。
もう少しだけ捕鯨活動は続けていこうと思っております。
長野はとてもいいところでして。
温泉もあるし、そばは美味しいし、この10年近く通い詰めた中で定期的に行きたくなるようなお店も何件かできました。
鯨がくれた思い出にはこういう鉄道じゃない部分も大部分あります。
たまには鯨に思いを馳せつつ、長野をゆっくり見ていくのも悪くありません。
その時はもう運用を気にする必要もないですしね(笑)
いろんな思い出とともに眠りについた長野の鯨たち。
長電3500系 3600系。本当に長い間おつかれさんでした。
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ホエール・メモリアル
すずめの戸締まり、みなさんはもう見ましたか?
毎回バスタオルがびしょびしょ(比喩表現でなくガチ)になるほど泣いてしまいます
涙腺ホント弱いな。
とにかく毎回開幕のシーンからすでに泣いてしまいます。
あのくらいの年頃の子にあんなことさせるのはよくない。
むかし水曜どうでしょうでアメリカに行ったときに、ビジネスクラスの機内で大泉洋がアルマゲドンを3回見て3回とも泣いていたシーンがありましたけども、あれを見た時にんなばかなwって思ったものですが、実際たぶんすずめの戸締まりは毎回同じ場所で同じくらいむせび泣いてしまうので今なら気持ちがわかります。
監督の最新作が公開されるたびに書いておりますが、我々世代はもはや新海誠という男を「君の名は。」や「天気の子」で知ったような 世代ではなくてですね、それこそ「ほしのこえ」やら「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」で手厳しくやられてきた世代であります。
いつぞや「新海誠の元カノ」という概念が話題になりましたが、まさにその通り。
そんな監督の最新作とあらばすぐに見に行かねばなりません。
初見の感想としては、日本人はこのテーマを受け入れられるようになったんだ。という点に尽きます。
受け入れるようになった。というよりは受け入れられるだろうという空気が出てきたというのが正しいでしょう。
もう3カ月も経ちましたしちょっとぼかしを外して書きましょう。
東日本大震災が絡むという作品であることを伏せた上で、エンタメとして出せるようになった。
出せると制作陣がジャッジしたわけですね。2011年3月11日から11年8カ月を経て。
それと同時にずいぶん直球ドストレートに言いたいことを言わせたな。とも思います。
元来新海誠という監督(これはもう私自身の偏見に満ちた"新海誠"観でしかないんですが)は自分が伝えたいテーマというのをわかりやすく発信するということをしないイメージがあります。
新海誠展なんかでも書いてありましたが、秒速5センチメートルのラスト、あのラストをノベライズやインタビューの通りに受け取るのは正直無理があろうと思われるわけですね。いわばある程度のところまで作ったらあとは受け取り手側に解釈を投げているわけです。
そして受け取った我々は好き勝手、監督が思ったのとは違う解釈をし続け、やられていくわけです。
そう考えると今回のクライマックスはまさに監督があの震災をみて思ったことそのもののように思います。
きっとあのクライマックスを言いたくてたまらなかったんじゃなかろうかと思うわけですね。
ここに至るまでは監督の生い立ちといいますか、結婚して子供が生まれて(よくモテない男性みたいな解釈されてますけども、そんなことはなく妻子がいらっしゃいます)子育てをしていくなかで変わっていったんじゃないかなとも思います。
新海誠らしいさ、らしさってのもわかりにくい概念ですが、今新海誠がこの国に投げた作品はすずめの戸締まり。
これだけは紛れもないことであります。
扱うテーマがテーマですので、ハマる人、ハマらない人ははっきりします。
後半に行くに連れてどんどんとその色は濃くなっていきます。
クライマックスへつながる絵日記のシーンであの日付が出た瞬間、毎度泣いてしまいます。
きっと見ていられないくらいにつらく感じる人もいるでしょう。
正直私は前作が共感性羞恥的な面でダメでして、それと同じようにダメな人はまだ多いと思います。
結局私はあの地震の時、確かに計画停電とかで不便さを感じましたが、家も家族も五体満足だったわけで、被災者ではありません。身内縁者に被災者がいないというのも含めて、この作品を受け止めるベースが違います。
ゆえになかなか勧めにくいところがあります。
私は泣けたけど、もしかしたらあなたは嫌悪感すら抱くかもしれない。
それでも新海誠という監督に興味を持つのなら、見てほしい。
そんな作品でした。
●「長野電鉄2023・冬~N8編成さよならイベント~」
長野の鯨、最期の輝き。
長野電鉄では2022年12月24日から2023年1月19日まで、3500形N8編成の引退に合わせまして各種イベントを実施しました。
そもそも長電の3500形は昨年3月にN7編成がN8編成との4両編成を組んで引退して以降、N8編成のみが残っておりましたが、N7編成の引退からほどなくして営業運用からは離脱し休車状態が長らく続いていました。

構内入換で後輩である3000系と並ぶN8編成。
3500系は2022年度中の引退が既定路線であり、秋口には営団3000系の台車を流用した車両を運行している鉄道各社とコラボし、引退記念入場券の発売がアナウンスされましたが、さよならイベントなどについては具体的なアナウンスがなく、引退へ向けた動きは見られませんでした。
そうした中でも先に引退した編成たちの”終活”は始まりまして。
2022年9月19日にはL2編成が解体作業前に最後の撮影会を実施。
引退からすでに2年近くが経過しており、パンタを上げることもできない悲しい姿ではありましたが、在りし日の最期の姿をファンに見せました。撮影会からほどなくして内装・アスベストの撤去作業が行われています。

作業のために窓や扉などの開口部を養生した姿は最期の瞬間が近いことを物語ります。
このほかN3編成も解体準備のため同様の作業をしておりました。
2022年度以降、動きの少なかった3500形ですが、12月に入り長電より引退記念イベントの詳細が発表されました。
内容は12月24日から1月17日までは定期運用に入り、19日のイベント列車をもって完全引退というもの。
基本的には始発で湯田中へ向かい、午前中は山ノ内線を走る101運用に入っておりましたが、定期運用は長らく避けられていた信州中野停泊や湯田中に行かない運用にも入り、まさにお別れのために作られたスケジュールでありました。
これらの定期列車は当然ですが、乗車券類を所持していれば乗車できます。
対して年明け1月6日からはイベント列車も運行されました。
イベント列車は午前・午後・夜の三部に分かれ、午前・午後は須坂~湯田中~長野~須坂と全線を走破。
夜の部は須坂~長野~信州中野~須坂の経路で運行されました。
特に夜の部は録音専用車両を用意し、自動放送まで流すのをウリにする手の込みよう。
さて、このウェブログではことあるごとに #長野県での捕鯨活動 と称して長野電鉄の様子をお伝えしてまいりました。
30年の歴史が終わる瞬間。これを見ようと最後の捕鯨活動へ行ってきました。

指定時刻に須坂駅へ向かいますと、本日のお車が3番線に据え付けられていました。
散々乗って、撮ってとやりましたし、イベント参加を軸にと考えていましたが、15000円。
1994年の輸送力増強改正のダイヤグラムや長電のグッズに使用できる硬券が付いていますが、15000円。
ちょっと悩む価格設定ですが、最後は全線走破のイベントをと前回の記事でリクエストしていたわけですし、餞別というところで参加してきました。
今回のイベントではイベント列車参加の際に送られてくるメールを見せることで受付時まで1日フリー乗車券の代用として使用できる措置が取られました。参加者への細かい配慮がうれしいですね。
列車は14時10分。須坂駅を後にして湯田中へ向かいます。
途中信州中野で小休止。

信州中野では定期列車のT1編成とのツーショットが見れました。
3500系亡き後、趣味者の注目を集めるのはこの8500系でしょう。
ようやく東京からも姿を消しましたが、ここ長野でも置き換えの足音が迫ります。
テンポが速いように思いますが、個人的には東急が遅いだけだと思います。ええ。
時計の針を少し過去に戻して。

思い出されるのは2019年12月のO2編成引退イベントのとき。
この時は小田急・営団・東急の競演が見られました。

営団3000系が長野に来て長電3500系となり30年。
赤帯を外して営団時代のメモリアル姿となったのは2回あります。
1回は2012年。屋代線廃止前のO6編成。そして2回目がこのO2編成引退時でした。
どちらも非冷房編成でやっているのが長電との解釈一致です。
冷房車でやるのは解釈違いが過ぎる。
一連の3500系引退イベントのさきがけであったこのO2編成引退イベント。
このイベントが盛況であったからこそ、L2編成、N7編成、そしてN8編成と続くことができたのだと思います。
小休止を終えると今回のハイライト、山ノ内線区間へと向かいます。
上りの連続勾配を低くうねりながら登るのもあと数回。
そう思うと感慨深いものがあります。

感慨深いものとともに思い出したのは、山線修行と称して挑んだ日々。
人もまばらな山間を登って、降りて、都会を離れて徐々に長野の山になじんでいった形式でした。
信濃竹原で撮影する参加者を下ろしますが、私はこのまま湯田中まで。
湯田中まで乗る選択をした参加者はごくわずかでした。

こんなところで変な案件を作らないでほしい。と思うんですが。
折り返しはまさかの須坂行。
それはそうで、午後の部の上り列車は須坂で一度切られています。
湯田中発須坂行。
なんて列車が設定された記憶がないのですが、これは盲点でした。
撮らなくちゃいけないじゃないかよっ。なんて嬉しい愚痴はともかく折り返しのお時間です。

夜間瀬鉄橋で撮影していた参加者の合流待ちを兼ねて信濃竹原では10分停車。
ちょっとした撮影会となりました。

運転台に掲示されている検査期限を書いたプレート。
34‐8は平成34年8月の意味で、去年の8月であります。
本来であれば昨夏で終わっていた編成でした。しかし休車期間を経て、来ないはずの34年8月。
終わりの瞬間は来てしまったのでした。
ここからはノンストップで須坂へ向かいます。
しかしこれは時刻表上の話、実際には信州中野で信号待ち。
桜沢で下り列車との交換待ちで停車しているのでノンストップではありません。

須坂まで30分弱の鯨旅。のんびり堪能させてもらいましょう。
優先席でちょっと一杯。
なんて普段の車内なら躊躇してしまう行動がお目こぼしいただけるのも貸切イベントならでは。
お酒片手に鯨の最期の走りを楽しみます。
そういえばかつてはビアトレインなんてのも3600系でやっていましたね。
調べてみると長野から松代へ行く便なんてのもあったようですが、往年のイベント列車の味わいを楽しんでいると列車は須坂駅5番線に到着。ここからは撮影会へと移ります。

須坂駅5番線。ここに降りるとすこしワクワクする自分がいます。
普段は立ち入れないホーム。ここに鯨が停まるのもあと数回です。

30分ほどの時間が用意された撮影会ですが、各コマを30秒ごとに回していくのでは10分もつぶれません。
それもそのはず、L2編成には先述のビアトレインや特急コマがありコマ数が多かったものの、このN8編成は11コマしかありません。5分もすればネタ切れになってしまうわけですね。

一通り表示が終わった後に、リクエストがあれば......ということで参加者からワンマンプレートを裏返した状態でというリクエスト。朝陽の表示ですが、夕陽を浴びています。面白くはないですね。ええ。
このほか小道具を持参していた参加者は特急プレートを出してもらったりと、できる範囲であれば融通を聞かせてこの30分間を有意義にさせていたようですが、結局は間延びしてしまったように思います。
撮っていると思い出したのですが、そういえばこのN8編成。
かつては方向幕が前後で違ったのを覚えてますでしょうか?

撮っていたか不安だったんですが、ありました。
かつてはN8編成の湯田中方、3508号車の方向幕がいわゆる旧幕でした。
調べてみたら2018年5月に現行デザインのものに換装されてしまったようです。
残っていたらイベントの目玉になっていた...かもしれませんね。
撮影会を終えて、朝陽・地下区間へと先回る人間は先行電車で移動します。
さすがに今更両区間で撮っても。というところがありますのでもう少し鯨の最期の走りを楽しみます。

何度となくみた須坂での入換。夕陽を浴びて上り2番線へと入線します。
上り方面では乗る方を選択した参加者も多く、最後の長野半回へと旅立ちます。
朝陽の定番撮影地では速度を落として名残を惜しみ。
8分ほどの停車ののち地下区間へ。

地下区間では上りは市役所前駅で10分間の撮影会。
それぞれが思い思いに最期の時間を楽しみます。
参加者からのリクエストで担当運転士さんに運転台に座っていただき1枚。
前回もそうでしたが、やはりこの姿が見慣れたものであります。

ここでは乗らないで見送ることを選択。
やはりこの形式は地下が一番似合います。
もし営団で更新工事を受けて、赤帯が入れられたら。
この姿に近い姿で日比谷線を駆け抜けたかもしれません。
長野駅まで歩きまして、長野から最期、須坂へと向かいます。

長野駅には「卒業」と書かれた広告が。
もちろん3500系の卒業を記念したものではありませんが、背景の電車も長電を卒業します。
復路、権堂駅でも撮影会がありましたが、ここまで来るともう眺めているだけになってしまいました。
いろんな思い出を思い出しながら。L2編成のラスト、N7編成のラスト。
そしてN8編成のラスト。すべてに参加してよかった。そう思う瞬間であります。
長電3500系最後の旅路。
私がこの電車に乗るのはこの日が最後。
イベント列車はどっぷり日の落ちた善光寺平を名残惜しく進んでいきます。
そして17時43分。時刻通り須坂駅に到着しました。
到着後すぐ入換を行い、留置線へ。

N8編成は翌日の運用に向けて湯田中表示に変更して、短い眠りにつきました。
最期のイベントに参加できてよかった。
そう思う反面。本当の最期に立ち会いたい。
そんな思いを強くさせまして、最終日もまた長野で。
さすがに長くなりましたので最終日の様子はまた別にご紹介しようと思います。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
毎回バスタオルがびしょびしょ(比喩表現でなくガチ)になるほど泣いてしまいます
涙腺ホント弱いな。
とにかく毎回開幕のシーンからすでに泣いてしまいます。
あのくらいの年頃の子にあんなことさせるのはよくない。
むかし水曜どうでしょうでアメリカに行ったときに、ビジネスクラスの機内で大泉洋がアルマゲドンを3回見て3回とも泣いていたシーンがありましたけども、あれを見た時にんなばかなwって思ったものですが、実際たぶんすずめの戸締まりは毎回同じ場所で同じくらいむせび泣いてしまうので今なら気持ちがわかります。
監督の最新作が公開されるたびに書いておりますが、我々世代はもはや新海誠という男を「君の名は。」や「天気の子」で知ったような 世代ではなくてですね、それこそ「ほしのこえ」やら「雲の向こう、約束の場所」「秒速5センチメートル」で手厳しくやられてきた世代であります。
いつぞや「新海誠の元カノ」という概念が話題になりましたが、まさにその通り。
そんな監督の最新作とあらばすぐに見に行かねばなりません。
初見の感想としては、日本人はこのテーマを受け入れられるようになったんだ。という点に尽きます。
受け入れるようになった。というよりは受け入れられるだろうという空気が出てきたというのが正しいでしょう。
もう3カ月も経ちましたしちょっとぼかしを外して書きましょう。
東日本大震災が絡むという作品であることを伏せた上で、エンタメとして出せるようになった。
出せると制作陣がジャッジしたわけですね。2011年3月11日から11年8カ月を経て。
それと同時にずいぶん直球ドストレートに言いたいことを言わせたな。とも思います。
元来新海誠という監督(これはもう私自身の偏見に満ちた"新海誠"観でしかないんですが)は自分が伝えたいテーマというのをわかりやすく発信するということをしないイメージがあります。
新海誠展なんかでも書いてありましたが、秒速5センチメートルのラスト、あのラストをノベライズやインタビューの通りに受け取るのは正直無理があろうと思われるわけですね。いわばある程度のところまで作ったらあとは受け取り手側に解釈を投げているわけです。
そして受け取った我々は好き勝手、監督が思ったのとは違う解釈をし続け、やられていくわけです。
そう考えると今回のクライマックスはまさに監督があの震災をみて思ったことそのもののように思います。
きっとあのクライマックスを言いたくてたまらなかったんじゃなかろうかと思うわけですね。
ここに至るまでは監督の生い立ちといいますか、結婚して子供が生まれて(よくモテない男性みたいな解釈されてますけども、そんなことはなく妻子がいらっしゃいます)子育てをしていくなかで変わっていったんじゃないかなとも思います。
新海誠らしいさ、らしさってのもわかりにくい概念ですが、今新海誠がこの国に投げた作品はすずめの戸締まり。
これだけは紛れもないことであります。
扱うテーマがテーマですので、ハマる人、ハマらない人ははっきりします。
後半に行くに連れてどんどんとその色は濃くなっていきます。
クライマックスへつながる絵日記のシーンであの日付が出た瞬間、毎度泣いてしまいます。
きっと見ていられないくらいにつらく感じる人もいるでしょう。
正直私は前作が共感性羞恥的な面でダメでして、それと同じようにダメな人はまだ多いと思います。
結局私はあの地震の時、確かに計画停電とかで不便さを感じましたが、家も家族も五体満足だったわけで、被災者ではありません。身内縁者に被災者がいないというのも含めて、この作品を受け止めるベースが違います。
ゆえになかなか勧めにくいところがあります。
私は泣けたけど、もしかしたらあなたは嫌悪感すら抱くかもしれない。
それでも新海誠という監督に興味を持つのなら、見てほしい。
そんな作品でした。
●「長野電鉄2023・冬~N8編成さよならイベント~」
長野の鯨、最期の輝き。
長野電鉄では2022年12月24日から2023年1月19日まで、3500形N8編成の引退に合わせまして各種イベントを実施しました。
そもそも長電の3500形は昨年3月にN7編成がN8編成との4両編成を組んで引退して以降、N8編成のみが残っておりましたが、N7編成の引退からほどなくして営業運用からは離脱し休車状態が長らく続いていました。

構内入換で後輩である3000系と並ぶN8編成。
3500系は2022年度中の引退が既定路線であり、秋口には営団3000系の台車を流用した車両を運行している鉄道各社とコラボし、引退記念入場券の発売がアナウンスされましたが、さよならイベントなどについては具体的なアナウンスがなく、引退へ向けた動きは見られませんでした。
そうした中でも先に引退した編成たちの”終活”は始まりまして。
2022年9月19日にはL2編成が解体作業前に最後の撮影会を実施。
引退からすでに2年近くが経過しており、パンタを上げることもできない悲しい姿ではありましたが、在りし日の最期の姿をファンに見せました。撮影会からほどなくして内装・アスベストの撤去作業が行われています。

作業のために窓や扉などの開口部を養生した姿は最期の瞬間が近いことを物語ります。
このほかN3編成も解体準備のため同様の作業をしておりました。
2022年度以降、動きの少なかった3500形ですが、12月に入り長電より引退記念イベントの詳細が発表されました。
内容は12月24日から1月17日までは定期運用に入り、19日のイベント列車をもって完全引退というもの。
基本的には始発で湯田中へ向かい、午前中は山ノ内線を走る101運用に入っておりましたが、定期運用は長らく避けられていた信州中野停泊や湯田中に行かない運用にも入り、まさにお別れのために作られたスケジュールでありました。
これらの定期列車は当然ですが、乗車券類を所持していれば乗車できます。
対して年明け1月6日からはイベント列車も運行されました。
イベント列車は午前・午後・夜の三部に分かれ、午前・午後は須坂~湯田中~長野~須坂と全線を走破。
夜の部は須坂~長野~信州中野~須坂の経路で運行されました。
特に夜の部は録音専用車両を用意し、自動放送まで流すのをウリにする手の込みよう。
さて、このウェブログではことあるごとに #長野県での捕鯨活動 と称して長野電鉄の様子をお伝えしてまいりました。
30年の歴史が終わる瞬間。これを見ようと最後の捕鯨活動へ行ってきました。

指定時刻に須坂駅へ向かいますと、本日のお車が3番線に据え付けられていました。
散々乗って、撮ってとやりましたし、イベント参加を軸にと考えていましたが、15000円。
1994年の輸送力増強改正のダイヤグラムや長電のグッズに使用できる硬券が付いていますが、15000円。
ちょっと悩む価格設定ですが、最後は全線走破のイベントをと前回の記事でリクエストしていたわけですし、餞別というところで参加してきました。
今回のイベントではイベント列車参加の際に送られてくるメールを見せることで受付時まで1日フリー乗車券の代用として使用できる措置が取られました。参加者への細かい配慮がうれしいですね。
列車は14時10分。須坂駅を後にして湯田中へ向かいます。
途中信州中野で小休止。

信州中野では定期列車のT1編成とのツーショットが見れました。
3500系亡き後、趣味者の注目を集めるのはこの8500系でしょう。
ようやく東京からも姿を消しましたが、ここ長野でも置き換えの足音が迫ります。
テンポが速いように思いますが、個人的には東急が遅いだけだと思います。ええ。
時計の針を少し過去に戻して。

思い出されるのは2019年12月のO2編成引退イベントのとき。
この時は小田急・営団・東急の競演が見られました。

営団3000系が長野に来て長電3500系となり30年。
赤帯を外して営団時代のメモリアル姿となったのは2回あります。
1回は2012年。屋代線廃止前のO6編成。そして2回目がこのO2編成引退時でした。
どちらも非冷房編成でやっているのが長電との解釈一致です。
冷房車でやるのは解釈違いが過ぎる。
一連の3500系引退イベントのさきがけであったこのO2編成引退イベント。
このイベントが盛況であったからこそ、L2編成、N7編成、そしてN8編成と続くことができたのだと思います。
小休止を終えると今回のハイライト、山ノ内線区間へと向かいます。
上りの連続勾配を低くうねりながら登るのもあと数回。
そう思うと感慨深いものがあります。

感慨深いものとともに思い出したのは、山線修行と称して挑んだ日々。
人もまばらな山間を登って、降りて、都会を離れて徐々に長野の山になじんでいった形式でした。
信濃竹原で撮影する参加者を下ろしますが、私はこのまま湯田中まで。
湯田中まで乗る選択をした参加者はごくわずかでした。

こんなところで変な案件を作らないでほしい。と思うんですが。
折り返しはまさかの須坂行。
それはそうで、午後の部の上り列車は須坂で一度切られています。
湯田中発須坂行。
なんて列車が設定された記憶がないのですが、これは盲点でした。
撮らなくちゃいけないじゃないかよっ。なんて嬉しい愚痴はともかく折り返しのお時間です。

夜間瀬鉄橋で撮影していた参加者の合流待ちを兼ねて信濃竹原では10分停車。
ちょっとした撮影会となりました。

運転台に掲示されている検査期限を書いたプレート。
34‐8は平成34年8月の意味で、去年の8月であります。
本来であれば昨夏で終わっていた編成でした。しかし休車期間を経て、来ないはずの34年8月。
終わりの瞬間は来てしまったのでした。
ここからはノンストップで須坂へ向かいます。
しかしこれは時刻表上の話、実際には信州中野で信号待ち。
桜沢で下り列車との交換待ちで停車しているのでノンストップではありません。

須坂まで30分弱の鯨旅。のんびり堪能させてもらいましょう。
優先席でちょっと一杯。
なんて普段の車内なら躊躇してしまう行動がお目こぼしいただけるのも貸切イベントならでは。
お酒片手に鯨の最期の走りを楽しみます。
そういえばかつてはビアトレインなんてのも3600系でやっていましたね。
調べてみると長野から松代へ行く便なんてのもあったようですが、往年のイベント列車の味わいを楽しんでいると列車は須坂駅5番線に到着。ここからは撮影会へと移ります。

須坂駅5番線。ここに降りるとすこしワクワクする自分がいます。
普段は立ち入れないホーム。ここに鯨が停まるのもあと数回です。

30分ほどの時間が用意された撮影会ですが、各コマを30秒ごとに回していくのでは10分もつぶれません。
それもそのはず、L2編成には先述のビアトレインや特急コマがありコマ数が多かったものの、このN8編成は11コマしかありません。5分もすればネタ切れになってしまうわけですね。

一通り表示が終わった後に、リクエストがあれば......ということで参加者からワンマンプレートを裏返した状態でというリクエスト。朝陽の表示ですが、夕陽を浴びています。面白くはないですね。ええ。
このほか小道具を持参していた参加者は特急プレートを出してもらったりと、できる範囲であれば融通を聞かせてこの30分間を有意義にさせていたようですが、結局は間延びしてしまったように思います。
撮っていると思い出したのですが、そういえばこのN8編成。
かつては方向幕が前後で違ったのを覚えてますでしょうか?

撮っていたか不安だったんですが、ありました。
かつてはN8編成の湯田中方、3508号車の方向幕がいわゆる旧幕でした。
調べてみたら2018年5月に現行デザインのものに換装されてしまったようです。
残っていたらイベントの目玉になっていた...かもしれませんね。
撮影会を終えて、朝陽・地下区間へと先回る人間は先行電車で移動します。
さすがに今更両区間で撮っても。というところがありますのでもう少し鯨の最期の走りを楽しみます。

何度となくみた須坂での入換。夕陽を浴びて上り2番線へと入線します。
上り方面では乗る方を選択した参加者も多く、最後の長野半回へと旅立ちます。
朝陽の定番撮影地では速度を落として名残を惜しみ。
8分ほどの停車ののち地下区間へ。

地下区間では上りは市役所前駅で10分間の撮影会。
それぞれが思い思いに最期の時間を楽しみます。
参加者からのリクエストで担当運転士さんに運転台に座っていただき1枚。
前回もそうでしたが、やはりこの姿が見慣れたものであります。

ここでは乗らないで見送ることを選択。
やはりこの形式は地下が一番似合います。
もし営団で更新工事を受けて、赤帯が入れられたら。
この姿に近い姿で日比谷線を駆け抜けたかもしれません。
長野駅まで歩きまして、長野から最期、須坂へと向かいます。

長野駅には「卒業」と書かれた広告が。
もちろん3500系の卒業を記念したものではありませんが、背景の電車も長電を卒業します。
復路、権堂駅でも撮影会がありましたが、ここまで来るともう眺めているだけになってしまいました。
いろんな思い出を思い出しながら。L2編成のラスト、N7編成のラスト。
そしてN8編成のラスト。すべてに参加してよかった。そう思う瞬間であります。
長電3500系最後の旅路。
私がこの電車に乗るのはこの日が最後。
イベント列車はどっぷり日の落ちた善光寺平を名残惜しく進んでいきます。
そして17時43分。時刻通り須坂駅に到着しました。
到着後すぐ入換を行い、留置線へ。

N8編成は翌日の運用に向けて湯田中表示に変更して、短い眠りにつきました。
最期のイベントに参加できてよかった。
そう思う反面。本当の最期に立ち会いたい。
そんな思いを強くさせまして、最終日もまた長野で。
さすがに長くなりましたので最終日の様子はまた別にご紹介しようと思います。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
信じたいわ、この未来を
紅白の余韻なんかに浸っていたら年が変わっていました。
本年もよろしくお願いいたします。YAMAでございます。
YouTubeでShortsを流し見てるとadoの新時代とかブラビのTimingとか鈴木雅之の違う、そうじゃないとかが流れてくるのはご存じだと思いますが、そういうネットの流行り楽曲ぜんぶ歌わせてみたみたいな紅白だったなと思います。
ちなみに私はずっと新時代の歌いだしを「信じたいわ」って歌いだしだと思ってました。
Shortsもちゃんと歌詞を載せてほしいものです。
紅白って昔はこう知らん曲というか演歌みたいなのばかり流れてなんともつまらんイメージしかなかったんですが、どうやら我々世代も年を重ねてそういう枠に入ってきたという話を聞いて、年末に残酷なことを書くなぁと感じた次第です。
ただあの時と違うのはネットやらYouTubeやらが発展して、昔の曲を若い世代も触れているということでしょう。
ShortsなんかでのBGMの使い方って言うのはハウスフル制作のバラエティとか、中井正広のブラックバラエティ的な使い方で個人的にはツボに入りやすいんですが、テレビと違ってインターネットというかYouTubeは全世代的に触れれるものなので、昔の紅白にありがちだった世代間分断みたいなのが起こりにくくなったのかな?と感じています。
なにはともあれ、今年の紅白も楽しみですね。ええ。
●「新京成-新年ヘッドマーク電車-を撮る」
年の初めの恒例行事。
今年も新京成では1月1日から15日までの間、新年ヘッドマーク電車が運行されました。

2023年もこの場所からスタートです。
積み重ねていくことの難しさ。ということは毎年語っておりますが、今年は早々にこの場所で撮ることができまして、肩の荷が下りたような、そんな気持ちになりました。
沿線の高校美術部とタイアップし、ヘッドマークは高校生がデザインしているのは今年も同じでして、今回は船橋北高校の生徒さんがデザインしています。

というわけで上下で異なるデザインなわけですが、毎年悩むように松戸方は撮影地が限られるのでこんなカットだけが残る結果というのも例年通りです。
また特筆すべき点は、2020年以降HMが掲出されていた8811Fが検査入場中とのことで、初の千葉線直通非対応編成である8805FにHMが掲出されています。
これは2008年に干支HM電車が始まって以来初めてのこと。
千葉線直通対応の8800形でHMステーを付けているのはほかにも8801Fが存在しましたが、同編成が昨年11月に廃車となったため、必然的に残る8805Fに掲出された。というのが趣味者の推察です。
一時期は1月いっぱい走っていたこの新年ヘッドマーク電車ですが、近年は15日間の運行。
もう少し長ければ撮れる機会も増えるのに。と思いつつ、この記事が日の目を見るころはもはや新年という空気感でもないですし、実際はこの15日間というのがちょうどいい塩梅なのかもしれません。
さて、昨年末に私の近況についてご報告したところですが。
今年からはこんな感じでこのウェブログで見たこと、感じたことを綴ってまいります。
それに合わせまして、ウェブログテンプレートも少し手直しをしました。
改めて書く必要もないと思いつつ、きちんとさせておきたいところなので書いておきますが。
このウェブログは個人運営のウェブログです。
記載している内容はすべて関係諸機関・団体とは一切関係がありません。
このウェブログに記載されている内容について、鉄道事業者等関係諸機関・団体への問い合わせは業務の妨げとなりますので、固くお断りいたします。
近年は出版業界でもこのような注意喚起がなされているようです。
商業誌として出版している出版社も巻末で注意喚起をしておりますし、他のサイト・ウェブログでも同様の注意喚起を確認しています。このウェブログについても他と同様です。
記事の内容に関する疑義につきましては、執筆者である私へお願いいたします。
賢明な読者諸兄におかれましては、そのような迷惑行為に及ばないことを期待しております。
気が付けばこの春で14年目。
高校生活を4回やってもまだ足りない期間が過ぎようとしています。
ちょっと長いROM期間を挟みましたが、続けられる限りは続けていこうと考えています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
本年もよろしくお願いいたします。YAMAでございます。
YouTubeでShortsを流し見てるとadoの新時代とかブラビのTimingとか鈴木雅之の違う、そうじゃないとかが流れてくるのはご存じだと思いますが、そういうネットの流行り楽曲ぜんぶ歌わせてみたみたいな紅白だったなと思います。
ちなみに私はずっと新時代の歌いだしを「信じたいわ」って歌いだしだと思ってました。
Shortsもちゃんと歌詞を載せてほしいものです。
紅白って昔はこう知らん曲というか演歌みたいなのばかり流れてなんともつまらんイメージしかなかったんですが、どうやら我々世代も年を重ねてそういう枠に入ってきたという話を聞いて、年末に残酷なことを書くなぁと感じた次第です。
ただあの時と違うのはネットやらYouTubeやらが発展して、昔の曲を若い世代も触れているということでしょう。
ShortsなんかでのBGMの使い方って言うのはハウスフル制作のバラエティとか、中井正広のブラックバラエティ的な使い方で個人的にはツボに入りやすいんですが、テレビと違ってインターネットというかYouTubeは全世代的に触れれるものなので、昔の紅白にありがちだった世代間分断みたいなのが起こりにくくなったのかな?と感じています。
なにはともあれ、今年の紅白も楽しみですね。ええ。
●「新京成-新年ヘッドマーク電車-を撮る」
年の初めの恒例行事。
今年も新京成では1月1日から15日までの間、新年ヘッドマーク電車が運行されました。

2023年もこの場所からスタートです。
積み重ねていくことの難しさ。ということは毎年語っておりますが、今年は早々にこの場所で撮ることができまして、肩の荷が下りたような、そんな気持ちになりました。
沿線の高校美術部とタイアップし、ヘッドマークは高校生がデザインしているのは今年も同じでして、今回は船橋北高校の生徒さんがデザインしています。

というわけで上下で異なるデザインなわけですが、毎年悩むように松戸方は撮影地が限られるのでこんなカットだけが残る結果というのも例年通りです。
また特筆すべき点は、2020年以降HMが掲出されていた8811Fが検査入場中とのことで、初の千葉線直通非対応編成である8805FにHMが掲出されています。
これは2008年に干支HM電車が始まって以来初めてのこと。
千葉線直通対応の8800形でHMステーを付けているのはほかにも8801Fが存在しましたが、同編成が昨年11月に廃車となったため、必然的に残る8805Fに掲出された。というのが趣味者の推察です。
一時期は1月いっぱい走っていたこの新年ヘッドマーク電車ですが、近年は15日間の運行。
もう少し長ければ撮れる機会も増えるのに。と思いつつ、この記事が日の目を見るころはもはや新年という空気感でもないですし、実際はこの15日間というのがちょうどいい塩梅なのかもしれません。
さて、昨年末に私の近況についてご報告したところですが。
今年からはこんな感じでこのウェブログで見たこと、感じたことを綴ってまいります。
それに合わせまして、ウェブログテンプレートも少し手直しをしました。
改めて書く必要もないと思いつつ、きちんとさせておきたいところなので書いておきますが。
このウェブログは個人運営のウェブログです。
記載している内容はすべて関係諸機関・団体とは一切関係がありません。
このウェブログに記載されている内容について、鉄道事業者等関係諸機関・団体への問い合わせは業務の妨げとなりますので、固くお断りいたします。
近年は出版業界でもこのような注意喚起がなされているようです。
商業誌として出版している出版社も巻末で注意喚起をしておりますし、他のサイト・ウェブログでも同様の注意喚起を確認しています。このウェブログについても他と同様です。
記事の内容に関する疑義につきましては、執筆者である私へお願いいたします。
賢明な読者諸兄におかれましては、そのような迷惑行為に及ばないことを期待しております。
気が付けばこの春で14年目。
高校生活を4回やってもまだ足りない期間が過ぎようとしています。
ちょっと長いROM期間を挟みましたが、続けられる限りは続けていこうと考えています。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
【本記事は予約投稿機能を設定の上、公開しています】
もう二度と帰ってくることは
ご無沙汰しております。
半年ROMっておりました。
この間何をしていたのか?という話は別にしなくてもと思ったのですが、久々にこの画面を見ているわけですし、少しかいつまんでここ最近感じていたことを書いていこうと思います。
・有名税を払うということ
有名税。という言葉があります。
有名であるがゆえに支払うデメリットを税金に例えた言葉です。
私自身、長らくインターネッツの世界に足を踏み入れておりますが、長くやっていけばそれなりに交友関係もできてきますし、Twitterなんかもある程度衆目を集めるようになりました。ちょこちょことツイートが拡散、今風に言えばバズったりもしたわけですが、その度に拡散されてるなあと面白く見ていたのも今は昔です。
ここ数年はありがたいことにアカウント名を名乗ると「見たことがあります」とか「フォロワーです」とかいう方と会う機会も増えてきました。Twitterアカウントがいい意味で"看板"代わりになっていたのも事実です。
そんなYAMA@Rapid103 としてネットで生きているわたくしですが、この日本社会の歯車として生きている面もあります。
どこで何をしてきたのか?という歯車の話をするのは無粋なことなので差し控えますし、今後も公表するつもりはありませんが、世の中にはそういった歯車の面、実生活と結びついている知人がいることも事実です。
こういった実生活と結びついている知人が増えてくるのに、この10年近い年月というのはそう長くない期間だったのでしょう。
少しずつですが、有名税を払ってるんだな。と思う場面が増えてきました。
「どこそこにYAMAがいた」
「この前はあそこに行ってたんでしょ?」
フォローもされていない人間からこう言われる場面が増えてきまして、最初のうちは笑い流しておりました。
まぁこれもある種の有名税かと思って支払っていた部分はあるのですが、ただコロナ禍ともなってくるとそうも行きません。
緊急事態宣言下の行動についてはかなり同調圧力が強かったのは皆さんもご承知でしょう。
そんな折にやれあそこへ出かけてた。遊びに行っていた。なんて話が出ると面倒です。
だからこそ書かなかった部分が多いのですが、そういう自衛策を取った時にふと思いました。
この有名税、支払い続ける必要ある?
有名税の支払いの部分を差し引いてあまりあるはずのメリットが少なくなったと感じたわけです。
・有名税と実害
この記事を書くにあたってちょっと思い出したのがこの一件。
退職しました 新スクの淵から
今ではバリバリ同人作家として順風満帆な笹松しいたけ氏。
フォロワーのフォロワーなので知り合いの知り合いくらい、見たことあるなあっていう感じの方ですが、有名税を通り越して実害を受けてしまった。という記事です。ちなみに日付見たらもう6年以上前で驚きました。
この記事をリアルタイムで見たときには世の中やべぇのもいるものだと思ったのですが、ここ数年、身の回りや知人の知人くらいの距離感の人間が、笹松氏のような案件に遭遇してネットから消えていくのを何度も見ました。
そしてその話を聞くたびに、他人事ではなくなってきたような感覚になったのも覚えております。
ちょうどコロナ禍による自衛策を取っていたころ、この話を思い出しまして。
もう別段リスクを冒してまでTwitterにこだわる必要もないだろうという感情が強くなってまいりました。
とは言いましても連絡手段として使っている面もあります。
そうすぐには「ではみなさんさようなら!」とするのも難しい面がありました。
というわけでTwitterに頼っていた連絡手段を個別にやりとりできる手段に移行しまして。
移行環境を構築できたのが昨年の中頃でした。
昨年の3月から6月にかけてRapid103を非公開にした上で、実験的に過ごしてみたところ、たいして支障がないということを確認できましたので、どこかのタイミングでと考えておりました。
ちょうど昨年11月に新京成8000形が引退しましたので、その前後で本格的に非公開とした上で生活をしています。
非公開にして以降、最近彼はどうしているのか?というような話が出ていたようで。
一部では何かしらのトラブルに遭ったという話もあったそうですが、そういうことでは一切ありません。
そんな話が出たのはご心配をおかけしたのか?はたまたあの人は今?みたいなことなのかわかりませんが、そもそもある程度の付き合いがある方にはこういった話をしていますし、ご心配はありがたいですが、知らないあなたは私にとってその程度です。
ちなみに非公開ではなく、アカウントの削除も考えましたが、先述の通り13年近く続けまして、いい意味で看板となっております。
それにせっかく取得した@Rapid103というIDを捨てるのを生来の貧乏性が拒んだのも本音です。
なにより悪意のある第三者が同じID、同じアイコン、同じスクリーンネームであれやこれやと暴れられても困ります。
アカウント自体は私がコントロールできる状況におきつつ、Twitterから距離を置いた。
というのがほぼ卒業という表現になります。
・Twitterを辞めて思ったこと
こうしてTwitterをほぼ卒業した私ですが、TLを見なくなりますと良いこともあります。
TLを見てると見たくもないのに気分の悪いツイートが流れてきたりもします。
まぁこれは単純にTLの構築に失敗しているだけだろと言われればそこまでですが。
そういった情報から一歩引いて生活するというのは良いものです。
今まではいろんなものが見えすぎていた。この一言に尽きます。
他方で出かけたりしても写真を発表する場がないというのはちょっと困りました。
私自身、写真は人に見てもらって初めて完成する。価値が出ると考えています。
トレーディングカードだって実際にバトルしないと価値がないでしょう。
鉄道模型だって走らせてナンボのものでしょう。それと同じで写真も発表して初めて完成するものだと思いますし、その中で批評にさらされることは自分自身の成長にも寄与するものだと考えていました。
しかし今の自分にはそれを出す場がありません。
今までは何としても1枚くらいは人様に見せられる良いカットをと思って行動していましたが、そのウェイトが小さくなって別の部分のウェイトが大きくなりました。例えば温泉へ行ってのんびりしたり。サウナに入ったり。
気が付けばメインは温泉やら観光になって、撮影はついでになっております。
そんなこんなで気が付けば半年もウェブログの更新が空いてしまいました。
・この先はどうするのか
ほぼ卒業したTwitterですが、最初は全く戻るつもりもなかったものの、かといって根も葉もない死亡説のような変な噂が出ても困るので、最近は月に数回ほどつぶやいております。とは言ってもたまにフォロワーさんと合ったり食事した時にお礼のツイートをするくらいなものですが。
それから地震やらそれこそ安倍氏の事件のときとか、見たくなった時に浮上したりもしています。
今後も時たまに浮上したりするんじゃないかなと思います。見かけた時には笑ってやってください。
先述した笹松氏は現実世界での歯車としての活動を整理しましたが、私はネットの世界を整理した上で、いいとこだけ取ろうという考え。ということができると思います。そんな感じです。
さて、このウェブログの方ですが、来る新年以降はまたいつものように月に1回くらいは何かしらの記事を書いていこうと考えています。やっぱり発表の場というのは大切だとROMっていた半年間で痛感しました。
最近のFC2ブログは凄いですね、半年を経ても広告が出ておりません。
かつては1か月を経過すると広告が出てまして、このみっともなさを回避すべく月イチくらいは書いておこうかなと思った次第なんですが、広告も出ないなら無理にやる必要もなさそうです。
あまり肩肘張らずに。
そもそも日記帳と冠しているわけですから、電車に限らず思ったことを書いていく。
それでもいいのかなとも思っています。
気が付けばもう年の瀬にもなりました。
多くの有名人がこの世を去り、凄惨な事件が発生し。
他方でいろんな幸せもあったような。そんな一年だったと思っています。
今年は皆さまにとってどんな一年だったでしょうか?
来る新年がよい年であることを祈って、今回はこんなところで筆を置こうと思います。
よいお年を。
半年ROMっておりました。
この間何をしていたのか?という話は別にしなくてもと思ったのですが、久々にこの画面を見ているわけですし、少しかいつまんでここ最近感じていたことを書いていこうと思います。
・有名税を払うということ
有名税。という言葉があります。
有名であるがゆえに支払うデメリットを税金に例えた言葉です。
私自身、長らくインターネッツの世界に足を踏み入れておりますが、長くやっていけばそれなりに交友関係もできてきますし、Twitterなんかもある程度衆目を集めるようになりました。ちょこちょことツイートが拡散、今風に言えばバズったりもしたわけですが、その度に拡散されてるなあと面白く見ていたのも今は昔です。
ここ数年はありがたいことにアカウント名を名乗ると「見たことがあります」とか「フォロワーです」とかいう方と会う機会も増えてきました。Twitterアカウントがいい意味で"看板"代わりになっていたのも事実です。
そんなYAMA@Rapid103 としてネットで生きているわたくしですが、この日本社会の歯車として生きている面もあります。
どこで何をしてきたのか?という歯車の話をするのは無粋なことなので差し控えますし、今後も公表するつもりはありませんが、世の中にはそういった歯車の面、実生活と結びついている知人がいることも事実です。
こういった実生活と結びついている知人が増えてくるのに、この10年近い年月というのはそう長くない期間だったのでしょう。
少しずつですが、有名税を払ってるんだな。と思う場面が増えてきました。
「どこそこにYAMAがいた」
「この前はあそこに行ってたんでしょ?」
フォローもされていない人間からこう言われる場面が増えてきまして、最初のうちは笑い流しておりました。
まぁこれもある種の有名税かと思って支払っていた部分はあるのですが、ただコロナ禍ともなってくるとそうも行きません。
緊急事態宣言下の行動についてはかなり同調圧力が強かったのは皆さんもご承知でしょう。
そんな折にやれあそこへ出かけてた。遊びに行っていた。なんて話が出ると面倒です。
だからこそ書かなかった部分が多いのですが、そういう自衛策を取った時にふと思いました。
この有名税、支払い続ける必要ある?
有名税の支払いの部分を差し引いてあまりあるはずのメリットが少なくなったと感じたわけです。
・有名税と実害
この記事を書くにあたってちょっと思い出したのがこの一件。
退職しました 新スクの淵から
今ではバリバリ同人作家として順風満帆な笹松しいたけ氏。
フォロワーのフォロワーなので知り合いの知り合いくらい、見たことあるなあっていう感じの方ですが、有名税を通り越して実害を受けてしまった。という記事です。ちなみに日付見たらもう6年以上前で驚きました。
この記事をリアルタイムで見たときには世の中やべぇのもいるものだと思ったのですが、ここ数年、身の回りや知人の知人くらいの距離感の人間が、笹松氏のような案件に遭遇してネットから消えていくのを何度も見ました。
そしてその話を聞くたびに、他人事ではなくなってきたような感覚になったのも覚えております。
ちょうどコロナ禍による自衛策を取っていたころ、この話を思い出しまして。
もう別段リスクを冒してまでTwitterにこだわる必要もないだろうという感情が強くなってまいりました。
とは言いましても連絡手段として使っている面もあります。
そうすぐには「ではみなさんさようなら!」とするのも難しい面がありました。
というわけでTwitterに頼っていた連絡手段を個別にやりとりできる手段に移行しまして。
移行環境を構築できたのが昨年の中頃でした。
昨年の3月から6月にかけてRapid103を非公開にした上で、実験的に過ごしてみたところ、たいして支障がないということを確認できましたので、どこかのタイミングでと考えておりました。
ちょうど昨年11月に新京成8000形が引退しましたので、その前後で本格的に非公開とした上で生活をしています。
非公開にして以降、最近彼はどうしているのか?というような話が出ていたようで。
一部では何かしらのトラブルに遭ったという話もあったそうですが、そういうことでは一切ありません。
そんな話が出たのはご心配をおかけしたのか?はたまたあの人は今?みたいなことなのかわかりませんが、そもそもある程度の付き合いがある方にはこういった話をしていますし、ご心配はありがたいですが、知らないあなたは私にとってその程度です。
ちなみに非公開ではなく、アカウントの削除も考えましたが、先述の通り13年近く続けまして、いい意味で看板となっております。
それにせっかく取得した@Rapid103というIDを捨てるのを生来の貧乏性が拒んだのも本音です。
なにより悪意のある第三者が同じID、同じアイコン、同じスクリーンネームであれやこれやと暴れられても困ります。
アカウント自体は私がコントロールできる状況におきつつ、Twitterから距離を置いた。
というのがほぼ卒業という表現になります。
・Twitterを辞めて思ったこと
こうしてTwitterをほぼ卒業した私ですが、TLを見なくなりますと良いこともあります。
TLを見てると見たくもないのに気分の悪いツイートが流れてきたりもします。
まぁこれは単純にTLの構築に失敗しているだけだろと言われればそこまでですが。
そういった情報から一歩引いて生活するというのは良いものです。
今まではいろんなものが見えすぎていた。この一言に尽きます。
他方で出かけたりしても写真を発表する場がないというのはちょっと困りました。
私自身、写真は人に見てもらって初めて完成する。価値が出ると考えています。
トレーディングカードだって実際にバトルしないと価値がないでしょう。
鉄道模型だって走らせてナンボのものでしょう。それと同じで写真も発表して初めて完成するものだと思いますし、その中で批評にさらされることは自分自身の成長にも寄与するものだと考えていました。
しかし今の自分にはそれを出す場がありません。
今までは何としても1枚くらいは人様に見せられる良いカットをと思って行動していましたが、そのウェイトが小さくなって別の部分のウェイトが大きくなりました。例えば温泉へ行ってのんびりしたり。サウナに入ったり。
気が付けばメインは温泉やら観光になって、撮影はついでになっております。
そんなこんなで気が付けば半年もウェブログの更新が空いてしまいました。
・この先はどうするのか
ほぼ卒業したTwitterですが、最初は全く戻るつもりもなかったものの、かといって根も葉もない死亡説のような変な噂が出ても困るので、最近は月に数回ほどつぶやいております。とは言ってもたまにフォロワーさんと合ったり食事した時にお礼のツイートをするくらいなものですが。
それから地震やらそれこそ安倍氏の事件のときとか、見たくなった時に浮上したりもしています。
今後も時たまに浮上したりするんじゃないかなと思います。見かけた時には笑ってやってください。
先述した笹松氏は現実世界での歯車としての活動を整理しましたが、私はネットの世界を整理した上で、いいとこだけ取ろうという考え。ということができると思います。そんな感じです。
さて、このウェブログの方ですが、来る新年以降はまたいつものように月に1回くらいは何かしらの記事を書いていこうと考えています。やっぱり発表の場というのは大切だとROMっていた半年間で痛感しました。
最近のFC2ブログは凄いですね、半年を経ても広告が出ておりません。
かつては1か月を経過すると広告が出てまして、このみっともなさを回避すべく月イチくらいは書いておこうかなと思った次第なんですが、広告も出ないなら無理にやる必要もなさそうです。
あまり肩肘張らずに。
そもそも日記帳と冠しているわけですから、電車に限らず思ったことを書いていく。
それでもいいのかなとも思っています。
気が付けばもう年の瀬にもなりました。
多くの有名人がこの世を去り、凄惨な事件が発生し。
他方でいろんな幸せもあったような。そんな一年だったと思っています。
今年は皆さまにとってどんな一年だったでしょうか?
来る新年がよい年であることを祈って、今回はこんなところで筆を置こうと思います。
よいお年を。
騒がしい日々と笑えないぼく
あっという間に梅雨が終わったかと思ったら、真夏の様相。
この6月は記録的な猛暑ということで、先が本当に思いやられます。
夏の暑さが体力を奪い、憂鬱な空気を増幅させていきますが、それ以上にこの国を重く憂鬱な空気にさせているのは参院選の最中に起こった安倍元首相の銃撃事件でしょう。
いつぞや、京都アニメーションの放火事件の際にも思いましたが、理不尽な力に対して個人というのは本当に儚く、そして無力なものです。今回の一件を起点にそんな思いを日々募らせています。
この国で、総理大臣を務めた与党最大派閥の長が、素人の作った手製の銃で簡単に命を奪われてしまう。
そんなことが起こるとは誰も想像つかなかったでしょう。
故に我々に与えた衝撃というのは言葉では言い表せないものがあります。
実は亡くなる数日前、松戸駅前で参院選立候補者の応援演説を安倍さんがしていました。
駅前にあふれる安倍さんの来松を知らせる看板。
見に行こうかと思って結局いかなかったのですが、今思えば行っておくべきでした。

まだ内閣総理大臣にあったころの安倍さんが松戸で応援演説していた時の写真です。
まだまだ悪夢の民主党政権の記憶が鮮明だったころですから、安倍さんの演説の力強さには安心感を覚えました。そんな感覚は正しかったようで、安倍さんは総理として憲政史上最長の在任期間を務めていきます。
事件後、各国首脳から弔意が寄せられ、喪に服す国も出てくることに、安倍さんがいかにこの国に、世界に貢献していたかを日本国民の一人として痛感させられます。
改めて惜しい人を亡くしたのだと実感させられます。
日が経つにつれて犯人の動機も伝えられるようになってきました。
事件の解明を望むところですが、宗教絡みというセンシティブな動機故に、故人を責める向きも出てきています。秋には国葬を執り行う方針が出ておりますが、これについても賛否が割れています。
死してもなお議論を呼び、批判される。そんな政治家は今までいなかったように思います。
安倍さんの訃報から少し経った頃、民主党政権で財務大臣を務めた藤井裕久氏の訃報が届きました。
政治家がこの世を去っていくというのは日常的なことであります。
それでも事件から少し経ち、未だに思うところが強いのは、やはり安倍さんが功罪や好き嫌いを超えて、善かれ悪しかれ、我々が生きた「平成」という時代を象徴していた人物だったからじゃないでしょうか?
「激動の昭和」とはよく言われることですが、令和になって4年。
現在進行形で流行り病が猛威を振るい、海外を見れば侵略戦争があり、そして総理大臣経験者が凶弾に倒れる。まさに昭和初頭のような「激動の令和」を今生きている我々からすれば、平成もたいがい大変な時代ではありましたが、それでも平成の時代は「内平らかに外成る」の言葉を体現したいい時代だったのではないかなと思います。
平成30年間のうち、およそ3分の1を安倍さんは総理大臣としてこの国のかじ取りをしていました。
平成の後半から終わりにかけての時代に総理を務めていた、そんな「平成」を象徴した人物のあまりにも突然のショッキングな最期に、どうも我々は大きな喪失感と言いますか、なんとかして一命を取り留めることができなかったのか、そんな悔しさといいますか、とにかく負の感情から抜け出せない。そんな日々が続いています。
あまり政治的な話題はしないようにしておりますが、個人的には政治家の死というよりも、平成という時代を象徴した人物の突然の死ととらえています。
ゆえになかなか気持ちの整理がつかないところはありますが。
今はただ、安倍晋三元総理大臣のご冥福をお祈りするばかりです。
●「北総鉄道50周年ツアー」
この会社は周年イベントが多すぎる。と思うのは私だけでしょうか?
北総鉄道では先ごろ、創立50周年を迎えたというところで、ここ最近様々なイベントを行っています。
思えば北総鉄道の歴史を振り返りますと、順風満帆な歴史ではないのはご存知の通りでして、ご存じで無い方は期間限定で北総鉄道の社史がウェブで公開されておりますので是非ご覧ください。
とにかく北総鉄道の歴史は増収策を打ち出す歴史であり、それはコロナ禍で苦しんでいる今も生きています。
そんな中、50周年記念で印旛車両基地公開のツアーが京成トラベルと連携して行われました。
7000円という参加費ですが、いわゆる一都三県のうち東京都を除く三県居住者は実質5000円キャッシュバックという言葉につられて参加してきましたので、今日はその話です。

旅の始まりは矢切駅。
なんとも集合するには不便な場所ですが、広めのコンコースと2面4線折り返し可能というところで、この手のツアーでは起点駅として設定されることが多い印象です。
発車までしばらく時間がありましたので、選択扉が使用されていました。
車内保温というよりはむやみな乗降を避ける意味合いでしょうが、営業列車ではまず見られない地下駅での選択扉というところで非常にテンションが上がりました。テンション上がるポイントがニッチすぎる。

集合から発車までえらい時間がかかったのですが、どうやら先述の千葉とく旅キャンペーンの返金事務作業に時間がかかるのを見越しての集合時刻だったようです。それにしたって8時に集合は早すぎると思うんだ。
特に目立った混乱もなく、臨時列車は矢切駅を発車、印旛日本医大へ向かいます。
今回の行程は往路印旛日本医大まで走破し引上線に入線。
折り返しは印西牧の原へ向かい印旛車両基地へ。
撮影イベントを楽しんだ後印旛車両基地から矢切へと戻る半日もかからないコースです。

ツアーのタイトルにもあるように記念HM列車でいくツアーです。
印旛車両基地最奥の洗浄線にて参加者を降車させまして撮影会へまいります。
ちなみに今回の主役ともいうべき7502はここでイベント終了を待ちます。

撮影会は7308 7828 9128の3編成が用意されました。
いかにもその辺で暇しているやつを呼んできました!と言わんばかりの北総鉄道の主力を担う3編成の並び。
特に9100形はお子様からの人気が絶大だそうで、撮影会中も親子連れはシーフライヤーに夢中でした。
中には9100と7500を入換してなんていう意見もありましたが、感想は人それぞれです。ええ。
見学イベントは各セクション15分交代となっていましたが、表示も変わらない15分というのは長いもので、ちょっと中だるみしている印象がありました。この辺は事前にアンケートで見たい行先・種別を集計して上位のモノを出すとか一工夫あると飽きさせないのかなと思います。

9100形は8900形と同じく3編成だけの少数勢力でして。
ただそんな形式が車両基地で顔を並べるとまさに北総の主力として活躍しているように見えてちょっとエモいなと個人的に思います。9100形が20編成くらい増備されてる世界線もまた見てみたくない?見てみたいですよね。そうですよね。

7300形と7800形には2期線30周年HMと開業40周年HMがつけられました。
だからこそ7502Fの創立50周年HMが並べば30 40 50と綺麗になったのですが...と悔やまれるところ。
表示はそれぞれご覧の特急西馬込と普通浅草橋で固定でした。
このチョイスはどのような意味が?と推理していましたが、あまり有意義な時間の使い方ではないと悟ってやめました。
この日は本当に猛暑でして。
どのくらいかと言えば矢切で買った麦茶がホット麦茶になる程度には暑かったです。
炎天下の中電車を取るというのがつらくなってきましたが。
それでもやっぱりカメラを持ってこういうイベントに行くとこだわってしまうもの。
なんやかんや楽しめたイベントでした。
今後もいろいろなイベントを展開していくようですが、回を重ねるごとに面白さを増すようになっていくと、参加者としても参加のし甲斐があるのではないかなと感じています。
個人的な意見ですが、次回はまた西白井の7000形が見れるイベントとかあると行ってみたいです。
そしてそれをやるなら、できれば暑さの和らいだころに(笑)
最後になりますが、お会いした皆さま、関係者の皆さま、暑い中お疲れ様でした。
そして北総鉄道創立50周年。まことにおめでとうございます。
【この記事は予約投稿で公開しています】
この6月は記録的な猛暑ということで、先が本当に思いやられます。
夏の暑さが体力を奪い、憂鬱な空気を増幅させていきますが、それ以上にこの国を重く憂鬱な空気にさせているのは参院選の最中に起こった安倍元首相の銃撃事件でしょう。
いつぞや、京都アニメーションの放火事件の際にも思いましたが、理不尽な力に対して個人というのは本当に儚く、そして無力なものです。今回の一件を起点にそんな思いを日々募らせています。
この国で、総理大臣を務めた与党最大派閥の長が、素人の作った手製の銃で簡単に命を奪われてしまう。
そんなことが起こるとは誰も想像つかなかったでしょう。
故に我々に与えた衝撃というのは言葉では言い表せないものがあります。
実は亡くなる数日前、松戸駅前で参院選立候補者の応援演説を安倍さんがしていました。
駅前にあふれる安倍さんの来松を知らせる看板。
見に行こうかと思って結局いかなかったのですが、今思えば行っておくべきでした。

まだ内閣総理大臣にあったころの安倍さんが松戸で応援演説していた時の写真です。
まだまだ悪夢の民主党政権の記憶が鮮明だったころですから、安倍さんの演説の力強さには安心感を覚えました。そんな感覚は正しかったようで、安倍さんは総理として憲政史上最長の在任期間を務めていきます。
事件後、各国首脳から弔意が寄せられ、喪に服す国も出てくることに、安倍さんがいかにこの国に、世界に貢献していたかを日本国民の一人として痛感させられます。
改めて惜しい人を亡くしたのだと実感させられます。
日が経つにつれて犯人の動機も伝えられるようになってきました。
事件の解明を望むところですが、宗教絡みというセンシティブな動機故に、故人を責める向きも出てきています。秋には国葬を執り行う方針が出ておりますが、これについても賛否が割れています。
死してもなお議論を呼び、批判される。そんな政治家は今までいなかったように思います。
安倍さんの訃報から少し経った頃、民主党政権で財務大臣を務めた藤井裕久氏の訃報が届きました。
政治家がこの世を去っていくというのは日常的なことであります。
それでも事件から少し経ち、未だに思うところが強いのは、やはり安倍さんが功罪や好き嫌いを超えて、善かれ悪しかれ、我々が生きた「平成」という時代を象徴していた人物だったからじゃないでしょうか?
「激動の昭和」とはよく言われることですが、令和になって4年。
現在進行形で流行り病が猛威を振るい、海外を見れば侵略戦争があり、そして総理大臣経験者が凶弾に倒れる。まさに昭和初頭のような「激動の令和」を今生きている我々からすれば、平成もたいがい大変な時代ではありましたが、それでも平成の時代は「内平らかに外成る」の言葉を体現したいい時代だったのではないかなと思います。
平成30年間のうち、およそ3分の1を安倍さんは総理大臣としてこの国のかじ取りをしていました。
平成の後半から終わりにかけての時代に総理を務めていた、そんな「平成」を象徴した人物のあまりにも突然のショッキングな最期に、どうも我々は大きな喪失感と言いますか、なんとかして一命を取り留めることができなかったのか、そんな悔しさといいますか、とにかく負の感情から抜け出せない。そんな日々が続いています。
あまり政治的な話題はしないようにしておりますが、個人的には政治家の死というよりも、平成という時代を象徴した人物の突然の死ととらえています。
ゆえになかなか気持ちの整理がつかないところはありますが。
今はただ、安倍晋三元総理大臣のご冥福をお祈りするばかりです。
●「北総鉄道50周年ツアー」
この会社は周年イベントが多すぎる。と思うのは私だけでしょうか?
北総鉄道では先ごろ、創立50周年を迎えたというところで、ここ最近様々なイベントを行っています。
思えば北総鉄道の歴史を振り返りますと、順風満帆な歴史ではないのはご存知の通りでして、ご存じで無い方は期間限定で北総鉄道の社史がウェブで公開されておりますので是非ご覧ください。
とにかく北総鉄道の歴史は増収策を打ち出す歴史であり、それはコロナ禍で苦しんでいる今も生きています。
そんな中、50周年記念で印旛車両基地公開のツアーが京成トラベルと連携して行われました。
7000円という参加費ですが、いわゆる一都三県のうち東京都を除く三県居住者は実質5000円キャッシュバックという言葉につられて参加してきましたので、今日はその話です。

旅の始まりは矢切駅。
なんとも集合するには不便な場所ですが、広めのコンコースと2面4線折り返し可能というところで、この手のツアーでは起点駅として設定されることが多い印象です。
発車までしばらく時間がありましたので、選択扉が使用されていました。
車内保温というよりはむやみな乗降を避ける意味合いでしょうが、営業列車ではまず見られない地下駅での選択扉というところで非常にテンションが上がりました。テンション上がるポイントがニッチすぎる。

集合から発車までえらい時間がかかったのですが、どうやら先述の千葉とく旅キャンペーンの返金事務作業に時間がかかるのを見越しての集合時刻だったようです。それにしたって8時に集合は早すぎると思うんだ。
特に目立った混乱もなく、臨時列車は矢切駅を発車、印旛日本医大へ向かいます。
今回の行程は往路印旛日本医大まで走破し引上線に入線。
折り返しは印西牧の原へ向かい印旛車両基地へ。
撮影イベントを楽しんだ後印旛車両基地から矢切へと戻る半日もかからないコースです。

ツアーのタイトルにもあるように記念HM列車でいくツアーです。
印旛車両基地最奥の洗浄線にて参加者を降車させまして撮影会へまいります。
ちなみに今回の主役ともいうべき7502はここでイベント終了を待ちます。

撮影会は7308 7828 9128の3編成が用意されました。
特に9100形はお子様からの人気が絶大だそうで、撮影会中も親子連れはシーフライヤーに夢中でした。
中には9100と7500を入換してなんていう意見もありましたが、感想は人それぞれです。ええ。
見学イベントは各セクション15分交代となっていましたが、表示も変わらない15分というのは長いもので、ちょっと中だるみしている印象がありました。この辺は事前にアンケートで見たい行先・種別を集計して上位のモノを出すとか一工夫あると飽きさせないのかなと思います。

9100形は8900形と同じく3編成だけの少数勢力でして。
ただそんな形式が車両基地で顔を並べるとまさに北総の主力として活躍しているように見えてちょっとエモいなと個人的に思います。9100形が20編成くらい増備されてる世界線もまた見てみたくない?見てみたいですよね。そうですよね。

7300形と7800形には2期線30周年HMと開業40周年HMがつけられました。
だからこそ7502Fの創立50周年HMが並べば30 40 50と綺麗になったのですが...と悔やまれるところ。
表示はそれぞれご覧の特急西馬込と普通浅草橋で固定でした。
このチョイスはどのような意味が?と推理していましたが、あまり有意義な時間の使い方ではないと悟ってやめました。
この日は本当に猛暑でして。
どのくらいかと言えば矢切で買った麦茶がホット麦茶になる程度には暑かったです。
炎天下の中電車を取るというのがつらくなってきましたが。
それでもやっぱりカメラを持ってこういうイベントに行くとこだわってしまうもの。
なんやかんや楽しめたイベントでした。
今後もいろいろなイベントを展開していくようですが、回を重ねるごとに面白さを増すようになっていくと、参加者としても参加のし甲斐があるのではないかなと感じています。
個人的な意見ですが、次回はまた西白井の7000形が見れるイベントとかあると行ってみたいです。
そしてそれをやるなら、できれば暑さの和らいだころに(笑)
最後になりますが、お会いした皆さま、関係者の皆さま、暑い中お疲れ様でした。
そして北総鉄道創立50周年。まことにおめでとうございます。
【この記事は予約投稿で公開しています】
道なき道を走っていく
しばらくご無沙汰しておりました。
少し忙しさに感けておりましたら、気が付けば世間は梅雨を迎えております。
毎年どころか毎回いつも同じ話をしているような気がしますが、ジメっとしていた季節が始まり、1か月半もすればまた暑い夏がやってくる。そこからまた1か月半すれば秋がやってきて、すぐ冬が来て1年の終わりを迎える。
1年というのはあっという間に過ぎてしまうものです。
そんな今日この頃、久々にPSYCHO-PASSなんてタイトルを見直していました。
見始めたきっかけは大したことなくて、花澤香菜が刑事の役といえばやっぱり常守朱だよなあと思ったからというそれ以上でもそれ以下でもない理由です。
なんと気が付けば本放送は10年前だそうですが、古さを感じないのはシリーズが踊る大捜査線よろしく定期的に新作を届けてくれているからでしょう。
私も最新作であるシーズン3前後のストーリーは見ていませんでしたので、この機会にシーズン1から改めて見直した次第です。
ネタばれは避けたいところですが、シーズン3デハ常守監視官が捜査一課から外れており、ここに至る経緯は断片的にのみ語られているだけです。
劇場版3のラストを見る限りまだまだ常守朱とシビュラの物語は続いていきそうですが、今のところは続編についてのアナウンスは無し。
このままでは不完全燃焼気味ですから是非とも続編をと思うところです。
●「試される東北新幹線」
ご無沙汰していた間何をしてたか?という話はまた改めてするとしまして、今日はこの話題です。
少し前になりますが、今年3月、福島沖を震源とする強い地震が襲いました。
これにより東北新幹線が1か月近く不通になっていたのは記憶に新しいかと思います。
さらに1年前にも同じく福島沖で地震があり東北新幹線が不通になっております。
おりしもこの東北新幹線が不通だった期間中に仙台まで足を延ばす機会がありましたが、この不通期間中、主に2ルートを使用して東北方面のアクセスが確保されていました。
一つは東北新幹線の被害が比較的小さく運転再開した区間を乗り継いでいくルート。
東京から那須塩原まではすぐに再開しましたが那須塩原から盛岡までの再開にはかなり時間を要したのはご存知の通りだと思います。
この期間中、復旧状況に合わせて東北本線を使用した臨時快速列車が運行されました。
使用されたのは仙台以南が新潟と勝田に配置されているE653系で、仙台以北はキハ110を使用。
地震から5日後には通常よりも時間がかかるものの鉄路での輸送手段が確保されていました。
当初は郡山~仙台だった仙台以南の臨時列車は復旧状況に応じて福島~仙台へ短縮。
全線運転再開前日の4月13日まで運行されました。

臨時快速ということで全車両自由席であり、いなほでおなじみの3列グリーン席も追加料金不要で利用することが出来ました。
とはいえ郡山/福島での乗換えは新幹線10両編成(つばさ併結なら17両)から7両編成への乗り換えであり、日によっては普通車の座席も含めて満席となってしまう状況だったとの事。
私が利用した際はなんとか座ることができましたが、それでも9割方が埋まる状況でした。

勝田所属の国鉄色K70編成が仙台に停まる。
天災によるものですから喜ぶべきではありませんが、かつて花形特急が多数往来した東北本線を在来線特急車両が走る姿が令和の時代に見れる。というのはすごいものがあります。
新幹線が発達しなかった世界線というのは考えにくいですが、車両の技術革新、もしくは新幹線建設の遅れがあればこのような日常が揃ったのかもしれません。
そして東北本線以上に意外なバイパスルートとして存在感を示したのが、常磐線でした。
2020年の全線復旧以降、1日3往復が品川~仙台を結んでおりますが、2021年の地震では東北新幹線よりも早期に復旧できたため、定期列車に加えていわき~仙台間延長運転となる臨時快速列車を運行。
4往復体制で仙台から首都圏を乗り換えなしで結びました。
臨時快速は仙台~いわき間は普通車全車自由席扱い。
当該区間のグリーン券は販売しない方式とされ、いわき発着のグリーン券を所持している場合のみ利用可能とされました。
そのため側面の行き先表示器はグリーン車以外が快速仙台【自由席】
グリーン車は【指定席】と表示されていました。
ちなみにこのE657系の行き先表示器ですがかなり優秀でして。
先日いわき駅構内で行われた夜間撮影会では様々な種別行き先の組み合わせを披露しておりました。
東日本管内の電化区間であればほぼ全区間走行できるだけあります。
2022年の地震では常磐線も被害を受け、復旧までに半月ほど要しましたが、復旧後は速度を落とす必要があった為、定期列車も含めていわき~仙台間は臨時快速列車として4往復運転されました。
常磐線ルートは所要時間がかかりるものの、やはり乗換えが無いというのは強いようで、通常より利用客が多かったようです。
震災前の本来計画であればいわきで系統が分離されるはずだった常磐線特急ですが、東日本大震災での被災と復旧。そして新型車両での直通運転と、取り巻く環境が変わった結果、異常時のバイパスとして機能するようになったのは感慨深い思いがあります。
これらの臨時列車による輸送も、東北新幹線の復旧作業の進展に伴い4月13日で運行終了。
翌14日の全線再開以降は臨時ダイヤで、5月20日からは通常ダイヤにて運行されています。
ここ2年毎年東北で大きな地震が発生し、その度に長期運休を強いられる東北新幹線。
耐震補強は66%が、架線柱の交換は11%しか進んでおらず、先月には国土交通省より耐震補強計画の前倒しを要請するとともに、費用を運賃に転嫁できるようにする方針が示されています。
今年開業40周年を迎えた東北・上越新幹線。
いわゆる新幹線イヤーを迎えて様々な施策が行われていますが、反面老朽インフラの仲間入りをしたとも言えるわけで、今後の新幹線インフラをどのように維持していくのか?その費用負担はどうするのかといった議論も進めていく必要がありますね。
少し忙しさに感けておりましたら、気が付けば世間は梅雨を迎えております。
毎年どころか毎回いつも同じ話をしているような気がしますが、ジメっとしていた季節が始まり、1か月半もすればまた暑い夏がやってくる。そこからまた1か月半すれば秋がやってきて、すぐ冬が来て1年の終わりを迎える。
1年というのはあっという間に過ぎてしまうものです。
そんな今日この頃、久々にPSYCHO-PASSなんてタイトルを見直していました。
見始めたきっかけは大したことなくて、花澤香菜が刑事の役といえばやっぱり常守朱だよなあと思ったからというそれ以上でもそれ以下でもない理由です。
なんと気が付けば本放送は10年前だそうですが、古さを感じないのはシリーズが踊る大捜査線よろしく定期的に新作を届けてくれているからでしょう。
私も最新作であるシーズン3前後のストーリーは見ていませんでしたので、この機会にシーズン1から改めて見直した次第です。
ネタばれは避けたいところですが、シーズン3デハ常守監視官が捜査一課から外れており、ここに至る経緯は断片的にのみ語られているだけです。
劇場版3のラストを見る限りまだまだ常守朱とシビュラの物語は続いていきそうですが、今のところは続編についてのアナウンスは無し。
このままでは不完全燃焼気味ですから是非とも続編をと思うところです。
●「試される東北新幹線」
ご無沙汰していた間何をしてたか?という話はまた改めてするとしまして、今日はこの話題です。
少し前になりますが、今年3月、福島沖を震源とする強い地震が襲いました。
これにより東北新幹線が1か月近く不通になっていたのは記憶に新しいかと思います。
さらに1年前にも同じく福島沖で地震があり東北新幹線が不通になっております。
おりしもこの東北新幹線が不通だった期間中に仙台まで足を延ばす機会がありましたが、この不通期間中、主に2ルートを使用して東北方面のアクセスが確保されていました。
一つは東北新幹線の被害が比較的小さく運転再開した区間を乗り継いでいくルート。
東京から那須塩原まではすぐに再開しましたが那須塩原から盛岡までの再開にはかなり時間を要したのはご存知の通りだと思います。
この期間中、復旧状況に合わせて東北本線を使用した臨時快速列車が運行されました。
使用されたのは仙台以南が新潟と勝田に配置されているE653系で、仙台以北はキハ110を使用。
地震から5日後には通常よりも時間がかかるものの鉄路での輸送手段が確保されていました。
当初は郡山~仙台だった仙台以南の臨時列車は復旧状況に応じて福島~仙台へ短縮。
全線運転再開前日の4月13日まで運行されました。

臨時快速ということで全車両自由席であり、いなほでおなじみの3列グリーン席も追加料金不要で利用することが出来ました。
とはいえ郡山/福島での乗換えは新幹線10両編成(つばさ併結なら17両)から7両編成への乗り換えであり、日によっては普通車の座席も含めて満席となってしまう状況だったとの事。
私が利用した際はなんとか座ることができましたが、それでも9割方が埋まる状況でした。

勝田所属の国鉄色K70編成が仙台に停まる。
天災によるものですから喜ぶべきではありませんが、かつて花形特急が多数往来した東北本線を在来線特急車両が走る姿が令和の時代に見れる。というのはすごいものがあります。
新幹線が発達しなかった世界線というのは考えにくいですが、車両の技術革新、もしくは新幹線建設の遅れがあればこのような日常が揃ったのかもしれません。
そして東北本線以上に意外なバイパスルートとして存在感を示したのが、常磐線でした。
2020年の全線復旧以降、1日3往復が品川~仙台を結んでおりますが、2021年の地震では東北新幹線よりも早期に復旧できたため、定期列車に加えていわき~仙台間延長運転となる臨時快速列車を運行。
4往復体制で仙台から首都圏を乗り換えなしで結びました。
臨時快速は仙台~いわき間は普通車全車自由席扱い。
当該区間のグリーン券は販売しない方式とされ、いわき発着のグリーン券を所持している場合のみ利用可能とされました。
そのため側面の行き先表示器はグリーン車以外が快速仙台【自由席】
グリーン車は【指定席】と表示されていました。
ちなみにこのE657系の行き先表示器ですがかなり優秀でして。
先日いわき駅構内で行われた夜間撮影会では様々な種別行き先の組み合わせを披露しておりました。
東日本管内の電化区間であればほぼ全区間走行できるだけあります。
2022年の地震では常磐線も被害を受け、復旧までに半月ほど要しましたが、復旧後は速度を落とす必要があった為、定期列車も含めていわき~仙台間は臨時快速列車として4往復運転されました。
常磐線ルートは所要時間がかかりるものの、やはり乗換えが無いというのは強いようで、通常より利用客が多かったようです。
震災前の本来計画であればいわきで系統が分離されるはずだった常磐線特急ですが、東日本大震災での被災と復旧。そして新型車両での直通運転と、取り巻く環境が変わった結果、異常時のバイパスとして機能するようになったのは感慨深い思いがあります。
これらの臨時列車による輸送も、東北新幹線の復旧作業の進展に伴い4月13日で運行終了。
翌14日の全線再開以降は臨時ダイヤで、5月20日からは通常ダイヤにて運行されています。
ここ2年毎年東北で大きな地震が発生し、その度に長期運休を強いられる東北新幹線。
耐震補強は66%が、架線柱の交換は11%しか進んでおらず、先月には国土交通省より耐震補強計画の前倒しを要請するとともに、費用を運賃に転嫁できるようにする方針が示されています。
今年開業40周年を迎えた東北・上越新幹線。
いわゆる新幹線イヤーを迎えて様々な施策が行われていますが、反面老朽インフラの仲間入りをしたとも言えるわけで、今後の新幹線インフラをどのように維持していくのか?その費用負担はどうするのかといった議論も進めていく必要がありますね。
きっとどれも素晴らしいや
新年度になりました。いかがおすごしでしょうか?
春アニメはかぐや様は告らせたいの3期とまちカドまぞくの2期が席巻しているようで。
どちらもアホの子小原好美がでておりまして、今期の覇権争いは早々に決着か。という感じです。
そんな中ですが、先日からハコヅメを見てます。
Twitterをご覧の方は当然ご存じ.....と思いましたが、そもそもTwitter最近やってないや。
TLというカオスから離れるというのも大事だと思います。
これだけ世間がきな臭くなってくると情報に触れ続けるだけで疲れてしまいますから。
おっと話がそれましたが、このハコヅメ。
ドラマ化されたあとにアニメ化されておりまして、私もドラマ→アニメの順で見ております。
なんといっても牧高ちゃんが実写もアニメもいいキャラクターしているのが良いです(語彙力の欠如)
もうちょっと牧高ちゃんにクローズアップした回がドラマもアニメも見たいものです。
新年度と言えば、気が付けばこの春でこのブログも13年目に突入です。
毎年同じ口上を書いていますが、これもひとえに見てくださっている皆さまのおかげということもあろうと思いますが、なによりも書き続けている自分が一番えらい。そろそろご褒美と称したビールが出てきてもいいのではないだろうか?
そんな話はともかく、これからもよろしくお願いいたします。
●「長野電鉄2022・春~さようならN7編成~」
13年もやってていまだにえんたらコーナーはアニメの話ばかりなのもどうかというご意見は真摯に受け止めます(笑)
さて弊ブログ2022年2月28日付記事「真っ白な山を見つめて」でも記述した通り、3月時点で長野電鉄3500系はN7編成とN8編成が残存。うちN7編成は長期離脱中であり、N8編成が孤軍奮闘しておりました。
最後のO編成だったO2編成の際や最後の3連だったL2編成の引退の様子を見ていますと、N編成の引退時には4連運行があるに違いない。N8編成の検査等を考慮しても春先、遅くとも桜の咲くころにはやるのではないか?と予想しておりましたが、まさにその展開読み通りに3月末の平日に8日間、イベント列車が運行されました。
イベント列車は各日とも午前の部・午後の部に分かれて運行。
午前は須坂→長野→信州中野→須坂
午後は須坂→信州中野→長野→須坂
と午前午後で運行経路が違うのも特徴でありました。
長野電鉄の4連運行と言えば、長野オリンピック前後は通勤時の輸送力列車として長野~信州中野間で設定されていましたが、2005年の8500系導入により設定は消滅。
3両編成が主体となってからは8500系等の入場時にL2編成が終日運用入りするため、朝の長野須坂半回運用である206列車203列車(当時)に代走で入ることが定番でありました。

記憶に新しい...といいつつもう5年も前になるんですが、2017年に8500系が踏切事故に遭い長期離脱した際には3か月以上にわたり206運用が4連代走となっておりました。
趣味者としてはとてもおいしい4両編成の大安売りでしたが、4両編成はツーマン運転でありまして、車掌を用意しなければいけません。乗務員の補充問題がネックになったのかは定かではありませんが、翌2018年のダイヤ改正で206運用は日曜運休となり、車両運用も変更され4連代走はほぼ見ることができなくなってしまいました。
そんな久々にして最後の4両編成。
長年「長野県での捕鯨活動」に勤しんでおりました私としてはまさに最後の総仕上げ。
そんな気持ちで善光寺平へ挑んできました。

行先表示は各列車の終着駅を表示するのはL2編成のイベントと同様です。
4両編成が信州中野表示を出して走行するのは2016年の代走以来ではないかと思います。
あの時は須坂で車両交換されたと記憶しております。

というわけで今回のイベント列車の見どころはここ10年以上入線実績がないであろう須坂以北を走る4両編成という一点に尽きます。長野市郊外を走る須坂までとは魅せる景色も異なるこの区間を走るのがメインだと捉えて桜沢の俯瞰へ。
今回も新型コロナウイルス感染症対策の一環としてL2編成のイベント列車同様平日のみの運行となりました。
平日ということである程度人も少なく。ネットでは休日運行でないので撮れないというご意見も散見されましたが、物見遊山的な一見さんが来れないという意味ではこの平日運行というのは良いものです。
本当に熱意のある人間は平日だろうが休日だろうが撮りに行きますから。
朝陽カーブや村山などのド定番撮影地以外は同業者と会うこともない程度の人出であり、実にのどかな空気感でした。

北須坂~小布施の松川橋梁を渡る4両編成。
村山橋とは全く違う、個人的に思い出深いこの橋を通るシーンがアツくてですね、毎回アングルを変えて色々と撮影してしまいました。

206運用充当時はどうしても疎かにしてしまった地下区間もじっくりと。
今回もL2編成のイベントと同様に上りは市役所前駅・下りは権堂駅において一般旅客の立ち入りを制限したうえでの撮影会を実施しています。とはいえ制限エリアはあくまでイベント列車が止まっているホームだけ。
反対側の立ち入りは制限されていませんでした。
色々と撮影できたわけですが、やはり4両編成で須坂以北に乗ってみたい。
そんな思いもありまして、今回もイベント列車に乗車することにしました。
午後の部は受付を済ませるとまずは撮影会です。

撮影会は例によって方向幕のすべての表示を出しました。
4両編成の松代行、記憶が正しければ2012年3月31日の最終431列車がまさにこのN7+N8による4両編成で走ったはずなので、そのリバイバル姿になります。何度も書きましたが、あの屋代線のラストが長電との長い付き合いの始まりだったように思います。
午前は4番線で、午後は5番線に止めて撮影会となりましたが、これは晴天時に順光になるようにという配慮だったように思います。配慮なのか、行程の都合なのかは今となってはわかりかねますが、プラスに捉えましょう。

撮影会自体は20分ほど用意されていましたが、全ての方向幕を出してだけでは時間を持て余す。
ということで参加者からのリクエストで各部を変えて撮影。
4両では絶対に出さないであろうワンマンプレートを出してこれまた絶対にないであろう湯田中行。
有効長としては湯田中駅には入線できるとは思いますが、今回はダイヤの都合か湯田中には入らない旅程が組まれています。

個人的に気になっていたのは主役の背後に並ぶ役目を終えた鯨たち。
往年の日比谷線を思い出させる7両組成で止まっていました。
東急7000系よろしくもし営団3000系として更新され、赤帯が入れられたら。
このような姿で21世紀の初めまで日比谷線で走っていたのかもしれません。

信州中野駅では閉鎖されて久しい木島線ホームに入線。
木島線ホームに立ち入れるのはO2編成のイベント以来とのこと。
私自身実は初めて立ち入ります。近くて遠いあの場所に写真を撮るのも忘れて思い耽ってしまいました。

木島行乗車口の看板。残っていたんですね。
奥の時刻表も廃止時から変わっていないそうです。
木島線さよなら運転では4両編成は運行されておらず。
木島駅の有効長の関係だったと思いますが、名実ともに4両での初入線でありました。
折り返し長野へ向かいます。
車内では長野電鉄の担当者氏と話す機会がありましたので、いい機会だといろいろと趣味者視点で気になっていた質問をぶつけてみました。答えにくい質問にも真摯に回答していただけたのには感謝しかありません。そして長らく気になっていたことの裏取りと言いますか、答え合わせができたのは本当に勉強になりました。
改めて今回のイベントを企画・実施していただいた関係者各位には謝意を表したいと思います。
おっと終わり感を出してしまいましたが、イベントはまだ終わりではありません。

市役所前駅での撮影会。
206運用で何度も見ましたが、それゆえに懐かしいというもの。
参加者からのリクエストで映り込まないように隠れていた運転士さんに運転席へ座ってもらい1枚。
照れながらもリクエストに応えてくださった運転士さんにも感謝です。

個人的に4両編成もう一つの醍醐味だと思うのは車掌が乗務する点。
これは206運用での代走時にも意識をしておりましたが、長電の普通列車で車掌が視差喚呼するシーンというのはこの4両編成でしか見れません。
イベント列車の運行でも通常時と同じくツーマン運転になっており、扉扱いする際はしっかりと喚呼するシーンを見ることができました。
ツーマンというだけでどことなく東京の地下鉄と同じような空気が出ますね。
どうでもいいですけど、長電のグレーを基調とした現行制服はとてもかっこいいと思います(語彙力の欠如)
あの日見れなかった、あの時撮れなかったものを撮るつもりで臨んだ最後の捕鯨。
結果としては大満足に終わることができました。
イベントの随所で長野電鉄の良さを見ることができました。
特にイベントを担当した社員さん方の話を聞くと、東京以上に活躍した3500系への愛着というものを感じ取りました。古いゆえに扱いにくいところもありましょうが、それ以上の愛着があったように思います。
改めてになりますが、今回のイベントを主催した長野電鉄関係者の皆さま。
そして数日間各所でご一緒された皆さま。
本当にありがとうございました。
今回で最後と言わず、N8編成の退役時には全線通しのイベントを期待しております(笑)
春アニメはかぐや様は告らせたいの3期とまちカドまぞくの2期が席巻しているようで。
どちらも
そんな中ですが、先日からハコヅメを見てます。
Twitterをご覧の方は当然ご存じ.....と思いましたが、そもそもTwitter最近やってないや。
TLというカオスから離れるというのも大事だと思います。
これだけ世間がきな臭くなってくると情報に触れ続けるだけで疲れてしまいますから。
おっと話がそれましたが、このハコヅメ。
ドラマ化されたあとにアニメ化されておりまして、私もドラマ→アニメの順で見ております。
なんといっても牧高ちゃんが実写もアニメもいいキャラクターしているのが良いです(語彙力の欠如)
もうちょっと牧高ちゃんにクローズアップした回がドラマもアニメも見たいものです。
新年度と言えば、気が付けばこの春でこのブログも13年目に突入です。
毎年同じ口上を書いていますが、これもひとえに見てくださっている皆さまのおかげということもあろうと思いますが、なによりも書き続けている自分が一番えらい。そろそろご褒美と称したビールが出てきてもいいのではないだろうか?
そんな話はともかく、これからもよろしくお願いいたします。
●「長野電鉄2022・春~さようならN7編成~」
13年もやってていまだにえんたらコーナーはアニメの話ばかりなのもどうかというご意見は真摯に受け止めます(笑)
さて弊ブログ2022年2月28日付記事「真っ白な山を見つめて」でも記述した通り、3月時点で長野電鉄3500系はN7編成とN8編成が残存。うちN7編成は長期離脱中であり、N8編成が孤軍奮闘しておりました。
最後のO編成だったO2編成の際や最後の3連だったL2編成の引退の様子を見ていますと、N編成の引退時には4連運行があるに違いない。N8編成の検査等を考慮しても春先、遅くとも桜の咲くころにはやるのではないか?と予想しておりましたが、まさにその展開読み通りに3月末の平日に8日間、イベント列車が運行されました。
イベント列車は各日とも午前の部・午後の部に分かれて運行。
午前は須坂→長野→信州中野→須坂
午後は須坂→信州中野→長野→須坂
と午前午後で運行経路が違うのも特徴でありました。
長野電鉄の4連運行と言えば、長野オリンピック前後は通勤時の輸送力列車として長野~信州中野間で設定されていましたが、2005年の8500系導入により設定は消滅。
3両編成が主体となってからは8500系等の入場時にL2編成が終日運用入りするため、朝の長野須坂半回運用である206列車203列車(当時)に代走で入ることが定番でありました。

記憶に新しい...といいつつもう5年も前になるんですが、2017年に8500系が踏切事故に遭い長期離脱した際には3か月以上にわたり206運用が4連代走となっておりました。
趣味者としてはとてもおいしい4両編成の大安売りでしたが、4両編成はツーマン運転でありまして、車掌を用意しなければいけません。乗務員の補充問題がネックになったのかは定かではありませんが、翌2018年のダイヤ改正で206運用は日曜運休となり、車両運用も変更され4連代走はほぼ見ることができなくなってしまいました。
そんな久々にして最後の4両編成。
長年「長野県での捕鯨活動」に勤しんでおりました私としてはまさに最後の総仕上げ。
そんな気持ちで善光寺平へ挑んできました。

行先表示は各列車の終着駅を表示するのはL2編成のイベントと同様です。
4両編成が信州中野表示を出して走行するのは2016年の代走以来ではないかと思います。
あの時は須坂で車両交換されたと記憶しております。

というわけで今回のイベント列車の見どころはここ10年以上入線実績がないであろう須坂以北を走る4両編成という一点に尽きます。長野市郊外を走る須坂までとは魅せる景色も異なるこの区間を走るのがメインだと捉えて桜沢の俯瞰へ。
今回も新型コロナウイルス感染症対策の一環としてL2編成のイベント列車同様平日のみの運行となりました。
平日ということである程度人も少なく。ネットでは休日運行でないので撮れないというご意見も散見されましたが、物見遊山的な一見さんが来れないという意味ではこの平日運行というのは良いものです。
本当に熱意のある人間は平日だろうが休日だろうが撮りに行きますから。
朝陽カーブや村山などのド定番撮影地以外は同業者と会うこともない程度の人出であり、実にのどかな空気感でした。

北須坂~小布施の松川橋梁を渡る4両編成。
村山橋とは全く違う、個人的に思い出深いこの橋を通るシーンがアツくてですね、毎回アングルを変えて色々と撮影してしまいました。

206運用充当時はどうしても疎かにしてしまった地下区間もじっくりと。
今回もL2編成のイベントと同様に上りは市役所前駅・下りは権堂駅において一般旅客の立ち入りを制限したうえでの撮影会を実施しています。とはいえ制限エリアはあくまでイベント列車が止まっているホームだけ。
反対側の立ち入りは制限されていませんでした。
色々と撮影できたわけですが、やはり4両編成で須坂以北に乗ってみたい。
そんな思いもありまして、今回もイベント列車に乗車することにしました。
午後の部は受付を済ませるとまずは撮影会です。

撮影会は例によって方向幕のすべての表示を出しました。
4両編成の松代行、記憶が正しければ2012年3月31日の最終431列車がまさにこのN7+N8による4両編成で走ったはずなので、そのリバイバル姿になります。何度も書きましたが、あの屋代線のラストが長電との長い付き合いの始まりだったように思います。
午前は4番線で、午後は5番線に止めて撮影会となりましたが、これは晴天時に順光になるようにという配慮だったように思います。配慮なのか、行程の都合なのかは今となってはわかりかねますが、プラスに捉えましょう。

撮影会自体は20分ほど用意されていましたが、全ての方向幕を出してだけでは時間を持て余す。
ということで参加者からのリクエストで各部を変えて撮影。
4両では絶対に出さないであろうワンマンプレートを出してこれまた絶対にないであろう湯田中行。
有効長としては湯田中駅には入線できるとは思いますが、今回はダイヤの都合か湯田中には入らない旅程が組まれています。

個人的に気になっていたのは主役の背後に並ぶ役目を終えた鯨たち。
往年の日比谷線を思い出させる7両組成で止まっていました。
東急7000系よろしくもし営団3000系として更新され、赤帯が入れられたら。
このような姿で21世紀の初めまで日比谷線で走っていたのかもしれません。

信州中野駅では閉鎖されて久しい木島線ホームに入線。
木島線ホームに立ち入れるのはO2編成のイベント以来とのこと。
私自身実は初めて立ち入ります。近くて遠いあの場所に写真を撮るのも忘れて思い耽ってしまいました。

木島行乗車口の看板。残っていたんですね。
奥の時刻表も廃止時から変わっていないそうです。
木島線さよなら運転では4両編成は運行されておらず。
木島駅の有効長の関係だったと思いますが、名実ともに4両での初入線でありました。
折り返し長野へ向かいます。
車内では長野電鉄の担当者氏と話す機会がありましたので、いい機会だといろいろと趣味者視点で気になっていた質問をぶつけてみました。答えにくい質問にも真摯に回答していただけたのには感謝しかありません。そして長らく気になっていたことの裏取りと言いますか、答え合わせができたのは本当に勉強になりました。
改めて今回のイベントを企画・実施していただいた関係者各位には謝意を表したいと思います。
おっと終わり感を出してしまいましたが、イベントはまだ終わりではありません。

市役所前駅での撮影会。
206運用で何度も見ましたが、それゆえに懐かしいというもの。
参加者からのリクエストで映り込まないように隠れていた運転士さんに運転席へ座ってもらい1枚。
照れながらもリクエストに応えてくださった運転士さんにも感謝です。

個人的に4両編成もう一つの醍醐味だと思うのは車掌が乗務する点。
これは206運用での代走時にも意識をしておりましたが、長電の普通列車で車掌が視差喚呼するシーンというのはこの4両編成でしか見れません。
イベント列車の運行でも通常時と同じくツーマン運転になっており、扉扱いする際はしっかりと喚呼するシーンを見ることができました。
ツーマンというだけでどことなく東京の地下鉄と同じような空気が出ますね。
どうでもいいですけど、長電のグレーを基調とした現行制服はとてもかっこいいと思います(語彙力の欠如)
あの日見れなかった、あの時撮れなかったものを撮るつもりで臨んだ最後の捕鯨。
結果としては大満足に終わることができました。
イベントの随所で長野電鉄の良さを見ることができました。
特にイベントを担当した社員さん方の話を聞くと、東京以上に活躍した3500系への愛着というものを感じ取りました。古いゆえに扱いにくいところもありましょうが、それ以上の愛着があったように思います。
改めてになりますが、今回のイベントを主催した長野電鉄関係者の皆さま。
そして数日間各所でご一緒された皆さま。
本当にありがとうございました。
今回で最後と言わず、N8編成の退役時には全線通しのイベントを期待しております(笑)
おっきな空を見たくて
やっぱりよりもいはいいぞ。
というわけでドン・グリーズからのよりもいを見てしまいました。
何度目かわからない視聴だったのに毎回バスタオルがびしょびしょ(比喩表現ではなくガチ)になってしまいました。
よりもいについて何度語っても足りるということはありません。
要所要所で流れてくる曲の良さ。主題歌はもちろん挿入歌も素晴らしい。
そして各話飛び出す名言の数々。
あぁ思い出しただけで涙が出てきますね。
「かぐや様は告らせたい」でアホの子藤原書記が「今日あまだ~」とタイトル見ただけで泣きそうっていうシーンがありましたけども、そんなバカなと思いつつ自分も「よりもい」の文字列を見ただけで名シーンが走馬灯のように思い浮かび泣いてしまうのでこれは仕方ないなと思います。
そういやかぐや様3期が始まりますね。すっかり忘れておりましたけども。
原作は最終局面、アニメはどこまでアニメになるのか期待値が高まっておりまして。
これからの3か月は楽しみが増えそうです。
●「3.12ダイヤ改正とさよならキハ283 おおぞら」
今年もJR各社では春のダイヤ改正が行われました。
この秋に新幹線開業を控えたJR九州を除いて各社見れなくなった風景が今年も多くありました。
JR東日本では相模線・宇都宮地区から205系が撤退。
新潟の115系もいよいよ終焉を迎えました。
個人的には新車と同じくらいの思いがある205系が各線区から撤退を迎えているのには時の流れの速さを感じずにはいられません。相模線205系なんて新車と同じような扱いだったのに。もう引退する時期なんですね。

新潟の115系は末期でも新井快速や越後線6連など見どころが多かったのですが、そもそもこれらの115系は長野からの転属いわば外様であってかつての新潟115系と言えば特色のある編成ばかりだったのを考えると地味であったと言わざるを得ません。
前者が大々的にラストランに向けて盛り上がったのに対して後者はひっそりと。
昨今の趣味界隈の情勢を見ると注目度が高くなるのは後者でしょうから仕方がない流れと言えます。

ひっそりと消えたと言えば奈良線の103系も今回改正で運用離脱となりました。
こちらも一切告知がなく、改正前日最終列車でさよなら放送が流れたとのこと。
噂レベルではそんな話もありましたが、静かな最後となりました。
奈良から103系が去ったことでかつて3447両を誇った103系も残りは60両を切り55両。
今のところ残る103系の去就は発表されていませんが、こちらも数年以内の命と言えそうです。
そんな各社のダイヤ改正ですが、やはり世間を席巻している流行り病の影響は否定できず。
各社とも朝の輸送力列車の減便・減量が目立ちます。
103系でいえば加古川線の4連が3連に改められるなど活躍の幅を狭めつつあります。
国鉄型車両が活躍の幅を狭めたのはJR北海道も同じでして。
今回のダイヤ改正では釧路地区からキハ40が撤退。おおぞらからキハ283が撤退。
それぞれ新型のH100、キハ261に置き換えとなりました。

キハ283といえばやはりこのグリーン車。
車両中間で点対称に座席配置が換わるデザインでしょう。
山間部を高速で駆け抜けていくおおぞらではその威力は考え物かもしれませんが、かつて駆け抜けた北斗運用では1人席でも海側を楽しめるこの配置は素晴らしいものでした。
キハ281から始まったこの空間もキハ261には受け継がれることがなく。
来年度にはキハ281も引退との報道がありますからいよいよ終焉を迎えそうです。

釧路駅を背に札幌へ向かうおおぞら。
数年前のダイヤ改正で北海道管内から「スーパー」の呼称が消えましたが、いまだにこの列車はスーパーおおぞらと言ってしまいます。それほどに振り子を駆使して130㎞/hで駆け抜けた姿が印象的でありました。
10年前の例の事故以降JR北海道は高速化速達化よりも安全性を重視するようになり、振り子装置を駆使してトップスピードで走ることはなくなってしまいました。
それでも事故以前の、あの時代のJR北海道は輝いていましたよね。
あの時代のイメージリーダーと言えば間違いなくこのキハ283でした。
正統後継者というべきキハ285は例の事故の余波で開発中止となり、ダイヤ改正以降は地味だけども高性能なキハ261が後を継いで札幌と釧路を結ぶようになります。振り子を使わずとも4時間で結べるのは凄い反面、かつては3時間半台で結ぶ列車があったことも考えれば釧路は遠くなったような感があります。

一方こちらも改正で姿を消すキハ40。
個人的にはこの色の気動車がJR北海道のイメージです。
釧路地区からキハ40が撤退することで残るキハ40は函館エリアと札幌圏の一部だけになるそうで、かつては学園都市線をはじめ全道各地で見られた気動車も終焉が迫っています。
例の事故以降、国からの支援を受けて新車への置き換え、メンテナンスの省力化を図っているJR北海道ですが、あの事故がなければこういう展開を迎えなかった可能性もありますし、「あの事故と不祥事がなければ」というのは良い面でも悪い面でも思い浮かぶところではあります。
JR北海道と言えば先に書いた通り今年の冬は本当に試されておりました。
実は今回このキハ283に乗ろうと北海道へ渡ったわけですが、この冬の北海道といいますか、札幌圏はまさに試される大地を通り過ぎて「試されすぎた大地」という感じの記録的豪雪でありまして。
私も見事にこの波に飲み込まれておりました。
今回はそんな話をと思ったのですが、意外と長くなってしまったのでそれはまた別の機会に譲ろうと思います。
それにしてもE4系のときも思いましたが、まだまだ新型車両だと思っていた車両たちが経年による廃車で姿を消していくというのは時の流れの速さを感じずにはいられません。
今年の春もそんな思いにふけってしまいました。
というわけでドン・グリーズからのよりもいを見てしまいました。
何度目かわからない視聴だったのに毎回バスタオルがびしょびしょ(比喩表現ではなくガチ)になってしまいました。
よりもいについて何度語っても足りるということはありません。
要所要所で流れてくる曲の良さ。主題歌はもちろん挿入歌も素晴らしい。
そして各話飛び出す名言の数々。
あぁ思い出しただけで涙が出てきますね。
「かぐや様は告らせたい」で
そういやかぐや様3期が始まりますね。すっかり忘れておりましたけども。
原作は最終局面、アニメはどこまでアニメになるのか期待値が高まっておりまして。
これからの3か月は楽しみが増えそうです。
●「3.12ダイヤ改正とさよならキハ283 おおぞら」
今年もJR各社では春のダイヤ改正が行われました。
この秋に新幹線開業を控えたJR九州を除いて各社見れなくなった風景が今年も多くありました。
JR東日本では相模線・宇都宮地区から205系が撤退。
新潟の115系もいよいよ終焉を迎えました。
個人的には新車と同じくらいの思いがある205系が各線区から撤退を迎えているのには時の流れの速さを感じずにはいられません。相模線205系なんて新車と同じような扱いだったのに。もう引退する時期なんですね。

新潟の115系は末期でも新井快速や越後線6連など見どころが多かったのですが、そもそもこれらの115系は長野からの転属いわば外様であってかつての新潟115系と言えば特色のある編成ばかりだったのを考えると地味であったと言わざるを得ません。
前者が大々的にラストランに向けて盛り上がったのに対して後者はひっそりと。
昨今の趣味界隈の情勢を見ると注目度が高くなるのは後者でしょうから仕方がない流れと言えます。

ひっそりと消えたと言えば奈良線の103系も今回改正で運用離脱となりました。
こちらも一切告知がなく、改正前日最終列車でさよなら放送が流れたとのこと。
噂レベルではそんな話もありましたが、静かな最後となりました。
奈良から103系が去ったことでかつて3447両を誇った103系も残りは60両を切り55両。
今のところ残る103系の去就は発表されていませんが、こちらも数年以内の命と言えそうです。
そんな各社のダイヤ改正ですが、やはり世間を席巻している流行り病の影響は否定できず。
各社とも朝の輸送力列車の減便・減量が目立ちます。
103系でいえば加古川線の4連が3連に改められるなど活躍の幅を狭めつつあります。
国鉄型車両が活躍の幅を狭めたのはJR北海道も同じでして。
今回のダイヤ改正では釧路地区からキハ40が撤退。おおぞらからキハ283が撤退。
それぞれ新型のH100、キハ261に置き換えとなりました。

キハ283といえばやはりこのグリーン車。
車両中間で点対称に座席配置が換わるデザインでしょう。
山間部を高速で駆け抜けていくおおぞらではその威力は考え物かもしれませんが、かつて駆け抜けた北斗運用では1人席でも海側を楽しめるこの配置は素晴らしいものでした。
キハ281から始まったこの空間もキハ261には受け継がれることがなく。
来年度にはキハ281も引退との報道がありますからいよいよ終焉を迎えそうです。

釧路駅を背に札幌へ向かうおおぞら。
数年前のダイヤ改正で北海道管内から「スーパー」の呼称が消えましたが、いまだにこの列車はスーパーおおぞらと言ってしまいます。それほどに振り子を駆使して130㎞/hで駆け抜けた姿が印象的でありました。
10年前の例の事故以降JR北海道は高速化速達化よりも安全性を重視するようになり、振り子装置を駆使してトップスピードで走ることはなくなってしまいました。
それでも事故以前の、あの時代のJR北海道は輝いていましたよね。
あの時代のイメージリーダーと言えば間違いなくこのキハ283でした。
正統後継者というべきキハ285は例の事故の余波で開発中止となり、ダイヤ改正以降は地味だけども高性能なキハ261が後を継いで札幌と釧路を結ぶようになります。振り子を使わずとも4時間で結べるのは凄い反面、かつては3時間半台で結ぶ列車があったことも考えれば釧路は遠くなったような感があります。

一方こちらも改正で姿を消すキハ40。
個人的にはこの色の気動車がJR北海道のイメージです。
釧路地区からキハ40が撤退することで残るキハ40は函館エリアと札幌圏の一部だけになるそうで、かつては学園都市線をはじめ全道各地で見られた気動車も終焉が迫っています。
例の事故以降、国からの支援を受けて新車への置き換え、メンテナンスの省力化を図っているJR北海道ですが、あの事故がなければこういう展開を迎えなかった可能性もありますし、「あの事故と不祥事がなければ」というのは良い面でも悪い面でも思い浮かぶところではあります。
JR北海道と言えば先に書いた通り今年の冬は本当に試されておりました。
実は今回このキハ283に乗ろうと北海道へ渡ったわけですが、この冬の北海道といいますか、札幌圏はまさに試される大地を通り過ぎて「試されすぎた大地」という感じの記録的豪雪でありまして。
私も見事にこの波に飲み込まれておりました。
今回はそんな話をと思ったのですが、意外と長くなってしまったのでそれはまた別の機会に譲ろうと思います。
それにしてもE4系のときも思いましたが、まだまだ新型車両だと思っていた車両たちが経年による廃車で姿を消していくというのは時の流れの速さを感じずにはいられません。
今年の春もそんな思いにふけってしまいました。
真っ白な山を見つめて
グッバイ、ドン・グリーズを見てきました。YAMAでございます。
あらすじは割愛しますが、ラスト、主人公たちが親指を立てながらって話は別にいいですよね。
とにかく余計な情報を入れないで見てほしい(重要)そんな作品です。
グッバイ、ドン・グリーズはご存じ「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督が新たに手掛けた作品です。
宇宙よりも遠い場所。もうこの文字列だけで涙がでてきますね。
ちなみにぼくはこのよりもいのすばらしさを布教しようと友人らに勧めては一緒に見るわけですが、毎回自分が泣いてしまいます。
よりもいは女の子が南極に行く話でしたが、今回は男の子の冒険活劇です。
よりもいでは「南極に行く」というテーマがあります。
しかし南極に行きたいのは白瀬だけであり、他の4人は必ずしもそうではありません。
4人でいろいろな難局を乗り越えていく中で"この4人で"南極に行きたいと思いを強くしていきます。
どこに行くのか?ではなく、誰かと行くのか。
これが大事なんだなとよりもいは教えてくれましたが、今作でもそこは変わりません。
最後にはバスタオルが足りない(比喩表現ではなくガチ)くらいに年甲斐もなく泣いてしまいました。
ラスト、クライマックスは本当に驚かされると同時に涙が溢れました。
あのギミックを楽しむためにも余計な知識は入れずに見てほしいと思います。
劇場特典にこんな一節がありました。
もしこれから「宇宙よりも遠い場所」をご覧になる方がいたら、
ぜひ「初めてみるんだ」とファンの皆さんに自慢してみてください。
ファンのみならず、スタッフたちまで口をそろえて言うことでしょう。
「あの初めての感動を味わえるなんて、なんて羨ましい!」と。
この一節が身に染みて思います。
「よりもい」も「グッバイ、ドン・グリーズ」もまだ見てない方は是非見てみてください。
私も何度目かわからない感動をまた味わおうと思います。
●「長野電鉄2022・冬 –鯨たち最後の冬-」
今年の冬はとにかく雪が多いですね。
毎年毎年冬が始まると決まってこのえんたらコーナーで「今年こそは雪が降るのを楽しみに~」みたいなことを書いているのですが、今年は本当にそれを後悔するレベルで雪にやられている気がします。
北海道では札幌を中心に数年ぶりのドカ雪だそうでして。
JRが一週間近くマヒするという異常事態に見舞われています。
実をいうと先日たまたま偶然そんな折に北の大地へまさに"試され"てきたわけですが、そんな話は追々にしまして、今回はいよいよラストイヤーを迎えた長野の鯨たちの話題です。
弊ブログ2021年6月30日付記事でもご紹介した通り、2021年3月ダイヤ改正以降、3500系の運用は信州中野停泊運用(206運用)と停泊明け運用(301運用)、午前中に山ノ内線を走り午後イチで入庫(101運用)する3運用に再編されました。
なおかっこ書きは便宜上出庫列番を書いた非公式のものです。
このうち206運用と301運用は連続しており、301運用の須坂入庫(207列車)後に206列車として出庫できますので事実上2編成で賄える体制になっています。
昨年5月の段階ではすでに停泊に絡む運用に3500系は充当しなくなり、事実上101運用でのみ運行している状態でありました。
その後夏前になり長野電鉄公式よりコロナ禍での換気及び冷房能力の不足を理由に夏季は運行しない旨がアナウンスされましたが、実際には運用の都合上何日か運用入りしていたようです。
この運用制限はあくまで夏季だけだったようで、暑さの和らぐころには再び鯨は山を駆け抜けるようになりました。
N6編成の引退後は2編成が残存しておりましたが、うちN7編成は昨年11月末ごろから事実上の休車状態となっており、現在はN8編成だけが孤軍奮闘しております。「鯨たち」と書きましたがもはや複数形ではない状態です。
残り1編成となってからは101運用にも3000系が充当する機会が増えているようで。
目撃情報等を鑑みると土休日ダイヤでは3500系の充当が多いようです。

置き換え役のもと東京メトロ03系の3000系。
長野電鉄入り後長らくそのままだった03-107ほかの編成はこの日も変わらず留置されておりました。

おかげさまで須坂に日比谷線がいる。そんな姿を見ることができました。
この編成は2月中旬までに長野電鉄での運用に向けた改造が行われ、3000系M4編成として現在は運用開始待ちになっています。後述する報道によれば3月中にも運用開始となりそうです。
2月23日には03-106ほか3両が須坂入り。24日には入換作業が行われました。

かつて屋代から須坂までを結んでいた屋代線。
この屋代線から歴代の新車は長電入りしたわけですが、屋代線亡き後、その路盤跡地から新車は長野電鉄に入ります。
すでに3両組成が完了しており、あとはスイッチャーで構内へと入っていきます。

平成の初めに東京で見られた置き換え劇が役者はそのままに令和の長野で見られているわけですが、この一瞬だけは須坂で日比谷線を見ました。オリジナルを保っているもとO2編成と03系。まさに新旧日比谷線が一瞬だけ顔を合わせました。
このシーンを見るためだけに須坂に行ったと言っても過言ではありません。
赤帯が入る前。もうO2編成と並ぶことはないかもしれません。
一番撮りたかったものを一瞬だけではありますが、見ることができました。

須坂構内は先輩のM2編成がエスコート。
これもまた入換だからこそ見れる6両編成の長電3000系を見ることができました。

連結部にズームイン。
本家メトロ時代には見ることのなかった03系同士の連結。
運用入り後にはお互いに赤帯を巻くことになりますし、なにより異常時でしか見られない景色ですからないにこしたことはありません。今だから見れる景色でもあります。

3000系のエスコートを離れ、ここからは大先輩の3500系がエスコートします。
西日に照らされる新旧日比谷線の連結部。
ゆっくり、ゆっくりと須坂の構内を進んでいきます。

新たに仲間に加わったかつての後輩をゆっくりと押していきます。

須坂らしい場所。と言えば私の中ではイオン須坂店です。
長い間の思い出があるからともいえますが、ここが東京ではない。
長野であると思わせる場所で連結部を。
かつて03系が設計されるとき、日比谷線の初代車両である3000系がデザイン面でとても秀逸なものであったため03系もそれに負けずとも劣らないように作られたとされています。
こうして03系と連結しているのを見ると、営団3000系としての秀逸さがうまく03系にも入っているように思えます。
このあと建屋に近い側線に押し込んでN8編成はパンタをおろしました。
翌日は山ノ内線で捕鯨と考えていましたが、側線でパンタをおろしているN8編成はそのまま03系と連結されたまま。
これは望みも薄そうだなあと覚悟を決めて宿に入りました。
実は1月に取材に尋ねた時も2日間とも3000系が運用入りしておりまして。
この時の苦い記憶がよみがえったのは言うまでもありません。

翌朝の湯田中駅。N8編成はやってきました。
この日の朝もかなり冷えまして。
湯田中駅の温泉を利用した融雪装置からもくもくと湯けむりが立ち込めています。

この日の山ノ内エリアは気持ちのいい快晴。
まさにバリ晴れでありました。そんな雪の山ノ内を駆け上っていく姿もまもなく見納めです。
雪が溶けるころには鯨たちの長い旅路も終わりを迎えるかもしれません。
鯨たちの最後の冬がまもなく終わろうとしています。
鯨の最期が見えておりますが、2月26日付の信濃毎日新聞にこんな記事が出ました。
「長電普通車両 省電力型に」「28年度までに3000系などに置き換え」
「八十二銀行が新たにSDGs EGSに積極的な企業向けに新設した融資商品【ポジティブ・インパクト・ファイナンス】で1億5000万円を調達した。融資期間は7年で、省電力車両導入などに充てる。八十二銀行によると長野電鉄が同商品の1号案件。」
「現在長野電鉄は特急14両。普通31両を保有し普通車両のうち9両(3編成)が、東京メトロ日比谷線の03系車両を譲り受けて改造した3000系だ(中略)長電は20年度から導入を進め、3月末までに6両を追加予定。残りの旧型車両も28年度までに省電力型に置き換える。」
(以上2022年2月26日付 信濃毎日新聞より引用)
見出しにもある通り2028年度中には普通車両全てが省電力型(ここではVVVFインバーター制御車両)に置き換わることになりました。ネット上に公開されている記事は有料記事で冒頭部分しか読めないため憶測が広まっておりますが、2028年度までに8500系も置き換えられることになります。
8500といえば本家東急でも未だしぶとく生き残っていることを考えると、譲渡先で置き換えが検討されているのもまた感慨深いものがありますが、長野に渡った8500系は初期車が中心であり、2028年には半世紀を超える経年を考えると置き換えは妥当であると言えましょう。
一応本文中の数字についても分析してみますと、現状の長電の保有車両数は45両。これは先ごろ入線した3000系M3編成とM4編成は含めていない数字で現状20%の割合とも合致します。(45×0.2=9両)
記事中には3月末までに2編成増やすとありますので、M3編成とM4編成は年度内には就役するものと考えられます。これをさらに73%にまで引き上げるということで、45両の73%はおよそ33両となります。
15両は年度内に省電力型に変わるとなると単純計算で残りは18両。
8500系6編成と綺麗に符合する数字が出てきました。
ちなみに3000系導入時の日本経済新聞記事によると5編成15両導入に総額8億円程度がかかっており、1億5000万円では6編成分を賄うことはできません。
この1億5000万円という数字も1編成分なのか?それともあくまでも長電グループでの投資計画に対する融資総額なのか?の捉え方で考え方も変わってきます。
融資にあたり調査を行った長野経済研究所が発表した資料を読むと、ながでんグループとしてのSDGsへの取り組みをメインに分析しており、今回の融資も省電力車両への置き換えのためよりもながでんグループ全体の取り組みへの融資であり、その一つに省電力車両への置き換えがあると考えられます。
ここまでの前提の上に長野電鉄は省電力車両として何を導入するのか?
を考えてみようと思いますが、恐らくこれは今後長野電鉄で具体的に検討されていくものであり、現時点で明確な答えは出ていないと思いますが、一趣味者として妄想してみますと、
・新造車両の導入
長野電鉄が所望しているとされる18m級3両編成という車両は中古車両としてはかなり希少価値のある存在であり出物がなかなかありません。03系を大量導入し統一できればよかったのでしょうが、廃車解体が進みもう残存している車両はありません。
それならばいっそのこと新造車両を入れてしまえ!という考え方。
実現すれば40年ぶりの新造車両となりますし、長野電鉄としては自分が考える最良の車両を導入できる反面、1両辺り2億円というコストを考えるととても現実的ではない選択肢であります。
・中古車両の導入
やはりコスト面で一番妥当なラインは中古車両の導入でしょう。
8500系の代替となりますから、同じ規格である20M級3両と考えると候補になる車は多くなります。
ちょうど東急大井町線で運行している9000系がこれから置き換えられるということで、これが長野へ行くのではないかとの見方が大勢を占めているようです。
半面、9000系はそのままでは1M2T構成での3両編成となり急こう配の控える信州中野~湯田中への入線が難しくなりますが、そもそも03系も先頭車を電装化の上導入していますし、経年30年近くを迎えている足回りの更新は必須ですから導入時に改造すると考えれば問題はないでしょう。
むろん現状の8500系と同じ範囲で運用するのであれば1M2Tでもそこまで問題にならないとみることもできますが、製造年次を考えると機器更新の必要性は大きいと思います。
問題はこの機器更新を含めた導入コストがどのくらいになるのか?
長電3000系はもともとVVVF化された編成を改造しているので各種機器をほぼそのまま使用しているとのことですが、東急9000系の場合は機器更新を実施すると仮定して取得費用にさらに改造費用が(長電3000系よりも)載ってくることが考えられます。
という意味ではコスト面では不利と言えるかもしれません。
同じ東急には長電3000系の同僚ともいえる1000系が存在しますが、これは置き換えの計画が発表されていないとのこと。18m級3両でもあり、長電としては欲しい存在でしょうが、この先数年で出物が出てくるのかが不透明なところであります。
長電3000系の古巣、東京メトロでは半蔵門線の8000系が置き換え対象となっています。
8000系はC修工事でVVVFインバーター化されていますし、台車や足回り類は長電3000系とも近いものを使用していますから、メンテナンスの省力化も期待できます。
東急9000系とほぼ同世代ですし、経年の面でもそこまで問題はありません。
個人的にはメリットが多いと思う反面、既存のインバーター制御装置を活用するのであれば、導入時に機器更新を伴わないため、東急9000系を機器更新して導入した場合と比べて足回りの寿命で差がでてくるのがデメリットともいえるでしょう。
他にも東京臨海高速鉄道りんかい線の70-000系や都営三田線6300系などこの先置き換え対象となる車両は多々ありますが、個人的には有力なのは東急9000系もしくはメトロ8000系。
この2形式になると考えています。
早い話がかねてより付き合いのある東急、東京メトロのどちらと組むのか?
ここがカギになると考えています。
・8500系を省電力車両にする(機器更新)
そんなことに大金をつぎ込むなら中古車両導入でいいんじゃないだろうか?(雑)
個人的には中古車両の導入が一番可能性の高い線だと感じています。
東急なのか?メトロなのか?それとも違う第三極なのか?
この辺は活性化協議会の資料や公式発表などの続報を楽しみに待ちましょう。
あらすじは割愛しますが、ラスト、主人公たちが親指を立てながらって話は別にいいですよね。
とにかく余計な情報を入れないで見てほしい(重要)そんな作品です。
グッバイ、ドン・グリーズはご存じ「宇宙よりも遠い場所」のいしづかあつこ監督が新たに手掛けた作品です。
宇宙よりも遠い場所。もうこの文字列だけで涙がでてきますね。
ちなみにぼくはこのよりもいのすばらしさを布教しようと友人らに勧めては一緒に見るわけですが、毎回自分が泣いてしまいます。
よりもいは女の子が南極に行く話でしたが、今回は男の子の冒険活劇です。
よりもいでは「南極に行く」というテーマがあります。
しかし南極に行きたいのは白瀬だけであり、他の4人は必ずしもそうではありません。
4人でいろいろな難局を乗り越えていく中で"この4人で"南極に行きたいと思いを強くしていきます。
どこに行くのか?ではなく、誰かと行くのか。
これが大事なんだなとよりもいは教えてくれましたが、今作でもそこは変わりません。
最後にはバスタオルが足りない(比喩表現ではなくガチ)くらいに年甲斐もなく泣いてしまいました。
ラスト、クライマックスは本当に驚かされると同時に涙が溢れました。
あのギミックを楽しむためにも余計な知識は入れずに見てほしいと思います。
劇場特典にこんな一節がありました。
もしこれから「宇宙よりも遠い場所」をご覧になる方がいたら、
ぜひ「初めてみるんだ」とファンの皆さんに自慢してみてください。
ファンのみならず、スタッフたちまで口をそろえて言うことでしょう。
「あの初めての感動を味わえるなんて、なんて羨ましい!」と。
この一節が身に染みて思います。
「よりもい」も「グッバイ、ドン・グリーズ」もまだ見てない方は是非見てみてください。
私も何度目かわからない感動をまた味わおうと思います。
●「長野電鉄2022・冬 –鯨たち最後の冬-」
今年の冬はとにかく雪が多いですね。
毎年毎年冬が始まると決まってこのえんたらコーナーで「今年こそは雪が降るのを楽しみに~」みたいなことを書いているのですが、今年は本当にそれを後悔するレベルで雪にやられている気がします。
北海道では札幌を中心に数年ぶりのドカ雪だそうでして。
JRが一週間近くマヒするという異常事態に見舞われています。
実をいうと先日たまたま偶然そんな折に北の大地へまさに"試され"てきたわけですが、そんな話は追々にしまして、今回はいよいよラストイヤーを迎えた長野の鯨たちの話題です。
弊ブログ2021年6月30日付記事でもご紹介した通り、2021年3月ダイヤ改正以降、3500系の運用は信州中野停泊運用(206運用)と停泊明け運用(301運用)、午前中に山ノ内線を走り午後イチで入庫(101運用)する3運用に再編されました。
なおかっこ書きは便宜上出庫列番を書いた非公式のものです。
このうち206運用と301運用は連続しており、301運用の須坂入庫(207列車)後に206列車として出庫できますので事実上2編成で賄える体制になっています。
昨年5月の段階ではすでに停泊に絡む運用に3500系は充当しなくなり、事実上101運用でのみ運行している状態でありました。
その後夏前になり長野電鉄公式よりコロナ禍での換気及び冷房能力の不足を理由に夏季は運行しない旨がアナウンスされましたが、実際には運用の都合上何日か運用入りしていたようです。
この運用制限はあくまで夏季だけだったようで、暑さの和らぐころには再び鯨は山を駆け抜けるようになりました。
N6編成の引退後は2編成が残存しておりましたが、うちN7編成は昨年11月末ごろから事実上の休車状態となっており、現在はN8編成だけが孤軍奮闘しております。「鯨たち」と書きましたがもはや複数形ではない状態です。
残り1編成となってからは101運用にも3000系が充当する機会が増えているようで。
目撃情報等を鑑みると土休日ダイヤでは3500系の充当が多いようです。

置き換え役のもと東京メトロ03系の3000系。
長野電鉄入り後長らくそのままだった03-107ほかの編成はこの日も変わらず留置されておりました。

おかげさまで須坂に日比谷線がいる。そんな姿を見ることができました。
この編成は2月中旬までに長野電鉄での運用に向けた改造が行われ、3000系M4編成として現在は運用開始待ちになっています。後述する報道によれば3月中にも運用開始となりそうです。
2月23日には03-106ほか3両が須坂入り。24日には入換作業が行われました。

かつて屋代から須坂までを結んでいた屋代線。
この屋代線から歴代の新車は長電入りしたわけですが、屋代線亡き後、その路盤跡地から新車は長野電鉄に入ります。
すでに3両組成が完了しており、あとはスイッチャーで構内へと入っていきます。

平成の初めに東京で見られた置き換え劇が役者はそのままに令和の長野で見られているわけですが、この一瞬だけは須坂で日比谷線を見ました。オリジナルを保っているもとO2編成と03系。まさに新旧日比谷線が一瞬だけ顔を合わせました。
このシーンを見るためだけに須坂に行ったと言っても過言ではありません。
赤帯が入る前。もうO2編成と並ぶことはないかもしれません。
一番撮りたかったものを一瞬だけではありますが、見ることができました。

須坂構内は先輩のM2編成がエスコート。
これもまた入換だからこそ見れる6両編成の長電3000系を見ることができました。

連結部にズームイン。
本家メトロ時代には見ることのなかった03系同士の連結。
運用入り後にはお互いに赤帯を巻くことになりますし、なにより異常時でしか見られない景色ですからないにこしたことはありません。今だから見れる景色でもあります。

3000系のエスコートを離れ、ここからは大先輩の3500系がエスコートします。
西日に照らされる新旧日比谷線の連結部。
ゆっくり、ゆっくりと須坂の構内を進んでいきます。

新たに仲間に加わったかつての後輩をゆっくりと押していきます。

須坂らしい場所。と言えば私の中ではイオン須坂店です。
長い間の思い出があるからともいえますが、ここが東京ではない。
長野であると思わせる場所で連結部を。
かつて03系が設計されるとき、日比谷線の初代車両である3000系がデザイン面でとても秀逸なものであったため03系もそれに負けずとも劣らないように作られたとされています。
こうして03系と連結しているのを見ると、営団3000系としての秀逸さがうまく03系にも入っているように思えます。
このあと建屋に近い側線に押し込んでN8編成はパンタをおろしました。
翌日は山ノ内線で捕鯨と考えていましたが、側線でパンタをおろしているN8編成はそのまま03系と連結されたまま。
これは望みも薄そうだなあと覚悟を決めて宿に入りました。
実は1月に取材に尋ねた時も2日間とも3000系が運用入りしておりまして。
この時の苦い記憶がよみがえったのは言うまでもありません。

翌朝の湯田中駅。N8編成はやってきました。
この日の朝もかなり冷えまして。
湯田中駅の温泉を利用した融雪装置からもくもくと湯けむりが立ち込めています。

この日の山ノ内エリアは気持ちのいい快晴。
まさにバリ晴れでありました。そんな雪の山ノ内を駆け上っていく姿もまもなく見納めです。
雪が溶けるころには鯨たちの長い旅路も終わりを迎えるかもしれません。
鯨たちの最後の冬がまもなく終わろうとしています。
鯨の最期が見えておりますが、2月26日付の信濃毎日新聞にこんな記事が出ました。
「長電普通車両 省電力型に」「28年度までに3000系などに置き換え」
「八十二銀行が新たにSDGs EGSに積極的な企業向けに新設した融資商品【ポジティブ・インパクト・ファイナンス】で1億5000万円を調達した。融資期間は7年で、省電力車両導入などに充てる。八十二銀行によると長野電鉄が同商品の1号案件。」
「現在長野電鉄は特急14両。普通31両を保有し普通車両のうち9両(3編成)が、東京メトロ日比谷線の03系車両を譲り受けて改造した3000系だ(中略)長電は20年度から導入を進め、3月末までに6両を追加予定。残りの旧型車両も28年度までに省電力型に置き換える。」
(以上2022年2月26日付 信濃毎日新聞より引用)
見出しにもある通り2028年度中には普通車両全てが省電力型(ここではVVVFインバーター制御車両)に置き換わることになりました。ネット上に公開されている記事は有料記事で冒頭部分しか読めないため憶測が広まっておりますが、2028年度までに8500系も置き換えられることになります。
8500といえば本家東急でも未だしぶとく生き残っていることを考えると、譲渡先で置き換えが検討されているのもまた感慨深いものがありますが、長野に渡った8500系は初期車が中心であり、2028年には半世紀を超える経年を考えると置き換えは妥当であると言えましょう。
一応本文中の数字についても分析してみますと、現状の長電の保有車両数は45両。これは先ごろ入線した3000系M3編成とM4編成は含めていない数字で現状20%の割合とも合致します。(45×0.2=9両)
記事中には3月末までに2編成増やすとありますので、M3編成とM4編成は年度内には就役するものと考えられます。これをさらに73%にまで引き上げるということで、45両の73%はおよそ33両となります。
15両は年度内に省電力型に変わるとなると単純計算で残りは18両。
8500系6編成と綺麗に符合する数字が出てきました。
ちなみに3000系導入時の日本経済新聞記事によると5編成15両導入に総額8億円程度がかかっており、1億5000万円では6編成分を賄うことはできません。
この1億5000万円という数字も1編成分なのか?それともあくまでも長電グループでの投資計画に対する融資総額なのか?の捉え方で考え方も変わってきます。
融資にあたり調査を行った長野経済研究所が発表した資料を読むと、ながでんグループとしてのSDGsへの取り組みをメインに分析しており、今回の融資も省電力車両への置き換えのためよりもながでんグループ全体の取り組みへの融資であり、その一つに省電力車両への置き換えがあると考えられます。
ここまでの前提の上に長野電鉄は省電力車両として何を導入するのか?
を考えてみようと思いますが、恐らくこれは今後長野電鉄で具体的に検討されていくものであり、現時点で明確な答えは出ていないと思いますが、一趣味者として妄想してみますと、
・新造車両の導入
長野電鉄が所望しているとされる18m級3両編成という車両は中古車両としてはかなり希少価値のある存在であり出物がなかなかありません。03系を大量導入し統一できればよかったのでしょうが、廃車解体が進みもう残存している車両はありません。
それならばいっそのこと新造車両を入れてしまえ!という考え方。
実現すれば40年ぶりの新造車両となりますし、長野電鉄としては自分が考える最良の車両を導入できる反面、1両辺り2億円というコストを考えるととても現実的ではない選択肢であります。
・中古車両の導入
やはりコスト面で一番妥当なラインは中古車両の導入でしょう。
8500系の代替となりますから、同じ規格である20M級3両と考えると候補になる車は多くなります。
ちょうど東急大井町線で運行している9000系がこれから置き換えられるということで、これが長野へ行くのではないかとの見方が大勢を占めているようです。
半面、9000系はそのままでは1M2T構成での3両編成となり急こう配の控える信州中野~湯田中への入線が難しくなりますが、そもそも03系も先頭車を電装化の上導入していますし、経年30年近くを迎えている足回りの更新は必須ですから導入時に改造すると考えれば問題はないでしょう。
むろん現状の8500系と同じ範囲で運用するのであれば1M2Tでもそこまで問題にならないとみることもできますが、製造年次を考えると機器更新の必要性は大きいと思います。
問題はこの機器更新を含めた導入コストがどのくらいになるのか?
長電3000系はもともとVVVF化された編成を改造しているので各種機器をほぼそのまま使用しているとのことですが、東急9000系の場合は機器更新を実施すると仮定して取得費用にさらに改造費用が(長電3000系よりも)載ってくることが考えられます。
という意味ではコスト面では不利と言えるかもしれません。
同じ東急には長電3000系の同僚ともいえる1000系が存在しますが、これは置き換えの計画が発表されていないとのこと。18m級3両でもあり、長電としては欲しい存在でしょうが、この先数年で出物が出てくるのかが不透明なところであります。
長電3000系の古巣、東京メトロでは半蔵門線の8000系が置き換え対象となっています。
8000系はC修工事でVVVFインバーター化されていますし、台車や足回り類は長電3000系とも近いものを使用していますから、メンテナンスの省力化も期待できます。
東急9000系とほぼ同世代ですし、経年の面でもそこまで問題はありません。
個人的にはメリットが多いと思う反面、既存のインバーター制御装置を活用するのであれば、導入時に機器更新を伴わないため、東急9000系を機器更新して導入した場合と比べて足回りの寿命で差がでてくるのがデメリットともいえるでしょう。
他にも東京臨海高速鉄道りんかい線の70-000系や都営三田線6300系などこの先置き換え対象となる車両は多々ありますが、個人的には有力なのは東急9000系もしくはメトロ8000系。
この2形式になると考えています。
早い話がかねてより付き合いのある東急、東京メトロのどちらと組むのか?
ここがカギになると考えています。
・8500系を省電力車両にする(機器更新)
そんなことに大金をつぎ込むなら中古車両導入でいいんじゃないだろうか?(雑)
個人的には中古車両の導入が一番可能性の高い線だと感じています。
東急なのか?メトロなのか?それとも違う第三極なのか?
この辺は活性化協議会の資料や公式発表などの続報を楽しみに待ちましょう。
長旅に燃えていたいのに
いつになく新年感がありませんが、新年です。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
去年末から今年にかけましてはなぜかあわただしくてですね。
本当に新年という感じがありません。
そんな新年ですが「モーレツ宇宙海賊」なんて懐かしいタイトルを見返しています。
本放送はちょうど10年前の2012年。
それにしてもこの作品が10年前。ここまでくるともはや無の境地であります。
「海賊の時間だ!」という決め台詞とももクロが歌う主題歌のイメージだけは強いのですが、どんなストーリーだったかと言われると思い出せないのはいつものこと。
久々に見返しておりますが、何よりもキャストが本当に豪華。
10年前の作品を取り上げておいてこういうことを書くのも難ですが、本当にキャストが豪華です(大事なことなので二度書きましたよ)
ヒロインの小松未可子、花澤香菜はもちろんのことモブ役に近い白鴎女学院の面々も三森すずこ、内田真礼、安野希世乃、西明日香と今では全て主役級を張る面々ばかり。どうでもいいですが新しいPCにしてから声優名が一発で表示されるので便利ですね。

エンディングからキャストのクレジットですが、今からすれば主役ばかり。
まさに超重量級、史上最強打線です。
これが最初に表示されるんじゃないんですよ。
二度目に表示されるんです。
10年後の視点から見ればこの面々を惜しげもなく端役に充てられたのは奇跡と言えそうです。
ゆえに作品としての安定感は抜群であります。
今、この作品の続編を作ろうとすると本当に大変だろうなと察します。
これまでのキャストを全員集めることができるのだろうか?
難しいのではないかと思いますね。
シリーズはこのあと劇場版へと続いていきます。
各シナリオはとても丁寧に作られていますし、今思えば本当に名作です。
●「新京成 干支ヘッドマーク電車を撮る」
毎年いつも同じ書き出しでございますが、例年のように今年もこの話題からです。
新京成では1月1日から15日まで毎年恒例となりました干支HM電車が運行されました。

今年もこの場所で。
昨年、この場所で撮り続ける意味と言いますか、難しさを書きましたが今年は運用にも天気にも恵まれ早々に課題クリアとなりました。

2019年から沿線の高校とタイアップし、沿線の高校生がデザインしたHMが掲出されるのは今年も同じです。
上下でHMが異なるため、下りだけとればOKとならない難しさがあります。
特に上り方が順光となる撮影地は本当に限られるわけで、こればかりは何とかしてほしいものですがなんともならないわけでして、今年もこんな感じのカットで終わってしまいました。もはや宿命です。
この干支HM電車の撮影である意味新年の運試しとしても取り組んでおりますが、今年は幸先が良いです。
昨年はいろいろとありましたから、いい一年になってくれるとありがたいものです。
昨年来、いろいろとありまして、ご心配をおかけした方もいました。
いろいろと申し訳ない思いもありますが、とにかく私は変わらずなんとか生きています。
失ったものもありますが、それでもこんな感じで今年も琴線に触れたものを撮り続けていこうと思いますし、月に1回くらいはここでそんな話を書ければと思っています。
2022年も変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。
【この記事は予約投稿で公開しています】
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
去年末から今年にかけましてはなぜかあわただしくてですね。
本当に新年という感じがありません。
そんな新年ですが「モーレツ宇宙海賊」なんて懐かしいタイトルを見返しています。
本放送はちょうど10年前の2012年。
それにしてもこの作品が10年前。ここまでくるともはや無の境地であります。
「海賊の時間だ!」という決め台詞とももクロが歌う主題歌のイメージだけは強いのですが、どんなストーリーだったかと言われると思い出せないのはいつものこと。
久々に見返しておりますが、何よりもキャストが本当に豪華。
10年前の作品を取り上げておいてこういうことを書くのも難ですが、本当にキャストが豪華です(大事なことなので二度書きましたよ)
ヒロインの小松未可子、花澤香菜はもちろんのことモブ役に近い白鴎女学院の面々も三森すずこ、内田真礼、安野希世乃、西明日香と今では全て主役級を張る面々ばかり。どうでもいいですが新しいPCにしてから声優名が一発で表示されるので便利ですね。

エンディングからキャストのクレジットですが、今からすれば主役ばかり。
まさに超重量級、史上最強打線です。
これが最初に表示されるんじゃないんですよ。
二度目に表示されるんです。
10年後の視点から見ればこの面々を惜しげもなく端役に充てられたのは奇跡と言えそうです。
ゆえに作品としての安定感は抜群であります。
今、この作品の続編を作ろうとすると本当に大変だろうなと察します。
これまでのキャストを全員集めることができるのだろうか?
難しいのではないかと思いますね。
シリーズはこのあと劇場版へと続いていきます。
各シナリオはとても丁寧に作られていますし、今思えば本当に名作です。
●「新京成 干支ヘッドマーク電車を撮る」
毎年いつも同じ書き出しでございますが、例年のように今年もこの話題からです。
新京成では1月1日から15日まで毎年恒例となりました干支HM電車が運行されました。

今年もこの場所で。
昨年、この場所で撮り続ける意味と言いますか、難しさを書きましたが今年は運用にも天気にも恵まれ早々に課題クリアとなりました。

2019年から沿線の高校とタイアップし、沿線の高校生がデザインしたHMが掲出されるのは今年も同じです。
上下でHMが異なるため、下りだけとればOKとならない難しさがあります。
特に上り方が順光となる撮影地は本当に限られるわけで、こればかりは何とかしてほしいものですがなんともならないわけでして、今年もこんな感じのカットで終わってしまいました。もはや宿命です。
この干支HM電車の撮影である意味新年の運試しとしても取り組んでおりますが、今年は幸先が良いです。
昨年はいろいろとありましたから、いい一年になってくれるとありがたいものです。
昨年来、いろいろとありまして、ご心配をおかけした方もいました。
いろいろと申し訳ない思いもありますが、とにかく私は変わらずなんとか生きています。
失ったものもありますが、それでもこんな感じで今年も琴線に触れたものを撮り続けていこうと思いますし、月に1回くらいはここでそんな話を書ければと思っています。
2022年も変わらぬお付き合いをよろしくお願いいたします。
【この記事は予約投稿で公開しています】
「年末」という名のターミナル
新しいPCからの二回目。大晦日です。
とはいいつつもこれを書いているのは大晦日ではないのですが。
いつも通りの予約投稿です。
今回はまず「安全保障」の話です。
ちょうど新しいPCにしたあたりで長年使っていた外付けHDDの容量がいっぱいになりまして。
新しく外付けHDDを確保していました。秋のはじまりのころです。
その頃PCの買い替えを意識しておりましたので、これが完了次第データの移行を行おうと思っていました。
2TB近い容量ですから、転送するだけでも時間を食います。後回しにしてしまいました。
そして先日、新しいPCの運用を開始したのでデータ転送をしようとしたところ
全く認識せず
嫌な予感がしましたが、何度か抜き差しする間に認識してくれまして。
転送を始めたところ転送スピードが異常に遅い。これは終わったなと確認してみると「不良セクタ」が発生しているとのこと。
お察しの通り外付けHDDが逝ってしまいました。
中に入っているのはここ数年の撮影データ。
面倒くさくてバックアップをろくにとっていなかったのが運のツキでした。
せめてバックアップでも取っていればよかったのですが、このデータ入替でバックアップとするつもりだっただけにタイミングの悪さを恨みます。が恨んでいても仕方がないのですし、ここ数年自分の活動してきたものを失うことは耐えられませんから、覚悟を決めてデータ復旧に出します。
この手のデータ復旧は様々なところが手掛けておりまして。
ググってみるとわかりますとまさにピンキリです。中には障害等級に係わらず一律数万円というところも。
内容を見てもどこもかしこもよさげな事ばかり書いておりまして、判断に迷うところですが、とりあえずバッファローのデータ復旧へ出しました。
復旧自体は成功しまして、中度障害。どうやら論理障害と物理障害を併発していたようです。
価格は13万円ほど。手痛い出費ですが、二度と取れないカットが多々ある中で取り戻せるのであれば安いものです。
復旧に出してからはおよそ3週間ほどで手元に帰ってきました。
本件事象からの学びとして
・重要データは必ずバックアップを取る
カメラのデータなら撮影したSDはそのまま保管する。
過去2011年から2017年まではこの方式としていましたが、高性能SDを使うようになった時期からはこの方法ではなく、HDDにデータを移すだけでした。これをケチらずやっていれば…後悔先経たずです。
SDの寿命は短いとは言いますが、常時使用するわけでもないいわばマスターデータの形であれば、10年前のSDであっても99%のデータは正常にアクセスできていますので有効な方法だと思われます。
また動画等のデータであればDVDに焼く、ないしは別のHDDにもデータを残す。
動画データは著作権等が絡むと復旧してくれない場合もあるそうで。
今回はたまたまカメラの撮影データでしたのでそこの心配はありませんでしたが、いざデータ復旧に出した際にそういった側面から復旧できないリスクを考えると、必要に応じてバックアップをするべきでしょう。
まさに基本の「キ」だと痛感しました。
・長期間稼働しているHDDは一定期間経過した段階で取り換える
HDDの平均稼働時間は4年程度だと言われています。メーカーが2年から3年程度保証していることを考えると4年程度で一度取り換えることが大切かもしれません。今回のHDDはおよそ5年程度稼働していましたので、やはり4年というのは一つの区切りと言えそうです。
今では1万円程度で手に入りますから、価格とデータ転送の手間を惜しむことなく交換しましょう。
数年に一度1万円の出費で、いざというときのリスクを回避できます。
・HDD診断ソフトを活用し、故障の前兆を掴む
こんなこと当然やってるよ。っていう方が多いでしょうが、大切です。
今までこの辺の対応が怠っておりまして、やっているかたはこまめなチェックを。
やっていない方はぜひやることをお勧めします。
注意信号が出たら警戒し、交換することでリスク回避の一助となるはずです。
最近ではクラウド等に保管することもできますが、クラウドサービスはいつ条件が変わるかわかりませんし、やはり手元に残る形で多重バックアップをしていくのが一番確実ではないかと思います。
当方ではカメラデータは今後、SDカードによるマスターデータ、HDDによるデータ保管を主軸とし、適宜バックアップを取っていく形で運用していき、データ安全保障体制の構築を図ってまいります。
昨年はカメラが壊れ、今年はデータを失いかけ。
人間は毎年高い勉強代を払ってひとつひとつ成長していくんですね(違)
●「今年もありがとうございました」
というわけで今回は例年なら今年一年を振り返る話のはずなのですが。
過去データが吹き飛んだばかりということもあるのと、そもそも今年一年を振り返ると大半が緊急事態宣言でして。宣言中に出かけてたのかとあらぬご指摘を頂くのも癪に障りますので割愛します。
来年はどこかへ気兼ねなく出かけることができるような一年であってほしいものです。

ただ、このご時世でもいろいろなところへいけました。
お会いした皆さま、本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今年の更新はこの記事が最後になります。
それはそうだもの。この記事が日の目を見ている今日は大晦日だもの。
振り返ってみますと、今年一年本当にいろいろなことがありました。
未だ終わりが見えないコロナ禍、そして我々が今生きているこの社会は、今まで経験したことのない速度で変化を続けています。
かつて許されていたことが許されなくなる。
価値観のアップデートは本当に大切なんだと痛感しました。
私自身、そのことを重々承知した上でやっていたつもりです。
でも、足りなかった。大きな悪意の前にはかないません。
ただそれだけのことです。
毎年この時期になるといつもこの話をしていますが、来年でこのウェブログも13年目になります。
よくもまぁ続けてきたなあと思う反面、いつまで続けていくのか。続けていけるのか?
今まで積み重ねてきたこの場所を大切にしたいという気持ちは変わらずあります。
しかしながらそれを許してくれない世間の空気もあります。
今年はそういう意味で、大きな危機を感じた一年でもありました。
いつまでも続けていけるかわかりませんし、終わりの時がきたとしても、きちんと挨拶ができるとも限りません。
もう一つの安全保障の話です。簡単には答えが出ません。
もちろん単純明快な答えはあります。しかしその答えは採用したくありません。
2022年がどのような年になるかはわかりませんが、少しでもこの場所を、趣味者としてのかかわりを続けていく努力をしていこう。
年の末、そんな風に思っております。
年末年始はどうやら冷え込むようです。
みなさまお身体には気をつけて、どうぞよいお年を。
今回は録画放送といいますか、予約投稿なので、記事が日の目を見る前に天災とかがないといいのですが()
とはいいつつもこれを書いているのは大晦日ではないのですが。
いつも通りの予約投稿です。
今回はまず「安全保障」の話です。
ちょうど新しいPCにしたあたりで長年使っていた外付けHDDの容量がいっぱいになりまして。
新しく外付けHDDを確保していました。秋のはじまりのころです。
その頃PCの買い替えを意識しておりましたので、これが完了次第データの移行を行おうと思っていました。
2TB近い容量ですから、転送するだけでも時間を食います。後回しにしてしまいました。
そして先日、新しいPCの運用を開始したのでデータ転送をしようとしたところ
全く認識せず
嫌な予感がしましたが、何度か抜き差しする間に認識してくれまして。
転送を始めたところ転送スピードが異常に遅い。これは終わったなと確認してみると「不良セクタ」が発生しているとのこと。
お察しの通り外付けHDDが逝ってしまいました。
中に入っているのはここ数年の撮影データ。
面倒くさくてバックアップをろくにとっていなかったのが運のツキでした。
せめてバックアップでも取っていればよかったのですが、このデータ入替でバックアップとするつもりだっただけにタイミングの悪さを恨みます。が恨んでいても仕方がないのですし、ここ数年自分の活動してきたものを失うことは耐えられませんから、覚悟を決めてデータ復旧に出します。
この手のデータ復旧は様々なところが手掛けておりまして。
ググってみるとわかりますとまさにピンキリです。中には障害等級に係わらず一律数万円というところも。
内容を見てもどこもかしこもよさげな事ばかり書いておりまして、判断に迷うところですが、とりあえずバッファローのデータ復旧へ出しました。
復旧自体は成功しまして、中度障害。どうやら論理障害と物理障害を併発していたようです。
価格は13万円ほど。手痛い出費ですが、二度と取れないカットが多々ある中で取り戻せるのであれば安いものです。
復旧に出してからはおよそ3週間ほどで手元に帰ってきました。
本件事象からの学びとして
・重要データは必ずバックアップを取る
カメラのデータなら撮影したSDはそのまま保管する。
過去2011年から2017年まではこの方式としていましたが、高性能SDを使うようになった時期からはこの方法ではなく、HDDにデータを移すだけでした。これをケチらずやっていれば…後悔先経たずです。
SDの寿命は短いとは言いますが、常時使用するわけでもないいわばマスターデータの形であれば、10年前のSDであっても99%のデータは正常にアクセスできていますので有効な方法だと思われます。
また動画等のデータであればDVDに焼く、ないしは別のHDDにもデータを残す。
動画データは著作権等が絡むと復旧してくれない場合もあるそうで。
今回はたまたまカメラの撮影データでしたのでそこの心配はありませんでしたが、いざデータ復旧に出した際にそういった側面から復旧できないリスクを考えると、必要に応じてバックアップをするべきでしょう。
まさに基本の「キ」だと痛感しました。
・長期間稼働しているHDDは一定期間経過した段階で取り換える
HDDの平均稼働時間は4年程度だと言われています。メーカーが2年から3年程度保証していることを考えると4年程度で一度取り換えることが大切かもしれません。今回のHDDはおよそ5年程度稼働していましたので、やはり4年というのは一つの区切りと言えそうです。
今では1万円程度で手に入りますから、価格とデータ転送の手間を惜しむことなく交換しましょう。
数年に一度1万円の出費で、いざというときのリスクを回避できます。
・HDD診断ソフトを活用し、故障の前兆を掴む
こんなこと当然やってるよ。っていう方が多いでしょうが、大切です。
今までこの辺の対応が怠っておりまして、やっているかたはこまめなチェックを。
やっていない方はぜひやることをお勧めします。
注意信号が出たら警戒し、交換することでリスク回避の一助となるはずです。
最近ではクラウド等に保管することもできますが、クラウドサービスはいつ条件が変わるかわかりませんし、やはり手元に残る形で多重バックアップをしていくのが一番確実ではないかと思います。
当方ではカメラデータは今後、SDカードによるマスターデータ、HDDによるデータ保管を主軸とし、適宜バックアップを取っていく形で運用していき、データ安全保障体制の構築を図ってまいります。
昨年はカメラが壊れ、今年はデータを失いかけ。
人間は毎年高い勉強代を払ってひとつひとつ成長していくんですね(違)
●「今年もありがとうございました」
というわけで今回は例年なら今年一年を振り返る話のはずなのですが。
過去データが吹き飛んだばかりということもあるのと、そもそも今年一年を振り返ると大半が緊急事態宣言でして。宣言中に出かけてたのかとあらぬご指摘を頂くのも癪に障りますので割愛します。
来年はどこかへ気兼ねなく出かけることができるような一年であってほしいものです。

ただ、このご時世でもいろいろなところへいけました。
お会いした皆さま、本当にありがとうございました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、今年の更新はこの記事が最後になります。
それはそうだもの。この記事が日の目を見ている今日は大晦日だもの。
振り返ってみますと、今年一年本当にいろいろなことがありました。
未だ終わりが見えないコロナ禍、そして我々が今生きているこの社会は、今まで経験したことのない速度で変化を続けています。
かつて許されていたことが許されなくなる。
価値観のアップデートは本当に大切なんだと痛感しました。
私自身、そのことを重々承知した上でやっていたつもりです。
でも、足りなかった。大きな悪意の前にはかないません。
ただそれだけのことです。
毎年この時期になるといつもこの話をしていますが、来年でこのウェブログも13年目になります。
よくもまぁ続けてきたなあと思う反面、いつまで続けていくのか。続けていけるのか?
今まで積み重ねてきたこの場所を大切にしたいという気持ちは変わらずあります。
しかしながらそれを許してくれない世間の空気もあります。
今年はそういう意味で、大きな危機を感じた一年でもありました。
いつまでも続けていけるかわかりませんし、終わりの時がきたとしても、きちんと挨拶ができるとも限りません。
もう一つの安全保障の話です。簡単には答えが出ません。
もちろん単純明快な答えはあります。しかしその答えは採用したくありません。
2022年がどのような年になるかはわかりませんが、少しでもこの場所を、趣味者としてのかかわりを続けていく努力をしていこう。
年の末、そんな風に思っております。
年末年始はどうやら冷え込むようです。
みなさまお身体には気をつけて、どうぞよいお年を。
今回は録画放送といいますか、予約投稿なので、記事が日の目を見る前に天災とかがないといいのですが()
大井町で暮らしたら
パソコンを買い替えました。
今まで使っていたパソコンがもう書くのも恥ずかしいレベルの長寿になってしまいまして。
いやちゃんと買い替えようとは毎年思っていたんですよ。
思っていたんですが、去年は今時期にカメラが死にましたし、タイミングってのも難しいものです。
とくに今回はどうせならちゃんとしたものをそろえようと考えていただけに、コストがかなりかかります。
その辺の懐事情を鑑みるとどうしても及び腰になってしまうものでして。
一年二年とだましだまし使っていたのですが、いよいよブルースクリーンを吐いて死んでしまいました。
不死鳥のごとくよみがえってデータは取れたものの、これはいよいよ潮時だろうと思い買い替えを決意しました。
折からの半導体不足もあり、数年前ならもう少しいいものが手に入るであろうレベルの金を積んでそこそこのレベルのPCを手に入れることになりました。やはり思い立ったが吉日。早めに買うべきだったんでしょうが、後の祭りです。
というわけで今回から新しいPCでの更新です。
新しいPCはいいですね。まるで新居に引っ越したような気分です。
今までとは雲泥の差のスペックですから、写真の編集はサクサクと、ストレスなくいけます。
いままで写真編集に小一時間くらいかけていたのは、今思えば時間をどぶに捨ててたんだなと反省しています。
弘法筆を選ばずとは言いますが、道具はいいものを使うべきです。
それがひいては時間短縮になり、作業の効率化につながるというものです。
4K対応ディスプレイですから当然作業ははかどります。
まぁもっともこの一か月このPCでやったことと言えばアマプラでSPECを見たくらいなんですが()
●「近くて遠い流鉄2021-混色「あの花」編成走る-」
今回は「大丈夫か?流鉄」というようなお話です。
そもそも流鉄流山線を皆さまはご存じでしょうか?
馬橋から流山に至る短い路線ですが、地域の足として根ざしている鉄道であります。
かくいう私はというと、そういや松戸市内ってVVVFインバーター制御車しか通らないんじゃないだろうか?
JRは武蔵野線も常磐線も(定期列車は)すべてVVVFになりましたし、新京成はいわずもがな。
北総線もVVVF制御車以外は乗り入れもないし、松戸市内って抵抗制御車走ってないんだなと思ったときにふとそうだ流鉄があったんだと思い出すくらいには生活に密着した、欠かせない存在です。
そんな流鉄ですが、普段は2両編成のもと西武のお古がトコトコと走っておりまして。
ニッチな行先なぞ短い路線にあるわけもなく。
車両の置き換えも西武から来た701系を新101系で置き換えて久しく。
変化にとんだ車窓とは言うものの住宅街を縫っていくイマイチなロケーションも相まってなかなか足が伸びないところというのが正直なところでした。
前回流鉄に足を運んだのは2年前。
馬橋~小金城趾間で保安装置故障が発生し、代用閉塞を実施した時でした。

この時は小金城趾駅の出発信号機が不調で、指導票(タブレット)に指導者腕章をつけたものを小金城趾駅で上下列車交換の時に載せることでいわゆる指導通信式による代用閉塞の取り扱いを実施していました。
ちなみにウィキペディアによると本来指導通信式を実施する場合は駅長から任命された指導者を用意しないといけませんが、人員不足等の際は指導者腕章を指導票につけることで代用することができるそうで、この写真に写っているタブレットキャリーに指導者腕章が巻かれているのはとても大切な意味をもつのであります。

下り流山行から受け取ったタブレットキャリアは上り馬橋行へ渡されます。
小金城趾~馬橋を走る列車はこの指導者腕章のついたタブレットキャリアがないと走行できません。

そして故障のため停止を現示している小金城趾駅出発信号機に代わり、駅係員の手信号による進行現示を受けて馬橋方面へと列車は出発していきます。
この代用閉塞の取り扱いは数日続いたようで、一部では大いに注目を集めておりました。
都会から30分圏内で日常的にタブレット交換が見れるというわけですから無理もありません。
大型連休中とはいえこのような取り扱いが数日も続いているのも大変なことだとは思いますが、今回はその比ではありません。
もともと流鉄では各編成ごとに車両の色を変えているのはご存じかと思います。
その上で各編成に名称を付けています。
あかぎ・さくら・流星・若葉・なの花と5編成それぞれ個性的な装いになっています。
数日前からこのうちのなの花が不調だそうでして。
車両故障の挙句救援までされてしまったのですが、流鉄5編成のうちあかぎは検査入場中。
若葉は既に検査期限切れ。
流星とさくらとなの花の3編成が稼働できるわけですが、なの花が車両故障で運用入りできなくなると流鉄は予備車がなくなってしまうわけですね。そこで検査の終了していたあかぎの片割れとなの花の不調ではないほうを組み合わせた流鉄史上初の混色編成が運用を開始したのでした。

流鉄史上初の混色編成。
かつて連結等で混色が見ることはできたそうですが、1編成で色が違うのは初とのこと。
手を組む「"あ"かぎ」と「な"の花"」で誰が言い出したか「あの花」編成が走っています。
それにしても流鉄は撮影地がありません。
路線の規模の割に走る方角が一定なのと、架線柱が門型のためなかなか綺麗に撮れないのです。

赤い電車のほうである「あかぎ」は検査を終えているということで、床下がきれいです。
手前の「なの花」はあかぎの前に検査を終えたようで、まだまだ床下は綺麗目です。
この本来手を取り合うはずがない二つが手を取り合うシーン、なかなか惹かれますね。

今回この取材のために2日間流鉄入りしましたが、そのどちらも夕方まで粘ってしまいました。
夕方になるとあかぎ側の面にも日が回るようになりますが、それはほんの一瞬。
季節柄陰に落ちてしまうのでこれも綺麗に撮るのは至難の業です。
この撮影地の少なさも写欲が湧かない遠因でもあるのですが......
代用閉塞の時も思いましたが、流鉄くらいの規模の私鉄になると大手私鉄なら最後の切り札として使う技を使わざるをえないものをやらざるをえない、そしてそれが長時間続いてしまう。なかなかすぐに復旧できないという厳しさがあります。
規模が小さいがゆえに1日だけ、数日で復旧と行かないところに流鉄の厳しい事情を垣間見たような気がします。
それでも公共交通機関である以上は列車を止めるわけにはいきません。
代用閉塞も、今回の混色「あの花」編成も、流鉄の公共交通機関としての矜持と言えるのではないでしょうか?
すぐには直すことができない。でもできないならできないなりにやれることをやる。
最善を尽くす。涙ぐましい努力をしながら今日も流鉄はトコトコと流山と馬橋をひた走っています。
ちなみにこの記事を書いている時点ではいまも「あの花」編成は走っているようで。
混色「あの花」編成も趣味者からの注目もすごいですし、落ち着いたらいっそのこと編成をシャッフルしてイベント列車を仕立ててみる。なんてのはどうでしょうかね?流鉄さん。
ちなみにぼくは「若葉」と「なの花」の「若の花」が見てみたいですね(若の花が言いたかっただけシリーズ)
今まで使っていたパソコンがもう書くのも恥ずかしいレベルの長寿になってしまいまして。
いやちゃんと買い替えようとは毎年思っていたんですよ。
思っていたんですが、去年は今時期にカメラが死にましたし、タイミングってのも難しいものです。
とくに今回はどうせならちゃんとしたものをそろえようと考えていただけに、コストがかなりかかります。
その辺の懐事情を鑑みるとどうしても及び腰になってしまうものでして。
一年二年とだましだまし使っていたのですが、いよいよブルースクリーンを吐いて死んでしまいました。
不死鳥のごとくよみがえってデータは取れたものの、これはいよいよ潮時だろうと思い買い替えを決意しました。
折からの半導体不足もあり、数年前ならもう少しいいものが手に入るであろうレベルの金を積んでそこそこのレベルのPCを手に入れることになりました。やはり思い立ったが吉日。早めに買うべきだったんでしょうが、後の祭りです。
というわけで今回から新しいPCでの更新です。
新しいPCはいいですね。まるで新居に引っ越したような気分です。
今までとは雲泥の差のスペックですから、写真の編集はサクサクと、ストレスなくいけます。
いままで写真編集に小一時間くらいかけていたのは、今思えば時間をどぶに捨ててたんだなと反省しています。
弘法筆を選ばずとは言いますが、道具はいいものを使うべきです。
それがひいては時間短縮になり、作業の効率化につながるというものです。
4K対応ディスプレイですから当然作業ははかどります。
まぁもっともこの一か月このPCでやったことと言えばアマプラでSPECを見たくらいなんですが()
●「近くて遠い流鉄2021-混色「あの花」編成走る-」
今回は「大丈夫か?流鉄」というようなお話です。
そもそも流鉄流山線を皆さまはご存じでしょうか?
馬橋から流山に至る短い路線ですが、地域の足として根ざしている鉄道であります。
かくいう私はというと、そういや松戸市内ってVVVFインバーター制御車しか通らないんじゃないだろうか?
JRは武蔵野線も常磐線も(定期列車は)すべてVVVFになりましたし、新京成はいわずもがな。
北総線もVVVF制御車以外は乗り入れもないし、松戸市内って抵抗制御車走ってないんだなと思ったときにふとそうだ流鉄があったんだと思い出すくらいには生活に密着した、欠かせない存在です。
そんな流鉄ですが、普段は2両編成のもと西武のお古がトコトコと走っておりまして。
ニッチな行先なぞ短い路線にあるわけもなく。
車両の置き換えも西武から来た701系を新101系で置き換えて久しく。
変化にとんだ車窓とは言うものの住宅街を縫っていくイマイチなロケーションも相まってなかなか足が伸びないところというのが正直なところでした。
前回流鉄に足を運んだのは2年前。
馬橋~小金城趾間で保安装置故障が発生し、代用閉塞を実施した時でした。

この時は小金城趾駅の出発信号機が不調で、指導票(タブレット)に指導者腕章をつけたものを小金城趾駅で上下列車交換の時に載せることでいわゆる指導通信式による代用閉塞の取り扱いを実施していました。
ちなみにウィキペディアによると本来指導通信式を実施する場合は駅長から任命された指導者を用意しないといけませんが、人員不足等の際は指導者腕章を指導票につけることで代用することができるそうで、この写真に写っているタブレットキャリーに指導者腕章が巻かれているのはとても大切な意味をもつのであります。

下り流山行から受け取ったタブレットキャリアは上り馬橋行へ渡されます。
小金城趾~馬橋を走る列車はこの指導者腕章のついたタブレットキャリアがないと走行できません。

そして故障のため停止を現示している小金城趾駅出発信号機に代わり、駅係員の手信号による進行現示を受けて馬橋方面へと列車は出発していきます。
この代用閉塞の取り扱いは数日続いたようで、一部では大いに注目を集めておりました。
都会から30分圏内で日常的にタブレット交換が見れるというわけですから無理もありません。
大型連休中とはいえこのような取り扱いが数日も続いているのも大変なことだとは思いますが、今回はその比ではありません。
もともと流鉄では各編成ごとに車両の色を変えているのはご存じかと思います。
その上で各編成に名称を付けています。
あかぎ・さくら・流星・若葉・なの花と5編成それぞれ個性的な装いになっています。
数日前からこのうちのなの花が不調だそうでして。
車両故障の挙句救援までされてしまったのですが、流鉄5編成のうちあかぎは検査入場中。
若葉は既に検査期限切れ。
流星とさくらとなの花の3編成が稼働できるわけですが、なの花が車両故障で運用入りできなくなると流鉄は予備車がなくなってしまうわけですね。そこで検査の終了していたあかぎの片割れとなの花の不調ではないほうを組み合わせた流鉄史上初の混色編成が運用を開始したのでした。

流鉄史上初の混色編成。
かつて連結等で混色が見ることはできたそうですが、1編成で色が違うのは初とのこと。
手を組む「"あ"かぎ」と「な"の花"」で誰が言い出したか「あの花」編成が走っています。
それにしても流鉄は撮影地がありません。
路線の規模の割に走る方角が一定なのと、架線柱が門型のためなかなか綺麗に撮れないのです。

赤い電車のほうである「あかぎ」は検査を終えているということで、床下がきれいです。
手前の「なの花」はあかぎの前に検査を終えたようで、まだまだ床下は綺麗目です。
この本来手を取り合うはずがない二つが手を取り合うシーン、なかなか惹かれますね。

今回この取材のために2日間流鉄入りしましたが、そのどちらも夕方まで粘ってしまいました。
夕方になるとあかぎ側の面にも日が回るようになりますが、それはほんの一瞬。
季節柄陰に落ちてしまうのでこれも綺麗に撮るのは至難の業です。
この撮影地の少なさも写欲が湧かない遠因でもあるのですが......
代用閉塞の時も思いましたが、流鉄くらいの規模の私鉄になると大手私鉄なら最後の切り札として使う技を使わざるをえないものをやらざるをえない、そしてそれが長時間続いてしまう。なかなかすぐに復旧できないという厳しさがあります。
規模が小さいがゆえに1日だけ、数日で復旧と行かないところに流鉄の厳しい事情を垣間見たような気がします。
それでも公共交通機関である以上は列車を止めるわけにはいきません。
代用閉塞も、今回の混色「あの花」編成も、流鉄の公共交通機関としての矜持と言えるのではないでしょうか?
すぐには直すことができない。でもできないならできないなりにやれることをやる。
最善を尽くす。涙ぐましい努力をしながら今日も流鉄はトコトコと流山と馬橋をひた走っています。
ちなみにこの記事を書いている時点ではいまも「あの花」編成は走っているようで。
混色「あの花」編成も趣味者からの注目もすごいですし、落ち着いたらいっそのこと編成をシャッフルしてイベント列車を仕立ててみる。なんてのはどうでしょうかね?流鉄さん。
ちなみにぼくは「若葉」と「なの花」の「若の花」が見てみたいですね(若の花が言いたかっただけシリーズ)
いろんな角度から見てきた
つづけ、秋の夜長。
前回も書きましたが、快適な日々が続きます。寒くもなく、暑くもない。
ちょっとコタツに入ればちょうどいい。こんな日々がいつまでも続いてほしいものです。
そんな秋の夜長。ついつい夜更かししがちな方もいるだろうと思いますが、ふと深夜に点いているテレビというのはどうしてあんなにも魅かれるものがあるのでしょうかね?
思えば昔からそんな気がします。
東のエデンを最初に見たときも秋の夜長。ちょうど最終回のクライマックスでしたし、もうタイトルも思い出せない単発のスペシャルドラマも冒頭5分すぎたあたりでたまたまチャンネルが合ってそこからついつい最後まで見てしまったわけで、秋の夜長にやっているテレビドラマというか作品は不思議な魔力があるものです。
先日も夜中サウナに入っていたらたまたまドラマの再放送をしていまして。
これ意見が分かれるのでしょうが、私はテレビがあるサウナは嫌いじゃないです。
嫌いって方もいるのでしょうが、私は時間を忘れて入ることができますし、暇つぶしになりますので好きです。
出演していたのは有村架純で、何故か魅かれるものがありました。
で、サウナを出て調べてみたらタイトルはすぐわかりました。
「姉ちゃんの恋人」
去年のちょうど今頃に放送されていたドラマの再放送でした。
クリックでアマゾンプライムのページに飛びます。
この記事を書いている時点ではプライム会員は無料で見れます。
アマプラは移動中にでも見れるので本当に便利です。
これだけで課金する価値があるというもの。
ストーリーとかはアマゾンのページに譲るとして、引き込まれましたね。
いい場面で流れる主題歌はミスチルの「Brand new planet」でこれがまたいい曲です。
あっという間の勢いで全て見てしまいました。
恐らく本放送の時には火曜9時枠ですからまず見ることはないのですが、これがこと秋の夜長にたまたま再放送している場面で見たからこそ魅かれるものが強かったのだと思いますし、たまたまそのサウナでチャンネルが合っていたから見れたわけで、そう考えると作品との運命的な出会いといえるでしょう。
こういう出会いというのもまさに秋の夜長の醍醐味であります。
●「こんにちは80026、さようなら8512」
最後に新京成の記事を書いてから1年半が経とうとしております。
今回はどちらかというと「情報発信」というよりも「思い出話」みたいなところが強いのですが、去る10月、新京成待望の80000形2次車が日本車両豊川工場より姿を現しました。
この編成の登場は延命措置の続いていた8512Fの置き換え、ひいては新京成8000形の全廃という新京成車両史における大きな局面を迎えることを意味しています。
そもそも2次車の存在自体は2020年から中期経営計画および移動円滑化に関する報告書等に記載されており、2021年6月の8512F検査期限をもって代替となることは既定路線でした。
それはコロナ禍でも変わらない方針ではありましたが、6月を過ぎても新車の姿は一向に見えず、8512Fは末期4か月近くを車両基地内にて休車扱いで過ごすという少々寂しい日々を過ごしたのでした。
前途多難な旅立ちであった1次車とは異なり、2次車は極めて順調にくぬぎ山への道を進めました。

西浜松までのエスコート役はDE10 1772号機。
新京成に限らず数多くの甲種輸送でエスコートしています。
甲種となると個人的にこの浜名湖アングルは捨てがたいなと思うのはやはり新京成入りしたあとは長大鉄橋を渡ることがないということに限るでしょう。将来的には千葉線に直通するものと思われますが、それでも花見川の橋は短いですし、あまり絵になりません。
機関車けん引とは言え、二度と見れないであろう風景が見れる。
これが甲種輸送の醍醐味なのであります。
80026は極めて順調に越谷へ進み、陸送を経て印旛車両基地へ。
今回は2次車でかつデジタル列車無線の使用開始後とあってか、自走でくぬぎ山を目指します。

真っ暗な北総1期線区間をゆく80026F。
最近のカメラの技術革新というのはすごいもので、歩道橋の明かりだけでここまで写ります。
そのうち暗闇でもバリ晴れみたいなカットが撮れるんじゃないかと錯覚してしまいますね。
ちょいと先回りをしまして、津田沼へ。
津田沼ではかなりの趣味者が集まっていました。

80000形の急行灯点灯シーンは今回が初めて。
それでなくても初めての北総線・京成線自走回送とあって多くの趣味者が集まりました。
見知った顔ばかり...というわけでもなく見知らぬ顔も多く。
年々人が増えているような気がするのですが、昔ののんびりとした空気は帰ってこなさそうです。
夜も遅いので見知った人たちと簡単な挨拶やら近況報告をして.....なんてしていたらあっという間に時間は過ぎ去ってしまったのでした。
80026がくぬぎ山にたどり着いた頃、新京成で初となる有料撮影会の告知が行われました。
この時点で8512Fの去就についてはなにも言われておりませんでしたが、この時期に80000形と8000形を主題にした撮影会を実施する時点で事実上の「さよならイベント」と言える位置づけなのは明白でありました。
事実、申込終了後の11月1日には8512Fの運用終了が告知されています。

80026はというと10月19日に試運転を実施。それ以降は音沙汰がありませんでしたが、8512Fの運用終了翌日の11月2日には80026Fが運用開始。
世代交代はひっそりと、そして静かに完了したのでした。
そうして迎えた11月3日。
文化の日は晴れの特異日とはよく言いますが、くぬぎ山には秋晴れの空が広がっていました。

イベントではさよならヘッドマークの掲出もありました。
営業運転は朝の561運用でひっそりと終えた8512Fにとってはまさに最後の晴れ舞台。
有料撮影会ということで、外からは撮れないように警備員や車両を配置する徹底ぶり。
とはいえその目隠し用車両の影が8512に直撃するとは思ってもみませんでしたが…
少人数。わずか35名だけが参加できたこともあり、イベント自体は和やかなムードで進みました。

特筆すべきは「北習志野」表示が初お披露目されたことでしょう。
存在自体はまことしやかにささやかれておりましたが、公式にお披露目されたのは今回が初めて。
まだ北習志野駅の折り返し設備は供用開始されていませんし、8512に取ってみれば北習志野を表示するのは今回が最初で最後のチャンスであります。
この有料撮影会の話を聞いたときにこの北習志野表示を見れるかどうかがかなり気になっておりました。
撮影会では投票で行先表示を決める時間帯がありました。
新鎌ヶ谷と違い実際に走行したことのない、折り返しで表示されることもない行先表示である以上、選外になってもおかしくはないと思っていましたが、いつぞやのPVで「貸切」が映り込んでいたからか、全ての行先が投票対象となりました。
「貸切」と「北習志野」が選ばれたのは言うまでもありません。
個人的にはナンバリングマーク付きの表示よりも種別付きのほうがかっこいいと思いますが、そこはそれぞれ。
今回のイベント。ネットの一部で言われているとおり、申込時のトラブルなどお世辞にも無事に、円滑に終了したとは言いにくいものがありましたが、そもそも公平性を期すというのであれば抽選の方が公平性はあると言えます。
ただ先着順という自分の実力次第、つまり申込開始直後にパソコンの前にへばりついて10時打ちをすれば申込できるかもしれないわけで、事実そこに助けられたことを考えるとなんとも言えない思いがあります。
2回目、3回目と車両を変えてこのようなイベントが行われることを願っておりますが、その為には運営側もノウハウと言いますか、まだまだ改善の余地があるのではないでしょうか?
さて撮影会後は動きの無かった8512ですが、週明け8日からはくぬぎ山を去るための準備が始まりました。

くぬぎ山のたぬきの最期。
過去九回にわたり見ることができた8000形廃車搬出のための準備もこれが最後です。
今回は最後の8000形ということでか、そこそこ見に来る趣味者が多かったようです。
廃車搬出は11月20日から始まりました。

8518Fの廃車搬出から業者が変わったのは既報の通りですが、今回は敷地内で積み込みになりました。
そのため持ち上げてくるっと回してそのままトラックの荷台に積載されます。
残念ながらお顔を見ることはできず。それでもそれを知ってか知らぬか、趣味者が多数集まりました。
気が付けばこれが2010年8月の800形以来の茶帯の廃車搬出になったようです。

最後だからか?最後だからなのか?
過去見たことがないレベルの量のギャラリーです。
800形のときなんか片手しかいなかったはずなのに。
8514のときだってほとんどいなかったのに。
気が付けばこれだけの人が集まるようになりました。まさに全人類撮影コンテンツ。
これだけの人がいれば道路上に車体を持ってきて載せるのは不可能というもの。
見知らぬ顔ばかりの中に少しいる見知った顔同士で久々に話し込んでいるとあっという間に旅立ちの時。

前回8518から業者が変わりカバーがかからなくなりました。
そのためたぬきのお顔が見えた状態でくぬぎ山を去ることになります。
いつもとは違う方向でくぬぎ山1号踏切を渡るくぬぎ山のたぬき。
住み慣れたくぬぎ山に永久の別れを告げて去っていきました。
ここでも多くの人が集まったのはいうまでもありません。
中間車を含めて8512の廃車搬出は11月中に終了。
10月から始まった2か月にわたる新京成の新旧交代劇はこうして幕を閉じたのでした。
このウェブログでは新京成について、節目節目について記事を書いてきました。
6連化の完了、各形式の旧デザイン消滅、その度に万感の思いがあったわけですが、今回は8000形の消滅という大きい節目であります。
あれだけたくさんいたはずの8000形がすべて無くなってしまった。
というのは今も信じがたいところがあります。

思えば8512が茶帯になった時も信じがたい気持ちでいっぱいでした。
わが目を疑うとはこのことかと思ったのを今でも覚えています。
そしてここから最後の4年間が幕を開けました。

春になれば桜と撮り、夏になれば日没間近の光線を狙い。
秋になれば澄んだ空を求め、そして冬になれば雪を心待ちにし。
とにかくいろんな景色を、風景を見ることができました。
もちろん撮れなかったものもありました。まったく悔いがないかといえばそうではありません。
ただ8000形にとっての晩年のほんの最後の数年をいろんな角度から見ることができた。
茶帯になった瞬間からくぬぎ山を去るまで、きちんと見送ることができた。
それだけで、いい思い出です。
いま改めて振り返ると、4年間の濃密な思い出がよみがえってきます。
話せば長くなりますので、そんな話はまたいつか、どこかでやれればなと思っています。
最後になりましたが、この二か月間お会いしたみなさま。
ありがとうございました。
そして新京成8000形、長い間ごくろうさん。
前回も書きましたが、快適な日々が続きます。寒くもなく、暑くもない。
ちょっとコタツに入ればちょうどいい。こんな日々がいつまでも続いてほしいものです。
そんな秋の夜長。ついつい夜更かししがちな方もいるだろうと思いますが、ふと深夜に点いているテレビというのはどうしてあんなにも魅かれるものがあるのでしょうかね?
思えば昔からそんな気がします。
東のエデンを最初に見たときも秋の夜長。ちょうど最終回のクライマックスでしたし、もうタイトルも思い出せない単発のスペシャルドラマも冒頭5分すぎたあたりでたまたまチャンネルが合ってそこからついつい最後まで見てしまったわけで、秋の夜長にやっているテレビドラマというか作品は不思議な魔力があるものです。
先日も夜中サウナに入っていたらたまたまドラマの再放送をしていまして。
これ意見が分かれるのでしょうが、私はテレビがあるサウナは嫌いじゃないです。
嫌いって方もいるのでしょうが、私は時間を忘れて入ることができますし、暇つぶしになりますので好きです。
出演していたのは有村架純で、何故か魅かれるものがありました。
で、サウナを出て調べてみたらタイトルはすぐわかりました。
「姉ちゃんの恋人」
去年のちょうど今頃に放送されていたドラマの再放送でした。
クリックでアマゾンプライムのページに飛びます。
この記事を書いている時点ではプライム会員は無料で見れます。
アマプラは移動中にでも見れるので本当に便利です。
これだけで課金する価値があるというもの。
ストーリーとかはアマゾンのページに譲るとして、引き込まれましたね。
いい場面で流れる主題歌はミスチルの「Brand new planet」でこれがまたいい曲です。
あっという間の勢いで全て見てしまいました。
恐らく本放送の時には火曜9時枠ですからまず見ることはないのですが、これがこと秋の夜長にたまたま再放送している場面で見たからこそ魅かれるものが強かったのだと思いますし、たまたまそのサウナでチャンネルが合っていたから見れたわけで、そう考えると作品との運命的な出会いといえるでしょう。
こういう出会いというのもまさに秋の夜長の醍醐味であります。
●「こんにちは80026、さようなら8512」
最後に新京成の記事を書いてから1年半が経とうとしております。
今回はどちらかというと「情報発信」というよりも「思い出話」みたいなところが強いのですが、去る10月、新京成待望の80000形2次車が日本車両豊川工場より姿を現しました。
この編成の登場は延命措置の続いていた8512Fの置き換え、ひいては新京成8000形の全廃という新京成車両史における大きな局面を迎えることを意味しています。
そもそも2次車の存在自体は2020年から中期経営計画および移動円滑化に関する報告書等に記載されており、2021年6月の8512F検査期限をもって代替となることは既定路線でした。
それはコロナ禍でも変わらない方針ではありましたが、6月を過ぎても新車の姿は一向に見えず、8512Fは末期4か月近くを車両基地内にて休車扱いで過ごすという少々寂しい日々を過ごしたのでした。
前途多難な旅立ちであった1次車とは異なり、2次車は極めて順調にくぬぎ山への道を進めました。

西浜松までのエスコート役はDE10 1772号機。
新京成に限らず数多くの甲種輸送でエスコートしています。
甲種となると個人的にこの浜名湖アングルは捨てがたいなと思うのはやはり新京成入りしたあとは長大鉄橋を渡ることがないということに限るでしょう。将来的には千葉線に直通するものと思われますが、それでも花見川の橋は短いですし、あまり絵になりません。
機関車けん引とは言え、二度と見れないであろう風景が見れる。
これが甲種輸送の醍醐味なのであります。
80026は極めて順調に越谷へ進み、陸送を経て印旛車両基地へ。
今回は2次車でかつデジタル列車無線の使用開始後とあってか、自走でくぬぎ山を目指します。

真っ暗な北総1期線区間をゆく80026F。
最近のカメラの技術革新というのはすごいもので、歩道橋の明かりだけでここまで写ります。
そのうち暗闇でもバリ晴れみたいなカットが撮れるんじゃないかと錯覚してしまいますね。
ちょいと先回りをしまして、津田沼へ。
津田沼ではかなりの趣味者が集まっていました。

80000形の急行灯点灯シーンは今回が初めて。
それでなくても初めての北総線・京成線自走回送とあって多くの趣味者が集まりました。
見知った顔ばかり...というわけでもなく見知らぬ顔も多く。
年々人が増えているような気がするのですが、昔ののんびりとした空気は帰ってこなさそうです。
夜も遅いので見知った人たちと簡単な挨拶やら近況報告をして.....なんてしていたらあっという間に時間は過ぎ去ってしまったのでした。
80026がくぬぎ山にたどり着いた頃、新京成で初となる有料撮影会の告知が行われました。
この時点で8512Fの去就についてはなにも言われておりませんでしたが、この時期に80000形と8000形を主題にした撮影会を実施する時点で事実上の「さよならイベント」と言える位置づけなのは明白でありました。
事実、申込終了後の11月1日には8512Fの運用終了が告知されています。

80026はというと10月19日に試運転を実施。それ以降は音沙汰がありませんでしたが、8512Fの運用終了翌日の11月2日には80026Fが運用開始。
世代交代はひっそりと、そして静かに完了したのでした。
そうして迎えた11月3日。
文化の日は晴れの特異日とはよく言いますが、くぬぎ山には秋晴れの空が広がっていました。

イベントではさよならヘッドマークの掲出もありました。
営業運転は朝の561運用でひっそりと終えた8512Fにとってはまさに最後の晴れ舞台。
有料撮影会ということで、外からは撮れないように警備員や車両を配置する徹底ぶり。
とはいえその目隠し用車両の影が8512に直撃するとは思ってもみませんでしたが…
少人数。わずか35名だけが参加できたこともあり、イベント自体は和やかなムードで進みました。

特筆すべきは「北習志野」表示が初お披露目されたことでしょう。
存在自体はまことしやかにささやかれておりましたが、公式にお披露目されたのは今回が初めて。
まだ北習志野駅の折り返し設備は供用開始されていませんし、8512に取ってみれば北習志野を表示するのは今回が最初で最後のチャンスであります。
この有料撮影会の話を聞いたときにこの北習志野表示を見れるかどうかがかなり気になっておりました。
撮影会では投票で行先表示を決める時間帯がありました。
新鎌ヶ谷と違い実際に走行したことのない、折り返しで表示されることもない行先表示である以上、選外になってもおかしくはないと思っていましたが、いつぞやのPVで「貸切」が映り込んでいたからか、全ての行先が投票対象となりました。
「貸切」と「北習志野」が選ばれたのは言うまでもありません。
個人的にはナンバリングマーク付きの表示よりも種別付きのほうがかっこいいと思いますが、そこはそれぞれ。
今回のイベント。ネットの一部で言われているとおり、申込時のトラブルなどお世辞にも無事に、円滑に終了したとは言いにくいものがありましたが、そもそも公平性を期すというのであれば抽選の方が公平性はあると言えます。
ただ先着順という自分の実力次第、つまり申込開始直後にパソコンの前にへばりついて10時打ちをすれば申込できるかもしれないわけで、事実そこに助けられたことを考えるとなんとも言えない思いがあります。
2回目、3回目と車両を変えてこのようなイベントが行われることを願っておりますが、その為には運営側もノウハウと言いますか、まだまだ改善の余地があるのではないでしょうか?
さて撮影会後は動きの無かった8512ですが、週明け8日からはくぬぎ山を去るための準備が始まりました。

くぬぎ山のたぬきの最期。
過去九回にわたり見ることができた8000形廃車搬出のための準備もこれが最後です。
今回は最後の8000形ということでか、そこそこ見に来る趣味者が多かったようです。
廃車搬出は11月20日から始まりました。

8518Fの廃車搬出から業者が変わったのは既報の通りですが、今回は敷地内で積み込みになりました。
そのため持ち上げてくるっと回してそのままトラックの荷台に積載されます。
残念ながらお顔を見ることはできず。それでもそれを知ってか知らぬか、趣味者が多数集まりました。
気が付けばこれが2010年8月の800形以来の茶帯の廃車搬出になったようです。

最後だからか?最後だからなのか?
過去見たことがないレベルの量のギャラリーです。
800形のときなんか片手しかいなかったはずなのに。
8514のときだってほとんどいなかったのに。
気が付けばこれだけの人が集まるようになりました。まさに全人類撮影コンテンツ。
これだけの人がいれば道路上に車体を持ってきて載せるのは不可能というもの。
見知らぬ顔ばかりの中に少しいる見知った顔同士で久々に話し込んでいるとあっという間に旅立ちの時。

前回8518から業者が変わりカバーがかからなくなりました。
そのためたぬきのお顔が見えた状態でくぬぎ山を去ることになります。
いつもとは違う方向でくぬぎ山1号踏切を渡るくぬぎ山のたぬき。
住み慣れたくぬぎ山に永久の別れを告げて去っていきました。
ここでも多くの人が集まったのはいうまでもありません。
中間車を含めて8512の廃車搬出は11月中に終了。
10月から始まった2か月にわたる新京成の新旧交代劇はこうして幕を閉じたのでした。
このウェブログでは新京成について、節目節目について記事を書いてきました。
6連化の完了、各形式の旧デザイン消滅、その度に万感の思いがあったわけですが、今回は8000形の消滅という大きい節目であります。
あれだけたくさんいたはずの8000形がすべて無くなってしまった。
というのは今も信じがたいところがあります。

思えば8512が茶帯になった時も信じがたい気持ちでいっぱいでした。
わが目を疑うとはこのことかと思ったのを今でも覚えています。
そしてここから最後の4年間が幕を開けました。

春になれば桜と撮り、夏になれば日没間近の光線を狙い。
秋になれば澄んだ空を求め、そして冬になれば雪を心待ちにし。
とにかくいろんな景色を、風景を見ることができました。
もちろん撮れなかったものもありました。まったく悔いがないかといえばそうではありません。
ただ8000形にとっての晩年のほんの最後の数年をいろんな角度から見ることができた。
茶帯になった瞬間からくぬぎ山を去るまで、きちんと見送ることができた。
それだけで、いい思い出です。
いま改めて振り返ると、4年間の濃密な思い出がよみがえってきます。
話せば長くなりますので、そんな話はまたいつか、どこかでやれればなと思っています。
最後になりましたが、この二か月間お会いしたみなさま。
ありがとうございました。
そして新京成8000形、長い間ごくろうさん。
はてしないトキの中で
冬支度、済みましたか?
11月も目前に迫り、朝晩の冷え込みが厳しくなってまいりました。
こたつを出して、ストーブを動かせるようにと冬の支度を済ませたところですが、ついこの前しまったつもりでいたのにもう出しているわけで、一年の早さといいますか、時の流れの速さを感じる今日この頃です。
前にも書いたような気がするのですが、秋の夜長というくらいにこの時期は夜更かしをしてもすぐに空が明るくならないのでとてもいいですね。同じ朝5時でも夏はかなり明るいですが、冬は暗くて、同じ時間に寝てもお得感があるような気がしています。
こういう秋の夜長はやはり夜更かししがち…なんですが、最近はまったく夜更かしが出来ず。
健康的なんだか、もったいないんだか。というような今日この頃です。
それにしても今年はかなり寒くなるとの予報ですから、ちょっとは雪の降るシーンに期待したいものですね。
●「さようなら二階建て新幹線」
この記事が日の目を見るころにはさよならイベント列車も終わっているかと思いますが、10月1日をもちましてE4系Maxが引退となりました。JR東日本の猛烈なPRもありましたし、各種報道でもかなり時間を割いて扱われておりましたので、読者諸兄も当然ご存知かと思います。
さて、ちょっとした歴史の話になりますが、日本における二階建て車両、いわゆるダブルデッカーの元祖は近鉄でして「初代ビスタカー」や「あおぞら」などがあります。その近鉄は最近ではしまかぜでダブルデッカーを走らせていますし、ひのとりではハイデッカーを走らせているなど今でも根付いています。
一方のJRはといいますと、国鉄時代の100系新幹線が量産型の二階建て車両における元祖と言えます。
そこから211系で二階建てグリーン車が登場し、いまや首都圏各線のグリーン車は二階建てとなっているのは言うまでもありませんが、その元祖は新幹線でした。
つまり100系新幹線以降35年近く日本の新幹線にはダブルデッカーが走っていたわけですが、近年の高速化の波に乗れない二階建て新幹線は順次姿を消し、いよいよ終焉となったのでした。
ここからは個人的な昔話ですが、小さい頃に見た鉄道のビデオだと100系新幹線の二階建て車両なんてのはデラックスな乗り物でしたし、初代MaxのE1系なんかは「近未来ののりもの」として扱われていました。
特に2階のグリーン席から景色をみるなんていうのはまさに憧れの体験。
E4系Maxを逃せば国内の新幹線で二階建て車両を体験するのはもう不可能でしょう。
そんな在りし日の憧れを体験しに、先日乗ってきました。

春から常々秋に引退だと半年にわたり告知されていたこともあってか、この日は平日ではあるもののちらほらお名残りと思しき人が増えておりました。
今回はせっかく乗るのならばと東京からグリーン車を用意。
さすがにラストランまで日がある時期でしたので、お名残の旅客は少なく感じました。
乗車したMaxとき321号はMaxたにがわとの併結列車で、数少なくなったMaxの16両編成です。
1634席、世界最大級の高速列車は新潟へ向けて定刻で発車。

グリーン車は各編成下り(新潟)方の先頭車と隣の車両の2階に設置されています。
特に先頭車のグリーン席は前頭形状の都合座席数が少ないためこじんまりとした空間になっています。
その中でも最前列席はフットレストの他にオットマンもついておりまして。
フルリクライニングすればかなりゆったりとした体勢でくつろぐことができます。
ここ最近の画一的なグリーン車よりも一世代前のどっしりとした空間は今では貴重な物でしょう。

越後湯沢ではMaxたにがわを切り離します。
後日撮影したシーンですが、この切り離しがまさに大人気。
ただ同じホームから狙う人はたくさんいますが、反対側から撮る人は通過線があって遠いからか、少なかったのが印象的です。
列車は国境を超えたあとは越後平野を駆け抜けていきます。
ここで車内をちょっと見てみましょう。

自由席は悪名高い(?)3-3アブレストの6名がけ。
輸送力の象徴とも言うべきMaxのもっとも個性的な部分だと言えます。

A席から始まり6席、F席まであります。
325F とても千葉へ行きそうな席番号も国内では見納めになります。
定刻通り新潟駅へ到着。8両の身軽になったMaxですが、ここでも大人気。
この日はラストランに向けてテレビ局の取材班も取材を行っているなど平日といえどもにぎわっておりました。
JRのPRの仕方を見ていてもわかる通りかなり気合が入っているもので。
ホームで記念撮影している子連れを見ても多くの人から愛された車両だったのだと思いました。
東北・上越方面の新幹線は個人的に乗る機会が少なく。
敢えて時間を作らないと乗らない程度の接点ではありましたが、もう少し乗る機会を作ってもよかったのかな。と思います。
今となっては後の祭りですが。

ところ変わって営業運転終了数日前の東京駅。
たまたま再びMaxに乗る機会がありまして、ちょっと見送りに。
コロナがなければもっと大々的に、もっと派手にラストを迎えたのでしょうが、このご時世いろいろな意味でこのくらいのラストがちょうどいいのかもしれません。
記憶の彼方へと走り去ってしまったMax。
あれだけ新しい未来の乗り物だったものが引退を迎えてしまう。
そんな時の流れの早さを感じる秋でした。
11月も目前に迫り、朝晩の冷え込みが厳しくなってまいりました。
こたつを出して、ストーブを動かせるようにと冬の支度を済ませたところですが、ついこの前しまったつもりでいたのにもう出しているわけで、一年の早さといいますか、時の流れの速さを感じる今日この頃です。
前にも書いたような気がするのですが、秋の夜長というくらいにこの時期は夜更かしをしてもすぐに空が明るくならないのでとてもいいですね。同じ朝5時でも夏はかなり明るいですが、冬は暗くて、同じ時間に寝てもお得感があるような気がしています。
こういう秋の夜長はやはり夜更かししがち…なんですが、最近はまったく夜更かしが出来ず。
健康的なんだか、もったいないんだか。というような今日この頃です。
それにしても今年はかなり寒くなるとの予報ですから、ちょっとは雪の降るシーンに期待したいものですね。
●「さようなら二階建て新幹線」
この記事が日の目を見るころにはさよならイベント列車も終わっているかと思いますが、10月1日をもちましてE4系Maxが引退となりました。JR東日本の猛烈なPRもありましたし、各種報道でもかなり時間を割いて扱われておりましたので、読者諸兄も当然ご存知かと思います。
さて、ちょっとした歴史の話になりますが、日本における二階建て車両、いわゆるダブルデッカーの元祖は近鉄でして「初代ビスタカー」や「あおぞら」などがあります。その近鉄は最近ではしまかぜでダブルデッカーを走らせていますし、ひのとりではハイデッカーを走らせているなど今でも根付いています。
一方のJRはといいますと、国鉄時代の100系新幹線が量産型の二階建て車両における元祖と言えます。
そこから211系で二階建てグリーン車が登場し、いまや首都圏各線のグリーン車は二階建てとなっているのは言うまでもありませんが、その元祖は新幹線でした。
つまり100系新幹線以降35年近く日本の新幹線にはダブルデッカーが走っていたわけですが、近年の高速化の波に乗れない二階建て新幹線は順次姿を消し、いよいよ終焉となったのでした。
ここからは個人的な昔話ですが、小さい頃に見た鉄道のビデオだと100系新幹線の二階建て車両なんてのはデラックスな乗り物でしたし、初代MaxのE1系なんかは「近未来ののりもの」として扱われていました。
特に2階のグリーン席から景色をみるなんていうのはまさに憧れの体験。
E4系Maxを逃せば国内の新幹線で二階建て車両を体験するのはもう不可能でしょう。
そんな在りし日の憧れを体験しに、先日乗ってきました。

春から常々秋に引退だと半年にわたり告知されていたこともあってか、この日は平日ではあるもののちらほらお名残りと思しき人が増えておりました。
今回はせっかく乗るのならばと東京からグリーン車を用意。
さすがにラストランまで日がある時期でしたので、お名残の旅客は少なく感じました。
乗車したMaxとき321号はMaxたにがわとの併結列車で、数少なくなったMaxの16両編成です。
1634席、世界最大級の高速列車は新潟へ向けて定刻で発車。

グリーン車は各編成下り(新潟)方の先頭車と隣の車両の2階に設置されています。
特に先頭車のグリーン席は前頭形状の都合座席数が少ないためこじんまりとした空間になっています。
その中でも最前列席はフットレストの他にオットマンもついておりまして。
フルリクライニングすればかなりゆったりとした体勢でくつろぐことができます。
ここ最近の画一的なグリーン車よりも一世代前のどっしりとした空間は今では貴重な物でしょう。

越後湯沢ではMaxたにがわを切り離します。
後日撮影したシーンですが、この切り離しがまさに大人気。
ただ同じホームから狙う人はたくさんいますが、反対側から撮る人は通過線があって遠いからか、少なかったのが印象的です。
列車は国境を超えたあとは越後平野を駆け抜けていきます。
ここで車内をちょっと見てみましょう。

自由席は悪名高い(?)3-3アブレストの6名がけ。
輸送力の象徴とも言うべきMaxのもっとも個性的な部分だと言えます。

A席から始まり6席、F席まであります。
325F とても千葉へ行きそうな席番号も国内では見納めになります。
定刻通り新潟駅へ到着。8両の身軽になったMaxですが、ここでも大人気。
この日はラストランに向けてテレビ局の取材班も取材を行っているなど平日といえどもにぎわっておりました。
JRのPRの仕方を見ていてもわかる通りかなり気合が入っているもので。
ホームで記念撮影している子連れを見ても多くの人から愛された車両だったのだと思いました。
東北・上越方面の新幹線は個人的に乗る機会が少なく。
敢えて時間を作らないと乗らない程度の接点ではありましたが、もう少し乗る機会を作ってもよかったのかな。と思います。
今となっては後の祭りですが。

ところ変わって営業運転終了数日前の東京駅。
たまたま再びMaxに乗る機会がありまして、ちょっと見送りに。
コロナがなければもっと大々的に、もっと派手にラストを迎えたのでしょうが、このご時世いろいろな意味でこのくらいのラストがちょうどいいのかもしれません。
記憶の彼方へと走り去ってしまったMax。
あれだけ新しい未来の乗り物だったものが引退を迎えてしまう。
そんな時の流れの早さを感じる秋でした。
忘れかけた何かを
あの花を見返す秋の夜長、いかがお過ごしでしょうか?
10年が経ってもなんとなくストーリーは覚えているんですが、概ねその通りでした。
調べてみるとどうやら6年位前に一度見ていたようです。
こういうときに過去ログビックデータは面白いです。
ちなみに本放送はリアルタイムで見ていたようです。
が、どうやら最終話は寝落ちしたんだか、見てなかったようで、後日昼食を摂りながら見たようです。
ちなみに今回もちょうど昼飯を食べながらぼろぼろ涙を流しておりました。
10年経っても人間の成長の無さを感じます。ええ。
で、思い立ったが吉日ということで。

気が付けばぼくは池袋に居て、そのまま飯能へ。そして秩父におりました。
10年越しの聖地巡礼です。
10年前にはなかった軽率に行くことが出来る財力が成長なのでしょう。
作中なんども出てきた旧秩父橋。
いかにもそれらしい人たちが平日の真昼間にもかかわらずおりました。
10年という節目は誰しも感慨を持って迎えるということなのでしょう。

当然ですが本当に10年前のままです。これが20年30年と過ぎるとどうなるのか。
たぶんこの辺は変わらないのであろうという思いを持ち続けたいものです。

秩父駅方面に戻る途中には作中で超平和バスターズが集まっていたお寺があります。
それにしてもこのお寺の狭さ。もう少し広いのかと思ったらかなりこじんまりしてます。
ここで花火の下準備なんてできるんだろうかと思わされます。
小一時間ほどですがレンタサイクルで回るには十分でした。

秩父鉄道ではあの花の他「ここさけ」「空の青さを知る人よ」のいわゆる秩父3部作のラッピング列車が走り始めたばかりとのことで。帰り道の熊谷に停まっておりましたので1枚。
それにしてもナチュラルにラッピング列車がいるので驚きました。
まるで昨日の夜見終わったアニメ作品を見ているかのような気持ちになったものです。
10年後の8月を過ぎて穏やかな秋の風に包まれる今日この頃。
懐かしい聖地へ行くのも悪くはありません。
●「新京成80000形 模型化される」
ちまたで話題のおじさん構文に延々たらたら書いちゃう冒頭のコーナーが似てて泣いています。
たぶんこれおじさん構文というよりもネットで他愛もないことをぐだぐだ書くと同じようになるってだけだと信じたいものです。
そんな話はさておいて、本日は模型の話です。
ステイホームタイムが長くなるとつい、模型の話題になりがちです。
それにしても最近は便利ですね。
秋葉原の某模型店が夜逃げ同然に店じまいをして以降、完全にネットでの購入になってしまいました。
つまりですね、予約画面を出して魔法の数字を入力しておけば勝手に届くわけですね。
お金の支払いが目に見えないので実質無料です。
なぜか数ヵ月後に万単位でお金は勝手に消えてますけども。
というわけでまた模型が届きました。

新京成80000形大好きオタクみたいなカットですが、実車の登場から早々に製品化発表されていた新京成80000形がついに発売となりました。
品番はA-1222 覚えやすいものですね。

同時に発売された京成3100形はA-1220でしたから一つ飛ばしで新京成になっています。
N800形や3000形の初期ロットは連番でしたから何を展開するのか?
鉄コレで先を越されてしまったアクセス開業10周年HMとかでしょうか?
早速見てみましょう。

比較用に鉄コレの80000形も出しています。
鉄コレは下になりますが、色味がだいぶ違います。
鉄コレの色味が正しいわけではないですが、三角スリーブの写真の色とは一致しています。
この辺りはジェントルピンクと言う色の難しさ、解釈違いという感じであろうと思います。

造型はどちらも甲乙つけがたいものがあります。
どちらかというと鉄コレのあっさりしたデザインよりはマイクロの方が好みです。

さて80000形では新京成車で初めてとなる転落防止幌の再現がされました。
とはいえアーノルドカプラーでは連結間隔にたいして余りにも貧相ですし、こんなものをつけるくらいなら1円でも安くして欲しいなあというのがユーザーの感想でしょう。
そもそもTNカプラーにしろKATOカプラーにしろマイクロは儲からないじゃないか。
また車端部床下にある機器箱も再現されています。
意外と主張のある機器ですのでアクセントになっているという感じでしょうか。
ちなみにどちらも別部品というわけではないので撤去しようとするのも面倒な感じです。

前照灯の点灯状態はさすがマイクロエース。
一番明るいのは方向幕と言うのは従来どおりです。
おそらく製品付属のシールではなにがなんだか読めないでしょう。
兄弟製品である京成3100形の機構を流用しているので急行灯点灯にも対応です。
いつでも急行灯○を再現できますが、ご存知の通り新京成車は無線を京成に切り替えない限り急行灯が点灯することはないので、実車がこの2年間急行灯が点いたことないのを踏まえてもこれは切定位でいいと思います。
逆に模型ならではということで点けるのもいいのでしょうが。
ただ点いている姿カッコいいですね。実車も早く点ける機会がないかしら?

ここで京成3100形も含めて車体の比較。
一番目立つのはドア部の塗りワケを行った鉄コレ3150形アクセス開業10周年記念セットでしょうか。
鉄コレ自体造型は良いので塗り分けされていると良さが際立ちます。
その反面マイクロの3150形はなぜか裾部にモールドが入っています。
どうやらこれ飾り帯というものなんだそうですが、実車にはそんなもの無いんですね。
確かにこの部分には帯状のものがついていますが、そんなモールドするほどのものではありません。
そもそも今までの日車ブロック車体でも同じ部品はありましたし、なんでいまさらこんなことをしたのやら。
しかも製品化案内にも明記しているんだから設計者の解釈違いが半端無いですね。

そんなマイクロの3100と80000。
屋根上の違いはIRアンテナの有無とDSRアンテナの形状の違いで実車と同様に再現しています。
80000形の屋根アンテナはだいぶよくなりましたがまだまだ貧相なので(支離滅裂な発言)
他社製品に換装するのが一番いいのかなと思います。
というわけで登場直後から製品化されたり、新京成では初めて大手の競作となったりと恵まれた80000形。
10年前はここまでになるとは誰も夢想だにしなかったでしょう。
とはいえここまで新京成車のバリ展が続いても8900形はプラ完成品にならないのでした。
10年が経ってもなんとなくストーリーは覚えているんですが、概ねその通りでした。
調べてみるとどうやら6年位前に一度見ていたようです。
こういうときに過去ログビックデータは面白いです。
ちなみに本放送はリアルタイムで見ていたようです。
が、どうやら最終話は寝落ちしたんだか、見てなかったようで、後日昼食を摂りながら見たようです。
ちなみに今回もちょうど昼飯を食べながらぼろぼろ涙を流しておりました。
10年経っても人間の成長の無さを感じます。ええ。
で、思い立ったが吉日ということで。

気が付けばぼくは池袋に居て、そのまま飯能へ。そして秩父におりました。
10年越しの聖地巡礼です。
10年前にはなかった軽率に行くことが出来る財力が成長なのでしょう。
作中なんども出てきた旧秩父橋。
いかにもそれらしい人たちが平日の真昼間にもかかわらずおりました。
10年という節目は誰しも感慨を持って迎えるということなのでしょう。

当然ですが本当に10年前のままです。これが20年30年と過ぎるとどうなるのか。
たぶんこの辺は変わらないのであろうという思いを持ち続けたいものです。

秩父駅方面に戻る途中には作中で超平和バスターズが集まっていたお寺があります。
それにしてもこのお寺の狭さ。もう少し広いのかと思ったらかなりこじんまりしてます。
ここで花火の下準備なんてできるんだろうかと思わされます。
小一時間ほどですがレンタサイクルで回るには十分でした。

秩父鉄道ではあの花の他「ここさけ」「空の青さを知る人よ」のいわゆる秩父3部作のラッピング列車が走り始めたばかりとのことで。帰り道の熊谷に停まっておりましたので1枚。
それにしてもナチュラルにラッピング列車がいるので驚きました。
まるで昨日の夜見終わったアニメ作品を見ているかのような気持ちになったものです。
10年後の8月を過ぎて穏やかな秋の風に包まれる今日この頃。
懐かしい聖地へ行くのも悪くはありません。
●「新京成80000形 模型化される」
ちまたで話題のおじさん構文に延々たらたら書いちゃう冒頭のコーナーが似てて泣いています。
たぶんこれおじさん構文というよりもネットで他愛もないことをぐだぐだ書くと同じようになるってだけだと信じたいものです。
そんな話はさておいて、本日は模型の話です。
ステイホームタイムが長くなるとつい、模型の話題になりがちです。
それにしても最近は便利ですね。
秋葉原の某模型店が夜逃げ同然に店じまいをして以降、完全にネットでの購入になってしまいました。
つまりですね、予約画面を出して魔法の数字を入力しておけば勝手に届くわけですね。
お金の支払いが目に見えないので実質無料です。
なぜか数ヵ月後に万単位でお金は勝手に消えてますけども。
というわけでまた模型が届きました。

新京成80000形大好きオタクみたいなカットですが、実車の登場から早々に製品化発表されていた新京成80000形がついに発売となりました。
品番はA-1222 覚えやすいものですね。

同時に発売された京成3100形はA-1220でしたから一つ飛ばしで新京成になっています。
N800形や3000形の初期ロットは連番でしたから何を展開するのか?
鉄コレで先を越されてしまったアクセス開業10周年HMとかでしょうか?
早速見てみましょう。

比較用に鉄コレの80000形も出しています。
鉄コレは下になりますが、色味がだいぶ違います。
鉄コレの色味が正しいわけではないですが、三角スリーブの写真の色とは一致しています。
この辺りはジェントルピンクと言う色の難しさ、解釈違いという感じであろうと思います。

造型はどちらも甲乙つけがたいものがあります。
どちらかというと鉄コレのあっさりしたデザインよりはマイクロの方が好みです。

さて80000形では新京成車で初めてとなる転落防止幌の再現がされました。
とはいえアーノルドカプラーでは連結間隔にたいして余りにも貧相ですし、こんなものをつけるくらいなら1円でも安くして欲しいなあというのがユーザーの感想でしょう。
そもそもTNカプラーにしろKATOカプラーにしろマイクロは儲からないじゃないか。
また車端部床下にある機器箱も再現されています。
意外と主張のある機器ですのでアクセントになっているという感じでしょうか。
ちなみにどちらも別部品というわけではないので撤去しようとするのも面倒な感じです。

前照灯の点灯状態はさすがマイクロエース。
一番明るいのは方向幕と言うのは従来どおりです。
おそらく製品付属のシールではなにがなんだか読めないでしょう。
兄弟製品である京成3100形の機構を流用しているので急行灯点灯にも対応です。
いつでも急行灯○を再現できますが、ご存知の通り新京成車は無線を京成に切り替えない限り急行灯が点灯することはないので、実車がこの2年間急行灯が点いたことないのを踏まえてもこれは切定位でいいと思います。
逆に模型ならではということで点けるのもいいのでしょうが。
ただ点いている姿カッコいいですね。実車も早く点ける機会がないかしら?

ここで京成3100形も含めて車体の比較。
一番目立つのはドア部の塗りワケを行った鉄コレ3150形アクセス開業10周年記念セットでしょうか。
鉄コレ自体造型は良いので塗り分けされていると良さが際立ちます。
その反面マイクロの3150形はなぜか裾部にモールドが入っています。
どうやらこれ飾り帯というものなんだそうですが、実車にはそんなもの無いんですね。
確かにこの部分には帯状のものがついていますが、そんなモールドするほどのものではありません。
そもそも今までの日車ブロック車体でも同じ部品はありましたし、なんでいまさらこんなことをしたのやら。
しかも製品化案内にも明記しているんだから設計者の解釈違いが半端無いですね。

そんなマイクロの3100と80000。
屋根上の違いはIRアンテナの有無とDSRアンテナの形状の違いで実車と同様に再現しています。
80000形の屋根アンテナはだいぶよくなりましたがまだまだ貧相なので(支離滅裂な発言)
他社製品に換装するのが一番いいのかなと思います。
というわけで登場直後から製品化されたり、新京成では初めて大手の競作となったりと恵まれた80000形。
10年前はここまでになるとは誰も夢想だにしなかったでしょう。
とはいえここまで新京成車のバリ展が続いても8900形はプラ完成品にならないのでした。
「10年後の8月」の10年後の8月
10年後の8月の10年後の8月が終わろうとしております。
いかがおすごしでしょうか?
10年後の8月から10年後の8月。ということはつまりあの花から10年ということであります。
10年前の10年後の8月にはですね、ZONEが再結成しライブをしたりと盛り上がりましたし、あの花声優たちによるカバー 10 years after verがリリースされたりと盛り上がったものです。
そしてあれから10年。
コロナ禍の中で迎えた10年後の8月は1年延期されたオリパラに沸いていたのでした。
こういうご時世でもあり、10年前ほどの盛り上がりはなかったものの、やはり10年後の8月の10年後の8月ということで話題にはなっていたようです。
きっとぼくらはこの先も10年後の8月が訪れる度に思い出すんだろうな。と思いますね。ええ。
それにしてもあの花から10年。こういう事実陳列罪、やめてほしいものですね。
いつぞや書いた記憶がありますが、リアタイで見ていたアニメから10年というのは来るものがあります。
それと同時に放映当時を思い出すとまた何とも言えない感情が心を覆い完全にうつ病になるというものです(ならない)
これはここ数年来ずっと書いていることですが、ついこの前だと思っていたものが実は遠い昔だった。
というのは厳しいものがあります。
例えば203系の引退なんてのは10年前ですし、しんちゃん電車の引退も来年で10年になります。
あれだけたくさんいたくぬぎ山のたぬきは10年で絶滅寸前ですから、いかに10年が長い月日かわかります。
その反面、近未来だと思っていた世界に自分が立っている。というのも思うものがあります。
オリパラなんてのは(1年延期したこともあり)ずいぶん先のことだと思っていましたが、実際に開会式、閉会式を見てみると本当に日本でオリンピックが開かれたんだなという風に感じます。
ついでに言えば、gdgdだったこともあり賛否両論、否定の意見が多いですけれども、それでもあの瞬間に向かって準備してきたアスリートや裏方もいるわけですね。
その立場に立てば、せめて有観客でやれればよかったのに…というやるせない思いを禁じえません。
ただ連日のメダルラッシュに思わず涙を流しました。
4年に一度、世界のどこかでやっているイベントなのに、自分の国で開催されるとなぜここまで盛り上がるのでしょう?
どこか他人事とは思えないくらいに街の空気がそれ一色になるからなのか?
普段は全く気にもしないんですが、今回ばかりは見て、盛り上がってしまいました。
あれだけ無観客でも盛り上がるわけですから、森元総理や石原元都知事らが必死に招致した理由もわかるものです。
出来ることなら平常時に再度またやってほしい。なんてのは無理なお願いでしょうが。
鬱屈としたコロナの時代に少しだけ明るい話題になりましたし、様々な思いはあれども、なんだかんだやってよかったんじゃないかな。と思います。
●「東京の空にブルーインパルスがやってきた」
今年は暑いぞと思っておりましたらここ数日は涼しい日々が続くと。
そして大雨と天気の乱高下を見ておりますが、本日は久々のヒコーキネタです。
って前回も同じような話題だったわけですが、ブルーインパルスのお話です。
昨年、数年ぶりにブルーインパルスが東京の空を舞ったわけですが、あれから1年。
今度は東京オリンピック・東京パラリンピックの開会式にブルーインパルスが再び東京の空へやってきました。
この1年間、安倍総理が退陣し菅義偉総理が誕生。GoToに代表される経済政策も束の間、感染拡大のなか第4波、第5波が無常にも世間を襲っております。そんな国論を二分する中、批判だらけの中での飛行でした。
今回はオリンピックの際には撮れなかったので、パラリンピックでの飛行を狙います。
飛行経路は昨年と異なり松戸には来ないルート。
予行演習は通常のスモーク、本番は五輪と同じくカラースモークと言うもの。
天気予報は予行が雲多目の晴れ、本番は曇り。さてどうしたものか。
少し思案してみましたが、スカイツリーを通るルートと言うことはスカイツリーが見える場所にいれば少なくとも撮れます。
新京成と絡めて...とすると新鎌ヶ谷が思い浮かびますが、距離的にこれは厳しそうということでパス。
せめて電車と絡めようと考えて日暮里エリアへ行ってみました。
選んだのは谷中霊園。近隣住民でしょうか、ブルー待ちの人々が既にスタンバイしていました。
今回はスカイツリーも東京駅も1回しか上空を飛びません。一発勝負です。
そして14時過ぎ 轟音をとどろかせながらブルーはやってきました。

予想の3倍は上空を飛んでいたように思えます(笑)
しかもこれだけ線路がありながらJRは何も来ず。山手線でも京浜東北線でも来ないものなのか()
せめてもの救いは京成電車がやってきてくれたことでしょうか?
欲を言えばもう少し京成電車が早く来るか、ブルーがコンマ遅ければと思いますが...
偶然を狙うのは難しいモノです。
次のチャンスは2日後。開会式本番でした。
この日は予報通りの曇天。キレイに曇っております。
とはいえ本番はカラースモークですから、多少曇ってても主張があるはず。
そう信じて東京駅へ向かいました。
本当はもう天気の悪さにやる気を失って直前に現地入りしただけなんですが。
東京駅周辺はギャラリーでものすごいことになっています。
小池都知事がこれを見たら失神してしまうんじゃないかという超過密状態。
逆を言えばこの1年まったく見ることのなかった人だかりでした。
どう切り取ろうかと人混みを掻き分けながら思案してるとカウントダウンクロックを発見。
脳内でこう切り取ろうとコンテを描きながら上手いこともぐりこんで本番を待ちます。

ブルーインパルスは予行と同じく14時過ぎに飛来しました。
右往左往していた群集が見事に一つの方向へスマホを掲げています。
画像が小さくて見えにくいんで是非拡大して見ていただきたいのですが、久々にコンテ通りのカットが撮れましたね。
イチロー風に言えばまさに「ほぼイきかけました」と言う感じ。サーセンw
カラースモークゆえになんとか雲バックでも見えるようになったのが救いでした。
動画で見ていただくとさらに面白いと思うのですが、右往左往どこから来るのかとひたすらに空を見上げていた群集がブルーインパルスの轟音に気が付いて一斉に同じ方向へスマホやカメラを掲げているのがまさに集団行動ともいうべき統率。
コロナ禍以降の嫌がらせや差別、排除の超ストレス社会。
世界的にも分断が広がるなかでもこの一瞬、この場所に集った人間だけは同じ方向を見れた。
そう考えると先の見えない暗い世の中に一筋の光が見えたような。
そんな一瞬だったように思います。まぁ曇ってるから光もクソもないけどな!
オリパラもいよいよパラの終わりが見えてきました。
あと数日もすれば閉会式になります。
あれだけ先のことだと思っていたオリンピックが終わる。
ぼくらが昔思い描いていたアフター2020全く違う世の中ではありますし、今もコロナ禍の終わりは見えて来ませんが。
それでもいつかは青い空が見えてくる。
そう信じたいものですね。
いかがおすごしでしょうか?
10年後の8月から10年後の8月。ということはつまりあの花から10年ということであります。
10年前の10年後の8月にはですね、ZONEが再結成しライブをしたりと盛り上がりましたし、あの花声優たちによるカバー 10 years after verがリリースされたりと盛り上がったものです。
そしてあれから10年。
コロナ禍の中で迎えた10年後の8月は1年延期されたオリパラに沸いていたのでした。
こういうご時世でもあり、10年前ほどの盛り上がりはなかったものの、やはり10年後の8月の10年後の8月ということで話題にはなっていたようです。
きっとぼくらはこの先も10年後の8月が訪れる度に思い出すんだろうな。と思いますね。ええ。
それにしてもあの花から10年。こういう事実陳列罪、やめてほしいものですね。
いつぞや書いた記憶がありますが、リアタイで見ていたアニメから10年というのは来るものがあります。
それと同時に放映当時を思い出すとまた何とも言えない感情が心を覆い完全にうつ病になるというものです(ならない)
これはここ数年来ずっと書いていることですが、ついこの前だと思っていたものが実は遠い昔だった。
というのは厳しいものがあります。
例えば203系の引退なんてのは10年前ですし、しんちゃん電車の引退も来年で10年になります。
あれだけたくさんいたくぬぎ山のたぬきは10年で絶滅寸前ですから、いかに10年が長い月日かわかります。
その反面、近未来だと思っていた世界に自分が立っている。というのも思うものがあります。
オリパラなんてのは(1年延期したこともあり)ずいぶん先のことだと思っていましたが、実際に開会式、閉会式を見てみると本当に日本でオリンピックが開かれたんだなという風に感じます。
ついでに言えば、gdgdだったこともあり賛否両論、否定の意見が多いですけれども、それでもあの瞬間に向かって準備してきたアスリートや裏方もいるわけですね。
その立場に立てば、せめて有観客でやれればよかったのに…というやるせない思いを禁じえません。
ただ連日のメダルラッシュに思わず涙を流しました。
4年に一度、世界のどこかでやっているイベントなのに、自分の国で開催されるとなぜここまで盛り上がるのでしょう?
どこか他人事とは思えないくらいに街の空気がそれ一色になるからなのか?
普段は全く気にもしないんですが、今回ばかりは見て、盛り上がってしまいました。
あれだけ無観客でも盛り上がるわけですから、森元総理や石原元都知事らが必死に招致した理由もわかるものです。
出来ることなら平常時に再度またやってほしい。なんてのは無理なお願いでしょうが。
鬱屈としたコロナの時代に少しだけ明るい話題になりましたし、様々な思いはあれども、なんだかんだやってよかったんじゃないかな。と思います。
●「東京の空にブルーインパルスがやってきた」
今年は暑いぞと思っておりましたらここ数日は涼しい日々が続くと。
そして大雨と天気の乱高下を見ておりますが、本日は久々のヒコーキネタです。
って前回も同じような話題だったわけですが、ブルーインパルスのお話です。
昨年、数年ぶりにブルーインパルスが東京の空を舞ったわけですが、あれから1年。
今度は東京オリンピック・東京パラリンピックの開会式にブルーインパルスが再び東京の空へやってきました。
この1年間、安倍総理が退陣し菅義偉総理が誕生。GoToに代表される経済政策も束の間、感染拡大のなか第4波、第5波が無常にも世間を襲っております。そんな国論を二分する中、批判だらけの中での飛行でした。
今回はオリンピックの際には撮れなかったので、パラリンピックでの飛行を狙います。
飛行経路は昨年と異なり松戸には来ないルート。
予行演習は通常のスモーク、本番は五輪と同じくカラースモークと言うもの。
天気予報は予行が雲多目の晴れ、本番は曇り。さてどうしたものか。
少し思案してみましたが、スカイツリーを通るルートと言うことはスカイツリーが見える場所にいれば少なくとも撮れます。
新京成と絡めて...とすると新鎌ヶ谷が思い浮かびますが、距離的にこれは厳しそうということでパス。
せめて電車と絡めようと考えて日暮里エリアへ行ってみました。
選んだのは谷中霊園。近隣住民でしょうか、ブルー待ちの人々が既にスタンバイしていました。
今回はスカイツリーも東京駅も1回しか上空を飛びません。一発勝負です。
そして14時過ぎ 轟音をとどろかせながらブルーはやってきました。

予想の3倍は上空を飛んでいたように思えます(笑)
しかもこれだけ線路がありながらJRは何も来ず。山手線でも京浜東北線でも来ないものなのか()
せめてもの救いは京成電車がやってきてくれたことでしょうか?
欲を言えばもう少し京成電車が早く来るか、ブルーがコンマ遅ければと思いますが...
偶然を狙うのは難しいモノです。
次のチャンスは2日後。開会式本番でした。
この日は予報通りの曇天。キレイに曇っております。
とはいえ本番はカラースモークですから、多少曇ってても主張があるはず。
そう信じて東京駅へ向かいました。
本当はもう天気の悪さにやる気を失って直前に現地入りしただけなんですが。
東京駅周辺はギャラリーでものすごいことになっています。
小池都知事がこれを見たら失神してしまうんじゃないかという超過密状態。
逆を言えばこの1年まったく見ることのなかった人だかりでした。
どう切り取ろうかと人混みを掻き分けながら思案してるとカウントダウンクロックを発見。
脳内でこう切り取ろうとコンテを描きながら上手いこともぐりこんで本番を待ちます。

ブルーインパルスは予行と同じく14時過ぎに飛来しました。
右往左往していた群集が見事に一つの方向へスマホを掲げています。
画像が小さくて見えにくいんで是非拡大して見ていただきたいのですが、久々にコンテ通りのカットが撮れましたね。
イチロー風に言えばまさに「ほぼイきかけました」と言う感じ。サーセンw
カラースモークゆえになんとか雲バックでも見えるようになったのが救いでした。
東京駅×ブルーインパルス みんなどこから来るのかわからず右往左往しつつもブルーインパルスが見えた瞬間に同じ方向へスマホを掲げてるのが面白い pic.twitter.com/PYbbp2Lqhx
— YAMA (@Rapid103) August 25, 2021
動画で見ていただくとさらに面白いと思うのですが、右往左往どこから来るのかとひたすらに空を見上げていた群集がブルーインパルスの轟音に気が付いて一斉に同じ方向へスマホやカメラを掲げているのがまさに集団行動ともいうべき統率。
コロナ禍以降の嫌がらせや差別、排除の超ストレス社会。
世界的にも分断が広がるなかでもこの一瞬、この場所に集った人間だけは同じ方向を見れた。
そう考えると先の見えない暗い世の中に一筋の光が見えたような。
そんな一瞬だったように思います。まぁ曇ってるから光もクソもないけどな!
オリパラもいよいよパラの終わりが見えてきました。
あと数日もすれば閉会式になります。
あれだけ先のことだと思っていたオリンピックが終わる。
ぼくらが昔思い描いていたアフター2020全く違う世の中ではありますし、今もコロナ禍の終わりは見えて来ませんが。
それでもいつかは青い空が見えてくる。
そう信じたいものですね。
いつもの左ポケットに
スマホがないときの恐怖。ご無沙汰しております。
巷はオリンピックの感動が巻き起こり始めましたがいかがお過ごしでしょうか?
開会式もなんだかんだで盛り上がりまして、日本の金メダルラッシュと歓喜の叫びが続いています。
ここ最近鬱屈としていた世間の空気をアスリートの皆さんには是非打破して欲しいなと思う次第です。
さて、先日のことなんですが、九州へ行ってきました。
初上陸となった長崎県をはじめいろいろと出かけてまいりました。
そんな詳しい話はまた追々にしまして、九州からの復路の話です。
九州へのアクセス手段と言えば首都圏からは圧倒的に飛行機になると思います。
それはそうで2時間もあれば博多に着けますからね。フライト前後の時間を加味しても新幹線は新大阪に着くかというところですから、いかに飛行機が早くて快適かという話です。
そんな中今月から東京九州フェリーが就航しました。
横須賀~新門司を最速21時間で結ぶ、国内ではおよそ四半世紀ぶりの新航路でありニュースにもなっていたのでご存知の方も多いかと思います。早い話がこのフェリーに乗ってみようじゃないか。というお話です。
スタートは既に最終便も飛び立ってしまった博多から。
まずは博多を21時24分に発車するきらめき10号で門司へ向かいます。
門司からは連絡バスがありますので、これに乗り継ぎフェリーターミナルへ。

船のデザインでもわかるかと思いますが、我らが新日本海フェリーの系列会社が運行します。
なんでも垂直船型という新デザインなんだそうです。なんとなく違和感のある船首のデザインですが、このデザインや最新技術により在来船よりも6%省エネを達成しているんだそうです。
そうそう書き出しでも書いたんですが、スマホを落としました。
と言っても今は専ら音楽プレイヤーになっている古いスマホの方なんですが。
これを門司からの連絡バスに忘れておりました。
ちょうどその連絡バスがこの写真を撮ってるタイミングで回送されて行きました。
幸いにしてフェリーから船舶電話で確認・手続きができましたので数日後には手元に戻って来ましたが。
いつもの左ポケットに入ってない時の焦りと言えば。
危うく「スマホを落としただけなのに」になるところでした。見たこと無いけど。
スマホを落としたとは露も知らず、船内へと参ります。

船室はツーリストSの個室をチョイス。これで18000円ですからお手ごろと思えます。
もう一つ、フェリーをチョイスしたのはこのフェリーにはサウナと露天風呂がついてるんですね。
太平洋を見ながらじっくり「ととのい」をしてやろう。というところも考えていたんです。
ただサウナは新型コロナウイルス対策の一環で使用中止になっておりました。
見た感じ6人程度は入れそうな広いサウナ室に最新のヒーターですからさぞ気持ちがいいことでしょう。
とはいえ船上ゆえに水風呂がないので露天スペースで外気浴しかチョイスがないのが残念なところでもあります。
さて、一人の船旅というのは何もしない時間を買う贅沢な行為だと思います。
もともとのんびりだらだらしてるのは好きなのですが、それを自宅でやるともったいないというか、無駄にしたような感覚に苛まれて夕方にはうつ病になりそうになるのですが、海の上だとそういうこともありません。
のんびり二度寝していると船はあっというまに首都圏へと帰ってきてしまいました。
最新鋭の設備とカーフェリーとは思えない豪華な内装もあって21時間の船旅も苦ではありません。

これはフォワードサロンですが、木目の真新しい内装はタイタニックを思い出させます。
あの映画をみたのも今回改めて船に乗りたいと思った理由の一つではありますが。
ただこのフェリー、あくまでもモーダルシフトに重きを置いたものでありまして。
運行ダイヤが日付変更ごろ出航、翌日21時前に到着というところや九州側のターミナルが門司であり、九州の西海岸へも東海岸へも振れる場所になっているのも物流を考慮していると言えるんじゃないかと思います。
ですから観光メインにしようとするとちょっと使いにくいところはあるかもしれません。
とはいえ高速フェリーと言えども21時間かかりますから、観光メインでの利用なら他の交通機関を使うべきでしょう。
あくまでも船旅を楽しみたいとか、かの島で愛車でドライブするためであればとてもご利用だと言えます。
親しい友人たちとあえて海の上で盛り上がるのも贅沢ですし、一人何もしない21時間をあえて買う。
そんな贅沢が船旅の醍醐味でしょう。
コロナが落ち着いたらまた機会を作って乗ってみたいものです。
サウナも入れてないですし。
●「A列車で行こうexpやってみた」
さて、えんたらコーナーがもはや単独でいけるボリュームですが、本題はこちらです。
久々のA列車カテ記事です。
過去ログビックデータよると10年近く前にA列車で行こうThe 21 centuryをプレイしていたころにその様子を紹介していたようです。
もともとA列車で行こう2001も持っていましたが、これはご存知PS2ですから古のBB-unitでも手に入れない限りスクリーンショットが撮れないもんで、たまたま手に入れたA21cでスクショを撮りつつ記事にしていたようです。
そもそもあのゲームはトレインキットなるものがあって、これをBB-unitのHDDにインストールしないと使うことはできないですし、なによりセーブもロードもクソみたいに時間がかかります。
その分グラフィックは今でも通用するレベルだとは思いますが...
ちなみにこの記事を書くにあたって調べてみたら未だにA列車で行こう6やA2001をプレイしている人はいるようで。
名作はいつまでたっても名作ですね。
さて、話がそれましたが、A列車で行こうシリーズはかなり息の長い作品です。
大陸横断鉄道をつくるという初代が発売されたのは1985年ですから35年以上前のタイトルです。
むしろ35年も前に存在していたというのも驚きではありますが。
その中でも名作と言われたのが前述のA列車で行こう2001とA列車で行こう5でした。
A5はPS移植版が面白くて、鉄道経営よりも都市経営シミュレーションゲームでありました。
マップ内で自由に建物(子会社)を建設して自分だけの街を作っていけるのです。
さらに証券取引などの会社経営の要素もありますが、その反面鉄道運行に関してはダイヤ設定が最低1時間だったり、ポイント制御が車両毎のため本格的なダイヤを用意することは難しい面もありました。
この点を解消したのが次作A列車で行こう6であり、A6ではダイヤ設定が最小15分単位にまで短くなり、ポイント制御も時間ごとの制御になりました。これによって実際の鉄道と同じく運用を定めてローテーションさせることも可能になったわけですね。
ただその反面、街の発展は「誘致」という形に代わり、各駅に産業を誘致して発展させていく形になりました。
ユーザーが管理できるのは線路だけでして、このため自分の思い通りに街を作るには多大な労力がかかった作品でもあります。(あの当時、線路を駆使して区画整理や山削りをしたユーザーも多いのでは)
あの当時からA5のゲーム性とA2001のグラフィックが合わさった作品が欲しい!
と各所で話題になっていましたが、その後発売されたA7シリーズではA5のゲーム性が戻ったもののグラフィック描写は2Dであり、続くA8では3Dとなったもののその3Dグラフィック自体がもう一息とユーザーの心をくすぐるにはまだ一歩足りないという作品でした。
それらの不満を一気に解消させたのが2010年にリリースされたA列車で行こう9
まさに真打登場と言わんばかりのスペックは皆さまご存知の通りだと思います。
シリーズ最大のマップサイズに10両の最長編成。これはのちのバージョンアップで新たに「連結」の要素が追加され、20両にまで拡大。さらに実感的な運行が可能となっています。
そしてリリースから10年以上を経た現在に至るまでバージョンアップが行われ、追加の車両や建物がリリースされているのを見てもまさに完成版に近いものと言っても過言ではないでしょう。
A列車で行こうシリーズの歴史の三分の一はこのA列車で行こう9が占めているのです。
ただそれだけのゲームですから動かすためのPCへの要求スペックも並ではありません。
ゲーミングPCでも発展させていくうちに処理が重くなるというこのゲームはきちんと遊ぼうとするとそこら辺のPCでは動かないのは自明の通り。なかなか手を出せないでいました。
前置きが長くなりましたが、A列車で行こうexpはこのA列車で行こう9のPS4移植版です。
つまりA列車で行こう2001におけるA列車で行こうThe 21 centuryのようなものです。時系列逆だけど。
たまたま今回プレイする機会に恵まれましたので、10年ぶりにまともにA列車をプレイしてみた感想をつづってみようと思います。
A列車で行こうexpでは大別して「ゲームモード」と「マップコンストラクションモード」があります。
前者は用意されているマップをプレイするもの。後者は何もないまっさらな土地を開拓していくもので、後者は資金・資材の必要性がありません。全知全能の神となり本当に自由に、時には地形までいじって街を作っていけます。
今回はとりあえず初めてですしとゲームモードの「空港連絡線は続くよ」をチョイスしてみました。
選んだ理由は単純でなんとなく空港という響きがよかったからなのですが、このマップはスタートから国際空港(2000Mもなさそうな滑走路とターミナルだけの地方空港みたいなの)が用意されている反面、そこまで栄えているとも言えない街があるだけで鉄路は一切ありません。
ここに一から鉄路を引いていくわけです。わくわくしますね。
わくわくしましたが、それは一瞬でぶちこわされます。
一言で言いますと、経営破綻しました。
なにがダメかといいますと、異常なほどに建設費がかかるんですね。
異常かどうかと言われると過去作でどうだったかが思い出せないのですけども。
空港ターミナル駅は高架駅、それも2面4線の立派なものをおごり、駅間は高速線路で線形を良くし、なんて敷設している間に1駅間で資金不足に陥りました。たかだか1駅間。ターミナルの前から滑走路脇までを建設するのに800億です。やばいですね。東葉高速もびっくり。
ひとまず銀行から金を上限まで借りましてなんとかしますが、借り入れは資本の50%までとなんともならないので2駅間作った時点で建設はやめて株で資金を集めます。ひたすら金を集めます。
もうほぼ1日ずっと株式市場の画面を出してひたすらに株の取引です。ゲームの時間ではないですよ。現実の時間です。
ぼくはなんのゲームをしているんだろうか?おぉ儲けたーなんて思いながら株で資金を得ては鉄路を建設し、そして金がなくなったらまた株で資金を集めてとやります。
株は難しいことはなく、安い時に買って高い時に売るという初歩の初歩ですし、どんなに株価が下落してもあの株式市場に上場企業は倒産することはないので気楽です。
この株式市場でのやりとりを見るうえで景気グラフがあります。
そうこのゲームには景気循環が存在するのです。一般的に景気が悪化すれば株も安くなりますが、安くなる銘柄はジャンルごとに若干違うようで、-30以上の不景気にならないとどの銘柄も安くなることはないように思いました。
資金に余裕がある時はこの超不景気に底値くらいになってる株を買い漁り、好景気で売るとぼろもうけできます。
そうそう不景気になると銀行で金を借りるうえで金利が安くなります。
-60くらいになると金利は10年ローンで2%を切るくらい。
当然このころに大量に借りるのが得なのですが、先述の通り銀行で借り入れが出来るのは資本の50%まででこの資本というのは子会社やらの評価額も込みになりまして、不景気になるとその分評価額も落ちて資本が減ってしまい借りれる分母が縮小してしまうんですね。世の中はうまくできています。ええ。
そんなこんなでせっせと株トレードゲームを楽しみますが、時間を16倍速位にしておくと株価の上下もストレスないのでひたすらデイトレーダーとして仕事ができます。
この金が現実でも転がり込んでくればなあ。
ちなみに「空港連絡線は続くよ」というこのマップですが、明確なクリア条件はありません。
A2001では各マップにクリア条件が用意されていましたが、そのような産業ポイント何ポイント以上という明確な目標はなく、このゲームにおいては資金10兆円を目指すのが一つの目標になります。
株式市場は資金稼ぎの手段としては優秀であり(初心者救済の意味もあろうと思いますが)なにかとたよりがちなのですが、これに頼らない「株無し」の縛りプレイをするプレイヤーもいるようです。
ここまで書いてわかる通り、ゲームモード自体にはあまり価値がありません。
既製のマップでどうしても遊びたいということがない限り、特に自分だけの箱庭を作りたいときはマップコンストラクションでプレイするのが安定だと思います。
ただ会社経営という点に面白さを見いだせればこの足かせ自体も楽しめるかもしれません。
建設費も駅を元から10両対応で作っていたことがいけないと気が付き当面の間の5両分のホームにし、高架線路も建設費高騰を招くので地平にしました。やってることは千葉急行などの新興路線と変わりません。
あれらの路線を作ろうとした人たちも幾度となく涙を飲んだのでしょう。
ひたすら株で金を稼ぎ、鬼のように取られていく税金に泣きながらもなんとか鉄路を全通させることができました。ちなみにここまで3回ほど資金がショートするかなという危機を迎えています。
鉄路が完成した後は街づくりですが、これもやることは変わりません。
ひたすら株で金を稼ぎ、鬼のように取られていく税金にビクビクしながら建物(子会社)を建設して街を作っていきます。ただこれも結局資金がハイペースで減っていくので少し建物を建てては株で金を稼ぎ、を繰り返していきます。思い通りの街を作りたいのならやはりマプコンが一番でしょう。
そんなこんなでゲーム時間で15年ほど経過しましたが、鉄道の全通と子会社の利益でようやく資金が増えていく企業体質になりました。ここまで15年と考えるとかなり非効率的ではありますし、もうちょっとゲームらしく効率よく稼ぐ方法もあるのだと思います。
いろいろとまだ書きたいことはありますが、それはまた追々に。
それにしても今回は文字が多いなあ。
巷はオリンピックの感動が巻き起こり始めましたがいかがお過ごしでしょうか?
開会式もなんだかんだで盛り上がりまして、日本の金メダルラッシュと歓喜の叫びが続いています。
ここ最近鬱屈としていた世間の空気をアスリートの皆さんには是非打破して欲しいなと思う次第です。
さて、先日のことなんですが、九州へ行ってきました。
初上陸となった長崎県をはじめいろいろと出かけてまいりました。
そんな詳しい話はまた追々にしまして、九州からの復路の話です。
九州へのアクセス手段と言えば首都圏からは圧倒的に飛行機になると思います。
それはそうで2時間もあれば博多に着けますからね。フライト前後の時間を加味しても新幹線は新大阪に着くかというところですから、いかに飛行機が早くて快適かという話です。
そんな中今月から東京九州フェリーが就航しました。
横須賀~新門司を最速21時間で結ぶ、国内ではおよそ四半世紀ぶりの新航路でありニュースにもなっていたのでご存知の方も多いかと思います。早い話がこのフェリーに乗ってみようじゃないか。というお話です。
スタートは既に最終便も飛び立ってしまった博多から。
まずは博多を21時24分に発車するきらめき10号で門司へ向かいます。
門司からは連絡バスがありますので、これに乗り継ぎフェリーターミナルへ。

船のデザインでもわかるかと思いますが、我らが新日本海フェリーの系列会社が運行します。
なんでも垂直船型という新デザインなんだそうです。なんとなく違和感のある船首のデザインですが、このデザインや最新技術により在来船よりも6%省エネを達成しているんだそうです。
そうそう書き出しでも書いたんですが、スマホを落としました。
と言っても今は専ら音楽プレイヤーになっている古いスマホの方なんですが。
これを門司からの連絡バスに忘れておりました。
ちょうどその連絡バスがこの写真を撮ってるタイミングで回送されて行きました。
幸いにしてフェリーから船舶電話で確認・手続きができましたので数日後には手元に戻って来ましたが。
いつもの左ポケットに入ってない時の焦りと言えば。
危うく「スマホを落としただけなのに」になるところでした。見たこと無いけど。
スマホを落としたとは露も知らず、船内へと参ります。

船室はツーリストSの個室をチョイス。これで18000円ですからお手ごろと思えます。
もう一つ、フェリーをチョイスしたのはこのフェリーにはサウナと露天風呂がついてるんですね。
太平洋を見ながらじっくり「ととのい」をしてやろう。というところも考えていたんです。
ただサウナは新型コロナウイルス対策の一環で使用中止になっておりました。
見た感じ6人程度は入れそうな広いサウナ室に最新のヒーターですからさぞ気持ちがいいことでしょう。
とはいえ船上ゆえに水風呂がないので露天スペースで外気浴しかチョイスがないのが残念なところでもあります。
さて、一人の船旅というのは何もしない時間を買う贅沢な行為だと思います。
もともとのんびりだらだらしてるのは好きなのですが、それを自宅でやるともったいないというか、無駄にしたような感覚に苛まれて夕方にはうつ病になりそうになるのですが、海の上だとそういうこともありません。
のんびり二度寝していると船はあっというまに首都圏へと帰ってきてしまいました。
最新鋭の設備とカーフェリーとは思えない豪華な内装もあって21時間の船旅も苦ではありません。

これはフォワードサロンですが、木目の真新しい内装はタイタニックを思い出させます。
あの映画をみたのも今回改めて船に乗りたいと思った理由の一つではありますが。
ただこのフェリー、あくまでもモーダルシフトに重きを置いたものでありまして。
運行ダイヤが日付変更ごろ出航、翌日21時前に到着というところや九州側のターミナルが門司であり、九州の西海岸へも東海岸へも振れる場所になっているのも物流を考慮していると言えるんじゃないかと思います。
ですから観光メインにしようとするとちょっと使いにくいところはあるかもしれません。
とはいえ高速フェリーと言えども21時間かかりますから、観光メインでの利用なら他の交通機関を使うべきでしょう。
あくまでも船旅を楽しみたいとか、かの島で愛車でドライブするためであればとてもご利用だと言えます。
親しい友人たちとあえて海の上で盛り上がるのも贅沢ですし、一人何もしない21時間をあえて買う。
そんな贅沢が船旅の醍醐味でしょう。
コロナが落ち着いたらまた機会を作って乗ってみたいものです。
サウナも入れてないですし。
●「A列車で行こうexpやってみた」
さて、えんたらコーナーがもはや単独でいけるボリュームですが、本題はこちらです。
久々のA列車カテ記事です。
過去ログビックデータよると10年近く前にA列車で行こうThe 21 centuryをプレイしていたころにその様子を紹介していたようです。
もともとA列車で行こう2001も持っていましたが、これはご存知PS2ですから古のBB-unitでも手に入れない限りスクリーンショットが撮れないもんで、たまたま手に入れたA21cでスクショを撮りつつ記事にしていたようです。
そもそもあのゲームはトレインキットなるものがあって、これをBB-unitのHDDにインストールしないと使うことはできないですし、なによりセーブもロードもクソみたいに時間がかかります。
その分グラフィックは今でも通用するレベルだとは思いますが...
ちなみにこの記事を書くにあたって調べてみたら未だにA列車で行こう6やA2001をプレイしている人はいるようで。
名作はいつまでたっても名作ですね。
さて、話がそれましたが、A列車で行こうシリーズはかなり息の長い作品です。
大陸横断鉄道をつくるという初代が発売されたのは1985年ですから35年以上前のタイトルです。
むしろ35年も前に存在していたというのも驚きではありますが。
その中でも名作と言われたのが前述のA列車で行こう2001とA列車で行こう5でした。
A5はPS移植版が面白くて、鉄道経営よりも都市経営シミュレーションゲームでありました。
マップ内で自由に建物(子会社)を建設して自分だけの街を作っていけるのです。
さらに証券取引などの会社経営の要素もありますが、その反面鉄道運行に関してはダイヤ設定が最低1時間だったり、ポイント制御が車両毎のため本格的なダイヤを用意することは難しい面もありました。
この点を解消したのが次作A列車で行こう6であり、A6ではダイヤ設定が最小15分単位にまで短くなり、ポイント制御も時間ごとの制御になりました。これによって実際の鉄道と同じく運用を定めてローテーションさせることも可能になったわけですね。
ただその反面、街の発展は「誘致」という形に代わり、各駅に産業を誘致して発展させていく形になりました。
ユーザーが管理できるのは線路だけでして、このため自分の思い通りに街を作るには多大な労力がかかった作品でもあります。(あの当時、線路を駆使して区画整理や山削りをしたユーザーも多いのでは)
あの当時からA5のゲーム性とA2001のグラフィックが合わさった作品が欲しい!
と各所で話題になっていましたが、その後発売されたA7シリーズではA5のゲーム性が戻ったもののグラフィック描写は2Dであり、続くA8では3Dとなったもののその3Dグラフィック自体がもう一息とユーザーの心をくすぐるにはまだ一歩足りないという作品でした。
それらの不満を一気に解消させたのが2010年にリリースされたA列車で行こう9
まさに真打登場と言わんばかりのスペックは皆さまご存知の通りだと思います。
シリーズ最大のマップサイズに10両の最長編成。これはのちのバージョンアップで新たに「連結」の要素が追加され、20両にまで拡大。さらに実感的な運行が可能となっています。
そしてリリースから10年以上を経た現在に至るまでバージョンアップが行われ、追加の車両や建物がリリースされているのを見てもまさに完成版に近いものと言っても過言ではないでしょう。
A列車で行こうシリーズの歴史の三分の一はこのA列車で行こう9が占めているのです。
ただそれだけのゲームですから動かすためのPCへの要求スペックも並ではありません。
ゲーミングPCでも発展させていくうちに処理が重くなるというこのゲームはきちんと遊ぼうとするとそこら辺のPCでは動かないのは自明の通り。なかなか手を出せないでいました。
前置きが長くなりましたが、A列車で行こうexpはこのA列車で行こう9のPS4移植版です。
つまりA列車で行こう2001におけるA列車で行こうThe 21 centuryのようなものです。時系列逆だけど。
たまたま今回プレイする機会に恵まれましたので、10年ぶりにまともにA列車をプレイしてみた感想をつづってみようと思います。
A列車で行こうexpでは大別して「ゲームモード」と「マップコンストラクションモード」があります。
前者は用意されているマップをプレイするもの。後者は何もないまっさらな土地を開拓していくもので、後者は資金・資材の必要性がありません。全知全能の神となり本当に自由に、時には地形までいじって街を作っていけます。
今回はとりあえず初めてですしとゲームモードの「空港連絡線は続くよ」をチョイスしてみました。
選んだ理由は単純でなんとなく空港という響きがよかったからなのですが、このマップはスタートから国際空港(2000Mもなさそうな滑走路とターミナルだけの地方空港みたいなの)が用意されている反面、そこまで栄えているとも言えない街があるだけで鉄路は一切ありません。
ここに一から鉄路を引いていくわけです。わくわくしますね。
わくわくしましたが、それは一瞬でぶちこわされます。
一言で言いますと、経営破綻しました。
なにがダメかといいますと、異常なほどに建設費がかかるんですね。
異常かどうかと言われると過去作でどうだったかが思い出せないのですけども。
空港ターミナル駅は高架駅、それも2面4線の立派なものをおごり、駅間は高速線路で線形を良くし、なんて敷設している間に1駅間で資金不足に陥りました。たかだか1駅間。ターミナルの前から滑走路脇までを建設するのに800億です。やばいですね。東葉高速もびっくり。
ひとまず銀行から金を上限まで借りましてなんとかしますが、借り入れは資本の50%までとなんともならないので2駅間作った時点で建設はやめて株で資金を集めます。ひたすら金を集めます。
もうほぼ1日ずっと株式市場の画面を出してひたすらに株の取引です。ゲームの時間ではないですよ。現実の時間です。
ぼくはなんのゲームをしているんだろうか?おぉ儲けたーなんて思いながら株で資金を得ては鉄路を建設し、そして金がなくなったらまた株で資金を集めてとやります。
株は難しいことはなく、安い時に買って高い時に売るという初歩の初歩ですし、どんなに株価が下落してもあの株式市場に上場企業は倒産することはないので気楽です。
この株式市場でのやりとりを見るうえで景気グラフがあります。
そうこのゲームには景気循環が存在するのです。一般的に景気が悪化すれば株も安くなりますが、安くなる銘柄はジャンルごとに若干違うようで、-30以上の不景気にならないとどの銘柄も安くなることはないように思いました。
資金に余裕がある時はこの超不景気に底値くらいになってる株を買い漁り、好景気で売るとぼろもうけできます。
そうそう不景気になると銀行で金を借りるうえで金利が安くなります。
-60くらいになると金利は10年ローンで2%を切るくらい。
当然このころに大量に借りるのが得なのですが、先述の通り銀行で借り入れが出来るのは資本の50%まででこの資本というのは子会社やらの評価額も込みになりまして、不景気になるとその分評価額も落ちて資本が減ってしまい借りれる分母が縮小してしまうんですね。世の中はうまくできています。ええ。
そんなこんなでせっせと株トレードゲームを楽しみますが、時間を16倍速位にしておくと株価の上下もストレスないのでひたすらデイトレーダーとして仕事ができます。
この金が現実でも転がり込んでくればなあ。
ちなみに「空港連絡線は続くよ」というこのマップですが、明確なクリア条件はありません。
A2001では各マップにクリア条件が用意されていましたが、そのような産業ポイント何ポイント以上という明確な目標はなく、このゲームにおいては資金10兆円を目指すのが一つの目標になります。
株式市場は資金稼ぎの手段としては優秀であり(初心者救済の意味もあろうと思いますが)なにかとたよりがちなのですが、これに頼らない「株無し」の縛りプレイをするプレイヤーもいるようです。
ここまで書いてわかる通り、ゲームモード自体にはあまり価値がありません。
既製のマップでどうしても遊びたいということがない限り、特に自分だけの箱庭を作りたいときはマップコンストラクションでプレイするのが安定だと思います。
ただ会社経営という点に面白さを見いだせればこの足かせ自体も楽しめるかもしれません。
建設費も駅を元から10両対応で作っていたことがいけないと気が付き当面の間の5両分のホームにし、高架線路も建設費高騰を招くので地平にしました。やってることは千葉急行などの新興路線と変わりません。
あれらの路線を作ろうとした人たちも幾度となく涙を飲んだのでしょう。
ひたすら株で金を稼ぎ、鬼のように取られていく税金に泣きながらもなんとか鉄路を全通させることができました。ちなみにここまで3回ほど資金がショートするかなという危機を迎えています。
鉄路が完成した後は街づくりですが、これもやることは変わりません。
ひたすら株で金を稼ぎ、鬼のように取られていく税金にビクビクしながら建物(子会社)を建設して街を作っていきます。ただこれも結局資金がハイペースで減っていくので少し建物を建てては株で金を稼ぎ、を繰り返していきます。思い通りの街を作りたいのならやはりマプコンが一番でしょう。
そんなこんなでゲーム時間で15年ほど経過しましたが、鉄道の全通と子会社の利益でようやく資金が増えていく企業体質になりました。ここまで15年と考えるとかなり非効率的ではありますし、もうちょっとゲームらしく効率よく稼ぐ方法もあるのだと思います。
いろいろとまだ書きたいことはありますが、それはまた追々に。
それにしても今回は文字が多いなあ。
鯨は山に生きつづける
久々に「タイタニック」を見ました。
やはりいつみてもすごい映画です。特にラストシーンでデカプリオが親指立てながら北大西洋に沈んでいくシーンは涙なしでは見られませんね。本当に映画史に残る作品だと思います。
というわけで金曜ロードショーにて久々に「タイタニック」が放送されまして、それも幻とも言われている石田彰吹替版が地上波に久々に登場ということで一部では相当盛り上がりました。
あれだけの超大作であるタイタニックですが、そもそも地上波放送は片手で数える程度しかありません。
超大作ゆえに放映権料の高さがあるのか、それとも超大作ゆえに放送枠の確保が難しいのか(初回放送以降前後編での放送が基本で、全編通しで放送されたのは2008年の一度きりだそう)いろいろと事情はありそうです。
吹替は多数存在していまして、DVDに収録されている松田洋治版、地上波初放送にして一度しか放送されなかった妻夫木聡版(いわゆるフジ旧版)とそれをベースにジャックとローズの声を差し替えた石田彰版(いわゆる日テレ版)と内田夕夜版(フジ新版)、そして機内上映版と5種類があります。
このうち地上波で放映されたバージョンはジャックとローズ、モーリー以外は全て同じ配役になっています。
地上波初放送はあの当時録画もしまして、当然VHSの時代ですから当時のテープはもう再生できないでしょうけども、今となっては貴重な妻夫木版が手元にあったわけですね。
ただなんかの時に後編に間違えて別番組を入れてしまって、それを後年日テレ版放送時に後編だけ録画しなおしたのを覚えているんですが、我が家にあったテープはある時から前編後編でジャックとローズの声が変わるという面白いことになっていたことになります。
まぁそんな話は置いておいて、テレビ放映版を繰り返し見て育ってきた私としてはあの当時の吹替で再びタイタニックを見たいというのはかねてより思っていたことであり、なかなか叶うことのない夢でありました。
そんな幻の吹替版タイタニックが放送されるというのが流れたのは4月の頭頃。
レコーダーの予約をして今か今かとその日を待ちわびたのでした。
ストーリーは冒頭書いた通りですし、今更書く必要はないと思いますが、ソフト版では山寺宏一が担当したヒロインの婚約者キャルを地上波版では江原正士が担当しています。
心が腐ったキザな婚約者役を吹き替えた20年後には「マサシィ スゥパァドゥライ」なんて言ってたと思うと感慨深いものがありますね。ええ。
この地上波版の特徴はやはりジャックとローズの何とも軽い感じ、特に吹き替え素人とも言うべき芸能人を使いフジ旧版で袋叩きにされたのに反して回りを固める声優陣が豪華なことが言えるでしょう。
確かに今思えば妻夫木が吹き替えたジャックと竹内結子が吹き替えたローズは棒読みのようにも聞こえますし、スミス船長に久米明、設計者アンドリュースに小川真司など脇を固める本職声優たちの演技が主人公とヒロインの演技の差を際立たせてしまったのもフジ旧版が迷作とされた所以であり、後年配役を変更させられた要素でもあるのです。
ちなみに今回の放送では一部のごく一部で吹き替えへの違和感が示されてたそうで、その記事の中では妻夫木版が好評というような表現まであり、こうやって歴史は美化され修正される瞬間を見た気分であります。
そうこうしている間に前編も終わりが近づいてきますが、有名なデッサンシーンのあと、ラブジョイからの追跡を逃れて荷物室のルノーに乗り込みそして映画の見せ場である濡れ場へ行く…というところで前編は終了となります。
そこで終わらせるんかい!!!!!
と突っ込んだ視聴者も多いでしょう。私もその一人です。
近年のテレビに求められるコンプライアンスではやはり金曜日の22時台に濡れ場は厳しいということでしょうか。
ちなみにフジでも日テレでも過去の放送ではこの濡れ場を流した後、追っ手をかわして船首でイチャついてるときにタイタニックは氷山に衝突。そして損傷を確認しタイタニックに迫る沈没の運命をアンドリュースさんから伝えられたスミス船長が「望み通り新聞のトップニュースになりますな」と言うところで前編が終わっていたかと思います。
ちなみにこの「タイタニックは海に沈む」とアンドリュースさんが告げてイズメイ社長が「沈まない船なのに?」と聞くシーンは小さい頃何万回と見たので後年忙しい人のためのタイタニックでも何を言ってるのかわかって笑うことが出来ました。英語で何を言ってるのかはよくわからないけど。
というわけで全視聴者が後編を不安げに待っていたわけですが、実際に蓋を開けてみると開始2分で濡れ場になりました。そもそも濡れ場がダメでヌードのデッサンシーンはOKということもよくわからないですし、番組編成上の都合だったと考えるのが妥当なところでしょうか。
そして後編開幕5分でタイタニックは氷山と衝突。あとは皆さんご存知の通りのストーリーです。
個人的に見たかったもう一つであるアンドリュースさんが喫煙室の時計を前に通りがかったローズを呼び止め「すまないローズ。私がこんなもろい船を造ったばかりに」と後悔するシーンも見れましたので満足です。
ここまで書いてわかるようにアンドリュースさんというのは大変に良い人でありまして、Twitter上でもこのアンドリュースさんのイケメンぶりがクローズアップされてましたので私は誠に満足です。
小川真司のあの声だからこそのイメージだと思います。
ここが原点なので小川真司といえば良い人のイメージです。ええ。
放送時間がどちらも21:00~22:54まででしたので、どこかしらカットされたシーンは多いのだと思います。
とはいえラストシーンのあとエンディングで吹替を担当した声優がMy heart will go onのサビに合わせてきちんとクレジットされたのも吹替を推して放送しただけあってナイスな演出でしたし、本当に満足です。
「私の心は生きつづける」作品ともマッチしたいい曲です。
まぁ物足りなくて今もMy heart will go onを聞きながら書いているわけですが()
●「長野電鉄2021・初夏 ~21.3改正後を見る~」
えんたらコーナー本当に延々たらたらと書きましたが、オチは特にありません。
さて、長野電鉄では2021年3月にダイヤ改正を実施しました。
新型コロナウイルス感染症の流行による利用状況の変化に対応する為で、他社でも広く行われている終電繰り上げ等、減便が実施されています。
長野電鉄の発表によりますと、削減本数は最大5本で、特急列車は長野~須坂において2本、対して湯田中へ向かう本数は変動がなく、普通列車ではもともと本数の多かった長野~須坂間での削減が顕著にみて取れます。
ただ20年前は15分ヘッド、待たずに乗れるダイヤであったことを考えればかなり時代の変化を感じさせられます。
その反面、2012年の系統分離以来となる長野~湯田中通しの普通列車が復活。
詳細は後述しますが、この普通列車の復活。運用の都合と考えるのが妥当なのですが、それでも一応の利便性向上も図られていると言えます。
これらの内容であるために車両運用も変動しています。
長野電鉄では元東急8500系の8500系と営団地下鉄3000形の3500形、そして東京メトロ03系の3000形と3形式が運用されています。ご存知の通りもと8500系については信州中野~湯田中間のいわゆる山線区間に入線することが出来ません。
このため運用は基本的に長野~信州中野間を走る主に8500系の運用と湯田中へ入線する3000形、3500形の運用に大別されます。この基本ベースは改正後も変わっておりません。
このうち山線絡みの運用はかなりシンプルに再編されました。
まずは須坂を出庫し長野へ向かい、先述した長野から湯田中への直通列車で山線へ。
以後終車まで信州中野~湯田中をピストンして最後湯田中から回送列車で下山。
信州中野で停泊する運用。
信州中野停泊明けで湯田中へ向かい、朝ラッシュの終わる8時49分発長野行で山線を離れ、長野の折り返しは須坂行きで入庫する運用。
そして朝須坂出庫で湯田中へ向かい、お昼過ぎまでピストンしたあと12時の長野行きで山線を離れ、長野折り返しは須坂行きで入庫する運用。
この3運用に再編されています。
改正前はこれに夕方ラッシュに備えて午後須坂から湯田中へ向かう101運用がありましたが、これは削減の対象となったようで、削減された結果夕方の山線は1時間ヘッドで終車まで運行されるようになりました。
勘のいい読者諸兄はお気づきかもしれませんが、山線対応の編成は予備を踏まえても4編成で回すことが出来ます。平日朝限定運用は10時には須坂に入庫するため午後出庫の運用でまかなうことができます。
コロナによる経営悪化を考えると5本も導入する理由はないかと思いますが、運用制限のない3000形にアクシデントが生じた場合にリカバリが効かないことを考えると予定通り5本導入し、8500系を余剰とするのが自然な流れのようにも思います。
そんなダイヤ改正を経た長野電鉄へ先日行ってまいりました。

かつて幾度となく見ることができた信濃竹原での交換ですが、夕ラッシュ帯が1時間ヘッドに再編されたことにより、普通列車の交換は朝のみになってしまいました。
この日は引退を控えたN6編成も充当。N6編成は一番で湯田中にやってきた編成で午前中は山線を走ります。
一方の3000形は信州中野停泊明けの運用で、この後長野へ向かい午前中に須坂に入庫します。

2012年4月の以来およそ10年ぶりに復活した長野~湯田中の全線通し列車。
上り長野方面は8時台と12時台に2本が設定されています。

今まで長野へ乗り換えなしで出るには特急料金が必要でしたが、久々に料金不要の直通列車が設定されました。
この長野行きは利便性向上…よりも運用の都合というべきでして、須坂へ入庫させるための列車を長野経由で運行しているという見方が出来ます。
先ほど書いた通り山線に絡む運用は実質2運用で、改正当初は3000形も3500形も隔てなく運用されていたようですが、現在では停泊が絡む運用は3両編成の3000形がメインで充当し、3500形は朝須坂を出庫し、昼のこの列車で下山するものにほぼ固定されているようです。
つまり3月改正によって長電の鯨は午前中のみ動く存在にほぼ固定されてしまったと言えます。
8時台に湯田中を出る列車ですと、ちょうどまだ利用の多い時間帯に長野へ到着するため、輸送力確保という点が大きいとみることもできそうです。

この日はN6編成が充当ということで夜間瀬の鉄橋へ。
いよいよN6編成も引退となりまして、長電の鯨はN7編成とN8編成の2本のみに。
来年度もさらに3000形が導入され完全引退となります。
午前中の湯田中に行けば会える確率は高いですが、それ以外の時間は須坂で寝ている現状は撮りやすい反面、撮れなくなった風景が増えてしまったとも言えそうです。
須坂の入庫まで見送ってみましたが、須坂もだいぶ変わってしまいました。

昨年より旧表示器が使用停止となっていた須坂駅改札口ですが、20年度末より新しい表示器が設置されています。
新しい表示器はまさかのフルカラー。
特急は赤表示で交互に使用車両の愛称が出るようになっています。
これ代走時はどうなるんですかね?全部ゆけむりとか、全部スノーモンキーとかになるのか。

はたまた創立100周年を記念して地元から寄贈された石像も下りホーム先端に登場しました。
最初に見た時はびっくりしたんですが、設置されてすぐだったそうです。
数年後、どのくらい趣のあるたたずまいになっているかが楽しみですね。ええ。
長野の山に越してきた鯨たち。
報道では来年中には引退が決まっていますから、まさに終焉も近いと言えます。
そんな終焉間近に再び見れるようになった光景もあります。
鯨たち最後の夏はまもなくです。
やはりいつみてもすごい映画です。特にラストシーンでデカプリオが親指立てながら北大西洋に沈んでいくシーンは涙なしでは見られませんね。本当に映画史に残る作品だと思います。
というわけで金曜ロードショーにて久々に「タイタニック」が放送されまして、それも幻とも言われている石田彰吹替版が地上波に久々に登場ということで一部では相当盛り上がりました。
あれだけの超大作であるタイタニックですが、そもそも地上波放送は片手で数える程度しかありません。
超大作ゆえに放映権料の高さがあるのか、それとも超大作ゆえに放送枠の確保が難しいのか(初回放送以降前後編での放送が基本で、全編通しで放送されたのは2008年の一度きりだそう)いろいろと事情はありそうです。
吹替は多数存在していまして、DVDに収録されている松田洋治版、地上波初放送にして一度しか放送されなかった妻夫木聡版(いわゆるフジ旧版)とそれをベースにジャックとローズの声を差し替えた石田彰版(いわゆる日テレ版)と内田夕夜版(フジ新版)、そして機内上映版と5種類があります。
このうち地上波で放映されたバージョンはジャックとローズ、モーリー以外は全て同じ配役になっています。
地上波初放送はあの当時録画もしまして、当然VHSの時代ですから当時のテープはもう再生できないでしょうけども、今となっては貴重な妻夫木版が手元にあったわけですね。
ただなんかの時に後編に間違えて別番組を入れてしまって、それを後年日テレ版放送時に後編だけ録画しなおしたのを覚えているんですが、我が家にあったテープはある時から前編後編でジャックとローズの声が変わるという面白いことになっていたことになります。
まぁそんな話は置いておいて、テレビ放映版を繰り返し見て育ってきた私としてはあの当時の吹替で再びタイタニックを見たいというのはかねてより思っていたことであり、なかなか叶うことのない夢でありました。
そんな幻の吹替版タイタニックが放送されるというのが流れたのは4月の頭頃。
レコーダーの予約をして今か今かとその日を待ちわびたのでした。
ストーリーは冒頭書いた通りですし、今更書く必要はないと思いますが、ソフト版では山寺宏一が担当したヒロインの婚約者キャルを地上波版では江原正士が担当しています。
心が腐ったキザな婚約者役を吹き替えた20年後には「マサシィ スゥパァドゥライ」なんて言ってたと思うと感慨深いものがありますね。ええ。
この地上波版の特徴はやはりジャックとローズの何とも軽い感じ、特に吹き替え素人とも言うべき芸能人を使いフジ旧版で袋叩きにされたのに反して回りを固める声優陣が豪華なことが言えるでしょう。
確かに今思えば妻夫木が吹き替えたジャックと竹内結子が吹き替えたローズは棒読みのようにも聞こえますし、スミス船長に久米明、設計者アンドリュースに小川真司など脇を固める本職声優たちの演技が主人公とヒロインの演技の差を際立たせてしまったのもフジ旧版が迷作とされた所以であり、後年配役を変更させられた要素でもあるのです。
ちなみに今回の放送では一部のごく一部で吹き替えへの違和感が示されてたそうで、その記事の中では妻夫木版が好評というような表現まであり、こうやって歴史は美化され修正される瞬間を見た気分であります。
そうこうしている間に前編も終わりが近づいてきますが、有名なデッサンシーンのあと、ラブジョイからの追跡を逃れて荷物室のルノーに乗り込みそして映画の見せ場である濡れ場へ行く…というところで前編は終了となります。
そこで終わらせるんかい!!!!!
と突っ込んだ視聴者も多いでしょう。私もその一人です。
近年のテレビに求められるコンプライアンスではやはり金曜日の22時台に濡れ場は厳しいということでしょうか。
ちなみにフジでも日テレでも過去の放送ではこの濡れ場を流した後、追っ手をかわして船首でイチャついてるときにタイタニックは氷山に衝突。そして損傷を確認しタイタニックに迫る沈没の運命をアンドリュースさんから伝えられたスミス船長が「望み通り新聞のトップニュースになりますな」と言うところで前編が終わっていたかと思います。
ちなみにこの「タイタニックは海に沈む」とアンドリュースさんが告げてイズメイ社長が「沈まない船なのに?」と聞くシーンは小さい頃何万回と見たので後年忙しい人のためのタイタニックでも何を言ってるのかわかって笑うことが出来ました。英語で何を言ってるのかはよくわからないけど。
というわけで全視聴者が後編を不安げに待っていたわけですが、実際に蓋を開けてみると開始2分で濡れ場になりました。そもそも濡れ場がダメでヌードのデッサンシーンはOKということもよくわからないですし、番組編成上の都合だったと考えるのが妥当なところでしょうか。
そして後編開幕5分でタイタニックは氷山と衝突。あとは皆さんご存知の通りのストーリーです。
個人的に見たかったもう一つであるアンドリュースさんが喫煙室の時計を前に通りがかったローズを呼び止め「すまないローズ。私がこんなもろい船を造ったばかりに」と後悔するシーンも見れましたので満足です。
ここまで書いてわかるようにアンドリュースさんというのは大変に良い人でありまして、Twitter上でもこのアンドリュースさんのイケメンぶりがクローズアップされてましたので私は誠に満足です。
小川真司のあの声だからこそのイメージだと思います。
ここが原点なので小川真司といえば良い人のイメージです。ええ。
放送時間がどちらも21:00~22:54まででしたので、どこかしらカットされたシーンは多いのだと思います。
とはいえラストシーンのあとエンディングで吹替を担当した声優がMy heart will go onのサビに合わせてきちんとクレジットされたのも吹替を推して放送しただけあってナイスな演出でしたし、本当に満足です。
「私の心は生きつづける」作品ともマッチしたいい曲です。
まぁ物足りなくて今もMy heart will go onを聞きながら書いているわけですが()
●「長野電鉄2021・初夏 ~21.3改正後を見る~」
えんたらコーナー本当に延々たらたらと書きましたが、オチは特にありません。
さて、長野電鉄では2021年3月にダイヤ改正を実施しました。
新型コロナウイルス感染症の流行による利用状況の変化に対応する為で、他社でも広く行われている終電繰り上げ等、減便が実施されています。
長野電鉄の発表によりますと、削減本数は最大5本で、特急列車は長野~須坂において2本、対して湯田中へ向かう本数は変動がなく、普通列車ではもともと本数の多かった長野~須坂間での削減が顕著にみて取れます。
ただ20年前は15分ヘッド、待たずに乗れるダイヤであったことを考えればかなり時代の変化を感じさせられます。
その反面、2012年の系統分離以来となる長野~湯田中通しの普通列車が復活。
詳細は後述しますが、この普通列車の復活。運用の都合と考えるのが妥当なのですが、それでも一応の利便性向上も図られていると言えます。
これらの内容であるために車両運用も変動しています。
長野電鉄では元東急8500系の8500系と営団地下鉄3000形の3500形、そして東京メトロ03系の3000形と3形式が運用されています。ご存知の通りもと8500系については信州中野~湯田中間のいわゆる山線区間に入線することが出来ません。
このため運用は基本的に長野~信州中野間を走る主に8500系の運用と湯田中へ入線する3000形、3500形の運用に大別されます。この基本ベースは改正後も変わっておりません。
このうち山線絡みの運用はかなりシンプルに再編されました。
まずは須坂を出庫し長野へ向かい、先述した長野から湯田中への直通列車で山線へ。
以後終車まで信州中野~湯田中をピストンして最後湯田中から回送列車で下山。
信州中野で停泊する運用。
信州中野停泊明けで湯田中へ向かい、朝ラッシュの終わる8時49分発長野行で山線を離れ、長野の折り返しは須坂行きで入庫する運用。
そして朝須坂出庫で湯田中へ向かい、お昼過ぎまでピストンしたあと12時の長野行きで山線を離れ、長野折り返しは須坂行きで入庫する運用。
この3運用に再編されています。
改正前はこれに夕方ラッシュに備えて午後須坂から湯田中へ向かう101運用がありましたが、これは削減の対象となったようで、削減された結果夕方の山線は1時間ヘッドで終車まで運行されるようになりました。
勘のいい読者諸兄はお気づきかもしれませんが、山線対応の編成は予備を踏まえても4編成で回すことが出来ます。平日朝限定運用は10時には須坂に入庫するため午後出庫の運用でまかなうことができます。
コロナによる経営悪化を考えると5本も導入する理由はないかと思いますが、運用制限のない3000形にアクシデントが生じた場合にリカバリが効かないことを考えると予定通り5本導入し、8500系を余剰とするのが自然な流れのようにも思います。
そんなダイヤ改正を経た長野電鉄へ先日行ってまいりました。

かつて幾度となく見ることができた信濃竹原での交換ですが、夕ラッシュ帯が1時間ヘッドに再編されたことにより、普通列車の交換は朝のみになってしまいました。
この日は引退を控えたN6編成も充当。N6編成は一番で湯田中にやってきた編成で午前中は山線を走ります。
一方の3000形は信州中野停泊明けの運用で、この後長野へ向かい午前中に須坂に入庫します。

2012年4月の以来およそ10年ぶりに復活した長野~湯田中の全線通し列車。
上り長野方面は8時台と12時台に2本が設定されています。

今まで長野へ乗り換えなしで出るには特急料金が必要でしたが、久々に料金不要の直通列車が設定されました。
この長野行きは利便性向上…よりも運用の都合というべきでして、須坂へ入庫させるための列車を長野経由で運行しているという見方が出来ます。
先ほど書いた通り山線に絡む運用は実質2運用で、改正当初は3000形も3500形も隔てなく運用されていたようですが、現在では停泊が絡む運用は3両編成の3000形がメインで充当し、3500形は朝須坂を出庫し、昼のこの列車で下山するものにほぼ固定されているようです。
つまり3月改正によって長電の鯨は午前中のみ動く存在にほぼ固定されてしまったと言えます。
8時台に湯田中を出る列車ですと、ちょうどまだ利用の多い時間帯に長野へ到着するため、輸送力確保という点が大きいとみることもできそうです。

この日はN6編成が充当ということで夜間瀬の鉄橋へ。
いよいよN6編成も引退となりまして、長電の鯨はN7編成とN8編成の2本のみに。
来年度もさらに3000形が導入され完全引退となります。
午前中の湯田中に行けば会える確率は高いですが、それ以外の時間は須坂で寝ている現状は撮りやすい反面、撮れなくなった風景が増えてしまったとも言えそうです。
須坂の入庫まで見送ってみましたが、須坂もだいぶ変わってしまいました。

昨年より旧表示器が使用停止となっていた須坂駅改札口ですが、20年度末より新しい表示器が設置されています。
新しい表示器はまさかのフルカラー。
特急は赤表示で交互に使用車両の愛称が出るようになっています。
これ代走時はどうなるんですかね?全部ゆけむりとか、全部スノーモンキーとかになるのか。

はたまた創立100周年を記念して地元から寄贈された石像も下りホーム先端に登場しました。
最初に見た時はびっくりしたんですが、設置されてすぐだったそうです。
数年後、どのくらい趣のあるたたずまいになっているかが楽しみですね。ええ。
長野の山に越してきた鯨たち。
報道では来年中には引退が決まっていますから、まさに終焉も近いと言えます。
そんな終焉間近に再び見れるようになった光景もあります。
鯨たち最後の夏はまもなくです。